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2012年10月23日 (火)

明石の「うおんたな」

明石海峡付近の海域は、潮流の変化が大きく地形が複雑な為、
魚の産卵場や育成場が多数あり、瀬戸内海有数の漁場となっています。

そこでは、底曳き網漁、船曳き網漁、刺網漁、一本釣り漁の他、壺漁、籠漁など
小型船による多種多様な沿岸漁業が行われており、
特に、明石漁港で水揚げされた「前もの」と呼ばれる鯛や蛸は、
今や、「明石鯛」「明石ダコ」として、全国区のブランドになっています。

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【明石海峡】

そんな魚の街・明石を代表する商店街が、本日紹介する「魚の棚商店街」。

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【魚の棚商店街】

関西では「うおんたな」と発音しますが、この名称は、魚商人が軒先に大きな板を敷き、
その上に乗せた魚に、鮮度を保つための水を流した様子からきていると云われています。

当地以外にも、江戸時代に整備された海岸沿いの城下町には、
「魚の棚」という通称をもつ町があったようです。

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【明石城の坤櫓(ひつじさるやぐら)】

明石の「うおんたな」の始まりは、今から約400年前に遡ります。

明石城の初代城主・小笠原忠真が信濃松本8万石から播磨明石10万石に移封されたのが元和3年(1617)。

その翌年から明石城築城とともに城下町の整備を開始し、
町の東部を商人と職人の地区、中央部を東魚町、西魚町など商業と港湾の地区、
西部を樽屋町、材木町とし、その海岸部は回船業者や船大工、漁民などの居住する地区としました。

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【魚の棚商店街アーケード】

この町割りを行ったのが、小笠原忠真に長く仕えた宮本武蔵であったと伝えられています。

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【明石ダコ】

城下町の中央部の東魚町と西魚町が「うおんたな」の原型。

城に程近い、いわば一等地に魚町が置かれており、
その当時から明石では、魚の商いが重要視されていたとが判ります。

ちなみに、東魚町・西魚町は、昭和47年(1972)の住居表示変更で「本町」となり、
歴史を伝える旧町名は、残念ながら消えてしまいました。

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【レンコダイ】

現在の「うおんたな」は、全長350mのアーケードの両側に、
明石漁港で水揚げされた鮮魚や練り製品、塩干物などを扱う商店など、110店のほどの店舗が建ち並び、
地元はもちろん、神戸や大阪からも多くのお客さんを集め賑わっています。

訪れるなら、「昼網」のセリで仕入れた新鮮な魚が店頭に並ぶ、お昼1時過ぎがねらい目です。

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【タコの煮物】

そして、もう一つ、忘れてはならないのが「たまご焼き」。
別名「明石焼き」とも呼ばれていますが、地元のお店の表記はほとんど「たまご焼き」となっています。

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【たこ磯さん】

「うおんたな」と、その周辺にはたくさんの「たまご焼き」の名店がありますが、
私のおすすめは、アーケードの中ほどにある「たこ磯」さん。

お店で食べれば15個で650円。
たまご焼き本体はもちろん、カツオ風味が生きているダシも抜群。

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【たまご焼き】

土日、祭日ともなれば長い行列が出来る人気店ですが並ぶ価値アリ、納得のおいしさです。

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