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2009年8月21日 (金)

桑名の山林王 その2

(前回より続き・・・)

清六の篤志家としての業績の一つに、桑名の私設上水道事業があります。

もともと桑名一帯の井戸水は混入物が多く、飲用には適さなかったことから、
清六は上水道施設を私費で設置し、一般には無償で開放。

それとともに30ヵ所以上に消火栓を設けました。

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【「六華苑」:円筒塔屋内部】

このような設備は、当時の大都市を除いては稀なものであり、
全国で7番目の早さであったと云われています。

清六の死後、水道設備は遺志により桑名町(当時)に寄附され、
現在も煉瓦造の小野山貯水池などが、市指定文化財の指定を受け保存されています。

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【「六華苑」:洋館内部①】

また、清六は木曽三川河口地域の排水事業にも大きく貢献しました。

清六の生まれ故郷・加路戸新田は木曽三川の最下流部にあり、大河の寄洲を開発した農村地帯でした。

当時の加路戸新田は、農業用水を木曽川やその支流から引き込み、排水は自然排水に頼ってていましたが、
明治24年(1981)の濃尾大地震により地盤が陥没したため、自然排水が著しく困難となってしまいました。

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【「六華苑」:洋館内部②】

こうした窮状を打開するために、排水機の導入を提唱したのが清六です。

地震の影響で良田は冠水田と化し、そこで悪水を人力でかい出している村人達の苦労を見て、
清六は排水対策が急務であると感じとっていました。

そんな時、動力ポンプが用水にも悪水排除にも同じ効果を発揮するのだと聞き、
明治36年(1903)、早速、伊曽島村(現・長島町)に遠心動力の排水機を設置します。

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【「六華苑」:洋館内部③】

そこで動力ポンプの効果を実感した清六は、翌年から次々と排水機を導入。

明治37年(1904)には、木曽岬村(現・木曽岬町)・長島村(現・長島町)・七取村(現・多度町)
明治38年(1905)には、城南村(現・桑名市城南)に、2年間で4ヶ村が救われました。

明治38年(1905)の明治天皇行幸の際の桑名郡役所による調査報告「諸戸清六ノ経歴並びに事業譚」を見ると、
清六の地域貢献の第一には排水事業が挙げられ、それに続いて上水道事業、植林事業が挙げられています。

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【「六華苑」:洋館バルコニー】

この報告書を見れば、排水機導入による効果は甚大であったことが解ります。

排水機導入により二毛作が可能になったことから、収穫高は飛躍的な向上を遂げた記されており、
導入前は一反あたり60kg程度であった収穫高は、導入後はなんと5倍の300Kgに増加しています。

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【「六華苑」:和館座敷①】

明治天皇行幸の翌年、明治39年(1906)の11月、桑名の巨星・諸戸清六はこの世を去ります。

清六には四男六女の子供がいましたが、長男と三男がともに早世したため、
清六の没後、次男・精太が初代の家屋敷を継承し、清六の名は四男・清吾が襲名します。

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【「六華苑」:和館廊下】

現在、次男・精太の係累は諸戸宗家(西諸戸家)、四男・清吾改め清六の係累は諸戸本家(東諸戸家)と称され、
宗家は諸戸林業・諸戸商会・諸戸タオル・諸戸土地・日本みどり開発など、
本家は諸戸林産・諸戸緑化産業・諸戸産業・諸戸造林などの企業群を運営し、
林業や不動産業を中心とする「諸戸グループ」を形成しています。

諸戸宗家・本家の両家を合わせると、諸戸一族が所有する山林は今でも巻間一万町歩といわれ、
その財力や資産は数えることができない程の山持ちであります。

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【「六華苑」:和館座敷②】

平成19年(2007)、諸戸林産は、所有の森林約1600haをトヨタ自動車に売却しました。
トヨタ自動車の購入目的は、「社会貢献活動ならびに林業事業を通じた国内の森林再生モデルの構築」。

トヨタ自動車は日本の国益を守る日本の企業であると信じていますが、
水源地である日本の森林が外国資本に買い占められてしまうようなことがないよう、
偉人・諸戸清六の御子孫にはお願いしたいと思います。

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【「六華苑」:和館の壁面燈】

本日の写真の「六華苑」は二代目清六の別邸跡、「諸戸氏庭園」は次男・精太が受け継い初代清六の本宅跡。
敷地は隣接していますが施設の運営は別個で、入場料も別個に要ります(笑)

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【「六華苑」:表門】

まず、「六華苑」のほうですが、平成2年(1990)に諸戸家より桑名市が建物の寄贈を受けた後、
旧自治省の「地域づくり推進事業」によって修復・整備が施され、平成5年(1993)から一般公開されています。

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【「六華苑」:本邸】

本館建築物は、和洋の様式が調和した瀟洒な建物。
明治・大正期を代表する貴重な文化遺産であり、桑名市指定文化財となっています。

当時の洋風住宅に和館が併設される例は全国に数多く残っていますが、
和館と洋館は別棟として建てられるか、洋館の一部を和室とする場合が一般的です。

これに対して「六華苑」の旧諸戸邸は、広い敷地が有るにもかかわらず、
洋館と和館とが棟続きで併設されているという特徴をもっています。

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【「六華苑」:洋館円筒塔屋】

設計は鹿鳴館やニコライ堂で名高い英国人建築家ジョサイア・コンドル。

洋館部分は北東隅の四層の円筒状の塔屋と南側の庭園に面した大きなベランダが特徴。

明るく軽快なコロニアルスタイルのいかにも洋館らしい洋館に、
瓦葺の入母屋が続く姿は、他の和洋折衷建築とは一味違った美しさが感じられました。

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【「諸戸氏庭園」:庭園池からみた本邸】

もう一方の「諸戸氏庭園」は、平成14年(2002)に設立された財団法人諸戸会が修復・整備、
翌、平成15年(2003)春より一般公開されています。

「諸戸氏庭園」の歴史は古く、元々は尾張織田家の家臣だった矢部家の館跡。
室町時代には「江の奥殿」と呼ばれていました。

当時の様子は魯縞庵義道の「久波奈(くわな)名所絵図」 に詳しく描かれており、
書院や推敲亭がその当時からあった事が窺えます。

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【「諸戸氏庭園」:庭園の燈篭】

江戸中期、貞享3年(1686)には、桑名藩御用商人・山田彦左衛門が下屋敷としてこれを購入。
その後、明治17年(1884)になって、初代諸戸清六の手に移り、御殿と池庭が付け加えられました。

以降、次男精太の代に更に手が加えられ、今日に至っています。

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【「諸戸氏庭園」:煉瓦倉庫】

敷地内には、国の名勝に指定された庭園をはじめ、本邸・大門・御殿前玄関・御殿・洋館・玉突場など、
国の重要文化財6棟をはじめとする貴重な建築群が保存されています。

公開は春と秋の年2回。

平成21年(2009)春の一般公開は、6月30日で終了していますが、
秋には紅葉が見事だそうで、今から再訪が楽しみです。

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2009年8月19日 (水)

桑名の山林王 その1

急速に近代化・西洋化が進んだ明治~大正期には、
日本各地で時代をリードする多くの実業家達が活躍しました。

当地・三重でも地元の発展に貢献し、その歴史に名を刻んだ人物が数々います。
本日ご紹介する初代・諸戸清六(もろとせいろく)も、そんな地域の偉人の一人です。

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諸戸清六は江戸末期から徐々に頭角を現し、全国の田畑・山林を積極的に購入し始め、
明治中頃には日本一の土地面積を所有する「山林王」として、その名を全国に知らしめました。

また、実業家として巨万の富を得る一方で、
公共事業に私財を投じ、木曽三川の河口地帯の人々の生活改善に大きく貢献し、
今なお、地域の恩人として語り継がれています。

私の居室のすぐ近くには、諸戸清六とゆかりが深い旧跡「六華苑」と「諸戸氏庭園」があり、
諸戸家の栄華を今に伝える資料館として保存されています。

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【旧諸戸家邸「六華苑」】

諸戸家の祖は、長島の一向一揆の際に織田信長と激しく戦った一向宗門徒・丹羽定直(にわさだなお)。

定直は織田軍との交戦中、戸板を集めて矢や投石を防ぎながら縦横無尽の活躍をしたため、
証意上人より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、以降、諸戸定直と称したと伝えられています。

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【「六華苑」:庭園から見た本邸】

一向一揆が信長によって駆逐されると、定直は郷里の西外面村(現・長島町)に帰り、
それ以降、諸戸家は自ら開墾した加路戸新田(現・木曽岬町)で代々庄屋を勤めながら幕末を迎えます。

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【「六華苑」:本邸】

ところが、維新の世を迎える前に、時の当主・諸戸清九郎が塩の売買で大失敗。
2,000両もの負債を抱えて身代を潰してしまう事態に。

その諸戸家苦難の真っ只中の弘化3年(1846)の正月、
清六は清九郎の長子としてこの世に生を受けることとなります。

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【「六華苑」:本邸の洋館・和館の接合部】

借金苦にあった父・清九郎は、西外面村の土地家屋を全て手放し、
弘化4年(1847)に桑名へと移住しますが、この後、相次いで諸戸家を不幸が襲います。

安政7年(1860)に清九郎が、文久3年(1863)に後見人の義兄・清助が相次いで他界。

その後、家督を継ぐことになったのが、当時まだ18歳であった清六でした。
家財といえば僅かな布団と衣類、他には二十石積の船一隻のみが残るだけだったそうです。

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【「六華苑」:洋館】

ここで、清六が普通の若者なら、破綻寸前の家を継いでも持ちこたえられずに潰れてしまう処ですが、
彼には類稀なる商売の才能が備わっていました。

驚くべきことに、この若き当主は、ほんの短期間で諸戸家を見事に復興させて見せます。

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【「六華苑」:洋館の塔屋窓】

清六の母方の実家は、船宿と米の兼売で生計を立てていたのですが、
僅か80両の手元資金で、小さな家業を米問屋や廻船業と呼べるまでに育て上げ、
わずか3年で2,000両以上の負債を完済。

その当時の桑名は、陸運・海運・川運の要衝で、
中部・東海地方の物資を大阪や東京へ輸送する港湾・交易都市として栄えていました。

清六はこの地の利を生かし、時流にもうまく乗ったのです。

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【「六華苑」:洋館外灯】

維新後も、大隈重信・松方正義らの新政府高官の知遇を得て、
西南の役後の米相場で利潤を上げるなど、瞬く間に30万円を蓄財。

明治19年(1886)には海防費2万円を政府に献上し、
翌年には政府の特別な計らいにより従6位に叙せられています。

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【「六華苑」:和館屋根】

20才そこそこの清六が、短期間で巨額の富を得たのには2つの理由があると云われています。

1つ目は、清六はこの地方の翌年の天候をほぼ間違いなく予想できたということです。

清六は、ベテランの船頭から鳥羽への帆船の入港情報を入手。

また老農からは、寒中の琵琶湖の水量の増減情報を得て、
伊勢・美濃・尾張地の長期天候を高い精度で予測していました。

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【「六華苑」:庭園池】

2つ目は、大物政治家・大隈重信との蜜月関係です。

大隈重信側の文書によると、明治9年(1876)に初めて諸戸清六に会ったと記録されており、
それ以降、少なくとも二度、大隈は招かれて桑名の諸戸邸を訪ねています。

清六は、国家機密ともいうべき紙幣と正貨の等価通用法が発令される直前に、
それを察知して巨利を得ましたが、裏には大隈の影があったと云われています。

また、後に、鈴鹿山脈や丹沢山地の山林を数千町歩を購入しますが、
これも清六が大隈の勧めに応じたものでありました。

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【「諸戸氏庭園」:楓】

次々と廻船業で稼いだ富を田畑・山林に投資した清六は、いつしか「山林王」と呼ばれるようになり、
その晩年には、東京の恵比寿・渋谷・駒場などにも宅地30万坪を有する大地主となりました。

稀代の政商として、一代で富と名声を手に入れた清六。
しかし、その一方では公共事業に私財を注ぐことを惜しみませんでした。

(・・・・次回に続きます)

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2009年8月10日 (月)

Long time no see!

ご無沙汰しています。

前回の更新から約1ヶ半月が過ぎてしまいました。

従来から更新頻度はのらりくらりでありましたが、
今回は最長のブランクではなかろうかと思います。

ブランクの理由は、自室のPCが不調に陥り、
メーカーの修理センター行きになっていた為なのですが、
この程、ようやく復活を果たしました。

えらく長い時間が掛かってしまいましたが、
本日より再開致しますので、宜しくお願いします。

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【近所の公園に居た雀】

今回のPCの病状は、起動後数分で突然プッツンと電源が落ち、
その後しばらくは作動しないというものでした。

メーカーの修理センターに電話で相談してみると、
『HDの不調かと思われますので、とりあえず本体を預かります』とのこと。

ならばと本体のみをメーカーの修理センターに送り、その後約2週間が経過。
あげくは『色々調べましたが、問題が見つからない』とそのまま帰ってきました。

なんかおかしいなとは思いつつ起動してみると、すぐに同じ症状が・・・・

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【花博記念公園の青サギ】

『どういうことや~!!』と怒り心頭で修理センターに電話すると、
『ひょっとしたら、電源アダプターが悪いかも?』ということになり、
再び、今度は本体とアダプターを一緒に修理センターへ。

結果はやはり、アダプターがアウト。

当初の症状でアダプター不良の可能性に気づいていたら、
このような二度手間にならずに済んだのですが、
当方の電気関係の知識は小学校低学年レベルなのでムリな相談。

最初に電話相談した修理センターの担当者が、その症状から推察してくれていたら・・・
と恨み節が出てしまいました。

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【ショッピングセンターで見かけたワンコ】

その上、当該のアダプターが欠品しており、新品の再入荷は8月末見通しとのこと。

『そんなには待てない!!』と少々ゴネて、
現在は、「部品貸し出し」という形で修理センターからアダプターを借りている状況です。

とまれ、PCが使えるというのは嬉しいこと。

この間塩漬け状態になっているネタを記事して、
これからボチボチUPしてゆきますので、よろしければまたお立ち寄り下さい。

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