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2009年11月24日 (火)

飛騨路の名湯

先週の月曜日、11月16日(月)のお話です。

温泉の宝庫、群馬県を離れてはや半年。

「長いこと温泉に入ってないわぁ」という家人のつぶやきを聞く頻度が高くなってきたので、
円滑な単身赴任生活を維持するため、会社に連休を頂き、温泉小旅行に出かけてきました。

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【下呂への途上:岐阜県中津川市付知峡付近】

向かった先は、岐阜県の下呂温泉。

下呂といえば、いわずと知れた岐阜県下最大の温泉街で、
兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と共に「日本三名泉」と称される天下の名湯です。

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【下呂への途上:付知峡】

現在、温泉街には70を超える旅館やホテル、保養施設が営業しており、
その他、日帰りで楽しめる公共の露天風呂や、足湯などの施設も多くあります。

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【付知渓谷のお猿】

泉温は84度と高温で、泉質はアルカリ性単純泉(低張性アルカリ性高温泉)だそう。
効能としては、リウマチ性疾患・運動器障害・神経痛・神経麻痺・病後回復などが挙げられています。

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【下呂温泉街①】

温泉の歴史は古く、その起源は1千年以上前だと伝えられています。

元々の下呂の温泉は、今の温泉街から約4km東の湯ヶ峰(1,067m)の山頂付近で、
天暦年間(947~957 平安中期)に発見されました。

その後、文永2年(1265)には、山頂上付近に湧き出していた温泉が突然出なくなりますが、
翌年には、現在の源泉地、温泉街の中央を流れる飛騨川の河原で再び発見されることになります。

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【下呂温泉発祥の地】

この温泉再発見にまつわるお話が、「白鷺伝説」として今に伝えられています。

 「むかし、下呂を流れる飛騨川の川原に足の骨を折った白鷺がおりたちました。
 川原にうずくまった白鷺は、翌日、すっかり傷がなおり、西の空をめざしてとびたっていきました。
 このありさまを見ていた村人たちは、不思議に思って、白鷺のうずくまっていた川原へ行ってみると、
 そこにはもうもうと湯けむりをあげて、湯がわきでていたのです。
 村人たちは、『これは、お薬師様のお告げにちがいない。』といって、ていねいにおまつりしたそうです。」
 ~岐阜児童文学研究会編「岐阜の伝説」より~

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【下呂温泉街:雨情公園】

温泉と白鷺にまつわるお話としては、四国の道後温泉でも見聞きした記憶があったので、
ネットで調べてみると、熊本の玉名温泉・天草下田温泉、石川の和倉温泉・山中温泉・湯涌温泉、
佐賀の武雄温泉、島根の鷺ノ湯温泉、鳥取の浜村温泉、広島の湯来温泉、岡山の湯郷温泉、
愛知の白鷺温泉、和歌山の椿温泉、山形の湯田川温泉などなど、全国各地に多数残っているようです。

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【下呂発祥の地に建つ外湯施設「白鷺の湯」】

白鷺説話が開湯伝説の定番だったとは。

長いくちばしと長い脚をもった優雅な姿の水鳥。
日本画や日本舞踊などに好んで取り上げられる美しさとはかなさの象徴。

しかし、どうして温泉には白鷺なんでしょうか?
調べたけど解りませんでした。

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【下呂温泉街②】

下呂温泉が名湯であることを初めて天下に紹介したのは、
室町時代の京都五山の僧・万里集九(ばんりしゅうく)でした。

その詩文集『梅花無尽蔵』には、

 「本邦六十余州ごとに霊湯あり。その最たるものは、
 上州の草津、津陽の有馬、飛州の湯島(下呂)、この三か所なり。」

と記されています。

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【下呂温泉街:林羅山像】

また、江戸時代には儒学者・林羅山も同様の評価をしており、『林羅山詩集第三西南行日録』には、

 「我が国は諸州に温泉を多く有す。その最も著しいものは、
 摂津の有馬、上州の草津、飛騨の湯島(下呂)、この三か所なり」

とあり、更に、

 「今、有馬、草津は広く世の知るところとなり。
 湯島は古来の霊湯たること、遠く知るもの少なしといえども、
 入湯する人はその験を得ざることなし」

と続き、下呂温泉が名湯であることを伝えています。

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【下呂温泉街:醫王霊山温泉寺ライトアップ①】

あと、この地に関して、予てから気になっていたことがありました。

それはズバリ、「下呂」という地名。

子供の頃は、TV番組などで紹介される度に「ゲロって・・・・」と思っていました。

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【下呂温泉街:醫王霊山温泉寺ライトアップ②】

このインパクトのある地名の起源についても調べてみました。

「下呂」の起源は、遠く8世紀にまで遡ります。

日本書紀に続く勅撰書『続日本紀(しょくにほんぎ)』の宝亀7年(776)10月の条には、

 「美濃国菅田駅と飛騨国大野郡伴有駅と相去る七十四里、
 岩谷険深にして行程殊に遠し。其の中間に一駅を置て下留と名つく」

と記されており、飛騨街道に「下留(しものとまり)」という宿駅が置かれていた事がわかります。

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【下呂温泉街:醫王霊山温泉寺ライトアップ③】

中央集権体制の確立を急ぐ律令政府にとって、交通網の整備は緊急な課題でありました。

そこで、都と諸国とを結ぶ主要な官道には、概ね4里ごとに駅家(うまや)が設けられ、
そこには馬が常置されており、公用者の行き来や文書の伝達に用いらました。

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【下呂温泉街:醫王霊山温泉寺ライトアップ④】

この「下留」が後に音読され「げる」となり、長い年月の間に「げろ」へと転化し、現在に至っています。。

ちなみに、下呂の近隣には上呂(じょうろ:JR高山線上呂駅付近)も、
中呂(ちゅうろ:JR高山線禅昌寺駅付近)も、地名として残っておりました。

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【下呂温泉合掌村①】

下呂温泉街には、多くの飲食店や文化施設、娯楽施設がありますが、
その中で私がお目当てにしていたのは、「下呂温泉合掌村」。

ここには白川郷などから移築した10棟の合掌家屋が移築されており、
合掌造りを見たことが無い私は、結構、楽しみにしていました。

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【下呂温泉合掌村②】

しかし、訪れた後の感想はやや期待はずれ。

私が期待したのは、飛騨の生活文化を紹介する民俗博物館的な施設でした。

ここを紹介する地元の観光サイトでもそのような表現があったのですが・・・・
やっぱり、入場料800円の観光施設でした。

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【下呂温泉合掌村③】

移築民家の目玉、国指定重要文化財に指定された旧大戸家住宅には、
民具や資料の展示が少々ありましたが、ただのお飾り程度。

展示品もこんなんでいいの?と思えるほどに雑な扱い。

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【下呂温泉合掌村④:国重要文化財「旧大戸家住宅」】

この施設のメインは、他の合掌建築で営業されている、
茶屋などの飲食店や特産物販売店だという印象を受けました。

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【下呂温泉合掌村⑤:旧大戸家囲炉裏】

当日のお宿は「富岳」さん。

下呂温泉街に数ある旅館・ホテルの中にあって、
旅行サイトの人気ランキングでは、常に上位に食い込む人気のお宿です。

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【旅館「富岳」玄関】

人気の秘密はそのリーズナブルな価格設定。

中部地方随一の温泉街とあって、高級・高額の老舗が多い中、
お手軽な価格で泊めていただけます。

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【富岳の夕食】

仲居さんの応対もフレンドリーで親切。

飛騨牛の朴葉味噌焼きに松茸の土瓶蒸しが付いた夕食もかなりの美味で、
もちろん、源泉掛け流しのお風呂も清潔感いっぱいで大満足でした。

旅行サイトの口コミ情報にあったように、「また行きたくなる宿」でした。

※次回は下呂温泉の帰路に立ち寄った「妻籠宿・馬籠宿」をレポします。

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コメント

すばらしい時期にすばらしいところでお出かけされましたね♪
しかも紅葉のライトアップまで!
盛りだくさんの旅行で、奥様もさぞお喜びになったことでしょう!

投稿: きょんち | 2009年11月24日 (火) 21時09分

きょんちさん
ありがとうございます。
嫁さん孝行といいながら、写真三昧を楽しんで、
羽を伸ばしたのは私のほうかもしれませんhappy01

投稿: yufuki | 2009年11月25日 (水) 17時15分

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