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2009年8月19日 (水)

桑名の山林王 その1

急速に近代化・西洋化が進んだ明治~大正期には、
日本各地で時代をリードする多くの実業家達が活躍しました。

当地・三重でも地元の発展に貢献し、その歴史に名を刻んだ人物が数々います。
本日ご紹介する初代・諸戸清六(もろとせいろく)も、そんな地域の偉人の一人です。

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諸戸清六は江戸末期から徐々に頭角を現し、全国の田畑・山林を積極的に購入し始め、
明治中頃には日本一の土地面積を所有する「山林王」として、その名を全国に知らしめました。

また、実業家として巨万の富を得る一方で、
公共事業に私財を投じ、木曽三川の河口地帯の人々の生活改善に大きく貢献し、
今なお、地域の恩人として語り継がれています。

私の居室のすぐ近くには、諸戸清六とゆかりが深い旧跡「六華苑」と「諸戸氏庭園」があり、
諸戸家の栄華を今に伝える資料館として保存されています。

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【旧諸戸家邸「六華苑」】

諸戸家の祖は、長島の一向一揆の際に織田信長と激しく戦った一向宗門徒・丹羽定直(にわさだなお)。

定直は織田軍との交戦中、戸板を集めて矢や投石を防ぎながら縦横無尽の活躍をしたため、
証意上人より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、以降、諸戸定直と称したと伝えられています。

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【「六華苑」:庭園から見た本邸】

一向一揆が信長によって駆逐されると、定直は郷里の西外面村(現・長島町)に帰り、
それ以降、諸戸家は自ら開墾した加路戸新田(現・木曽岬町)で代々庄屋を勤めながら幕末を迎えます。

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【「六華苑」:本邸】

ところが、維新の世を迎える前に、時の当主・諸戸清九郎が塩の売買で大失敗。
2,000両もの負債を抱えて身代を潰してしまう事態に。

その諸戸家苦難の真っ只中の弘化3年(1846)の正月、
清六は清九郎の長子としてこの世に生を受けることとなります。

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【「六華苑」:本邸の洋館・和館の接合部】

借金苦にあった父・清九郎は、西外面村の土地家屋を全て手放し、
弘化4年(1847)に桑名へと移住しますが、この後、相次いで諸戸家を不幸が襲います。

安政7年(1860)に清九郎が、文久3年(1863)に後見人の義兄・清助が相次いで他界。

その後、家督を継ぐことになったのが、当時まだ18歳であった清六でした。
家財といえば僅かな布団と衣類、他には二十石積の船一隻のみが残るだけだったそうです。

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【「六華苑」:洋館】

ここで、清六が普通の若者なら、破綻寸前の家を継いでも持ちこたえられずに潰れてしまう処ですが、
彼には類稀なる商売の才能が備わっていました。

驚くべきことに、この若き当主は、ほんの短期間で諸戸家を見事に復興させて見せます。

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【「六華苑」:洋館の塔屋窓】

清六の母方の実家は、船宿と米の兼売で生計を立てていたのですが、
僅か80両の手元資金で、小さな家業を米問屋や廻船業と呼べるまでに育て上げ、
わずか3年で2,000両以上の負債を完済。

その当時の桑名は、陸運・海運・川運の要衝で、
中部・東海地方の物資を大阪や東京へ輸送する港湾・交易都市として栄えていました。

清六はこの地の利を生かし、時流にもうまく乗ったのです。

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【「六華苑」:洋館外灯】

維新後も、大隈重信・松方正義らの新政府高官の知遇を得て、
西南の役後の米相場で利潤を上げるなど、瞬く間に30万円を蓄財。

明治19年(1886)には海防費2万円を政府に献上し、
翌年には政府の特別な計らいにより従6位に叙せられています。

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【「六華苑」:和館屋根】

20才そこそこの清六が、短期間で巨額の富を得たのには2つの理由があると云われています。

1つ目は、清六はこの地方の翌年の天候をほぼ間違いなく予想できたということです。

清六は、ベテランの船頭から鳥羽への帆船の入港情報を入手。

また老農からは、寒中の琵琶湖の水量の増減情報を得て、
伊勢・美濃・尾張地の長期天候を高い精度で予測していました。

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【「六華苑」:庭園池】

2つ目は、大物政治家・大隈重信との蜜月関係です。

大隈重信側の文書によると、明治9年(1876)に初めて諸戸清六に会ったと記録されており、
それ以降、少なくとも二度、大隈は招かれて桑名の諸戸邸を訪ねています。

清六は、国家機密ともいうべき紙幣と正貨の等価通用法が発令される直前に、
それを察知して巨利を得ましたが、裏には大隈の影があったと云われています。

また、後に、鈴鹿山脈や丹沢山地の山林を数千町歩を購入しますが、
これも清六が大隈の勧めに応じたものでありました。

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【「諸戸氏庭園」:楓】

次々と廻船業で稼いだ富を田畑・山林に投資した清六は、いつしか「山林王」と呼ばれるようになり、
その晩年には、東京の恵比寿・渋谷・駒場などにも宅地30万坪を有する大地主となりました。

稀代の政商として、一代で富と名声を手に入れた清六。
しかし、その一方では公共事業に私財を注ぐことを惜しみませんでした。

(・・・・次回に続きます)

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