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2009年6月28日 (日)

紫陽花の苑

6月24日(水)に、大阪から家人やって来たので、
かねてから行きたいと思っていた「なばなの里」を訪ねてみました。

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【水辺のチャペル】

「なばなの里」は、「ナガシマスパーランド」を経営する長島観光開発㈱が手がけた、花と緑のテーマパーク。

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【あじさい・花しょうぶ園】

約230,000㎡の広大な敷地を活かして、花壇や大温室は勿論のこと、
展望台・飲食施設・花市場・温泉入浴場など、多彩な施設が設けられています。

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【足湯】

大変評判の良い施設なので行かれた方も多いと思いますが、我われ2人は初めての訪問。

平日ではありましたが結構な人出で、お年寄りや家族連れ、若いカップルから外国人観光客まで、
様々な人たちで賑っていました。

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【お二人で】

入場料は、園内で使えるクーポン券\1,000分が付いて\1,500ナリ。
このクーポン券は金券として、園内の各施設で使えます。

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【お独りで】

ちなみに私達はコレを使って、昼食を頂きました。
園内に飲食店は8店舗ありましたが、パスタ好きの私の希望でイタリアンレストラン「麦」をチョイス。

前菜とパスタのSETで\1,300だったので、2人分の現金支払いは\600のみ。

薄めの味付けで家庭料理の様な感じでしたが、結構イケました。

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【野菜たっぷりのパスタ】

5月下旬~6月下旬までは、「あじさい・花しょうぶ祭り」が開催中で、
花菖蒲は見ごろを過ぎていましたが、紫陽花はなんとかまだ綺麗。

間に合った~という感じでした。

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【アカタテハ】

ここの紫陽花園はおそらく日本最大であろうかと思われますが、敷地面積はなんと8,000坪!
その広大な敷地に50種70,000株の紫陽花が植えられています。

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【緑色の紫陽花】

また、全長200mの「あじさいロード」には70種300鉢の珍しい紫陽花が並んでいます。

いつもの事ながら、品種の名前を控えていないので、
どれが何やら、写真を見てもさっぱり思い出せませんが、とりあえず綺麗でした。

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【 Purple and Green】

広い園内ですが、何処に行っても清潔で快適。
園内の飲食施設なども本格的で充実していました。

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【ピンクの八重咲き?】

そして、何と言ってもメインテーマである花自体の手入れが素晴らしい。

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【シオカラトンボ】

以前の記事で、「ナガシマスパーランドは純国産レジャーランドの雄」と書いたことがありますが、
ここでも、「やりますなぁ~長島観光開発!」と改めて思った一日でした。

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2009年6月 7日 (日)

頑張る商店街

桑名市の中心市街地にある寺町通り商店街を訪ねてみました。

寺町通り商店街は、JR・近鉄桑名駅から東へ約800mのところにある歴史ある商店街。

中心市街地を南北に走る寺町通りに架けられた、
約200mのアーケードの下に48店舗が軒を並べています。

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【寺町通り商店街①】

16世紀後半に建てられたといわれる真宗大谷派別院(通称・桑名御坊)をはじめ、
近隣には10ヶ所以上の寺院があるところから、門前町商店街として発展してきました。

第2次世界大戦の空襲で一時は焼け野原となりましたが、
戦後急速に近代化が進み、昭和32年(1958)にはアーケードが完成。

その後は、桑名市の中心商店街としての役割を果たしてきました。

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【寺町通り商店街②】

時代が平成に入ると、他の都市の商店街同様、相次ぐ大型SCの出店や、
顧客の高齢化、消費ニーズの多様化などの波に呑まれ、集客減・空床増などの問題を抱えることに。

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【寺町通り商店街③】

しかし、此処の商店主さん達は様々な振興策を打ち出し、この難局を乗り切ることに成功しました。

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【寺町通り商店街④】

桑名の歴史的な町並みにマッチしたアーケードの整備などのハード面の整備、
チャレンジショップの展開や定期市の開催などのソフト面側の努力によって、
現在は地方の「元気のある商店街」「復興の好事例」として知られる程になっています。

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【寺町通り商店街⑤】

多くの地方商店街が苦悩する中、この商店街が復活できたのは、
商店主さんの熱意、振興組合の高い組織力、行政等による支援体制の充実は勿論のこと、
半径2Km以内といわれる足元のお客さんの「わが商店街」に対する思いがあってこそだと思います。

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【花菖蒲:九華公園】

最新のファッションや高級ブランドは揃っていません。
安さでも大手チェーン店には勝てないでしょう。
しかしながら、なじみのお店で話をしながら、ゆったり安心して買い物ができる。
そんな雰囲気に満ちた商店街でした。

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2009年6月 1日 (月)

西美濃の水都

5月29日に、岐阜県の大垣市を訪ねました。

大垣市が位置する西美濃地方は、都が置かれた京畿地方に近く、
岐阜県では最も古くから栄えた地域で、東海道・東山道の重要な回廊でもあり、
東西の文化の接触地帯となってきました。

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【船町港跡】

特に関ケ原付近は古くから東西交通の要衝で、軍事上からも重要な位置を占めており、
東山道方面に対する京畿の守りとして、古代律令制下の三関の一つ、不破関が設けられたことや、
天下を二分した壬申の乱や関ケ原の役が当地付近で戦われたことはよく知られています。

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【船町港の住吉灯台】

大垣の開発は奈良時代、東大寺領大井荘となったのが始まりとされています。
大垣の名が文献に登場するのは暦応3年(1340)の東大寺文書に「大柿」とあるのが初見で、
当初、漢字による表記は大垣と大柿が併用されていたようです。

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【水門川】

文安の頃(1444~49)、大垣氏が砦を構えて東大寺城と称しましたが、
後に大垣城と呼ばれるようになりました。

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【大垣城天守①】

天文4年(1535)、美濃の守護土岐氏が城郭を増強。

永禄6年(1563)には、氏家直元がそれまで本の丸と二の丸だけであった城郭を拡張し、
その後、池田恒興・羽柴秀次・羽柴秀長・加藤光泰・一柳直末・羽柴秀勝らが相次いで入城しました。

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【大垣城天守②】

慶長元年(1596)に城主となった伊藤祐盛が天守を造営、
当地が城下町としての形を整え始めたのも、この頃からだと思われます。

慶長5年(1600)の関ヶ原の役では、石田三成率いる西軍の拠点となりましたが、
東軍が当城を無視して進軍したことにより、
急遽、戦場が北方の関ヶ原へと移ったため、城郭は無傷で残ることに。

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【大垣城内柳口門】

関ヶ原以後も、石川氏・松平氏・岡部氏・再び松平氏と、
大垣城には徳川譜代の大名が相次いで入城しました。

寛永12年(1635)、戸田氏鉄が攝津尼崎から10万石で移封してからは、
幕末までの約200年間、戸田氏が11代続けて城主となりました。

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【戸田氏鉄騎馬像】

明治6年(1873)に発布された廃城令により廃城となりましたが、
天守などの城郭群は解体を免れ、昭和11年(1936)には旧国宝の指定を受けます。

しかしながら、昭和20年(1945)の7月29日、米軍による空襲で焼失。

現在の天守は昭和34年(1959)、乾櫓は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリートによって復元されたものです。

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【大垣城西門】

江戸期の大垣は、戸田氏の安定した治世の下で、
美濃国最大の城下町に発展してゆきます。

もともと大垣城下は水陸の交通の便がよい土地柄。

中山道・垂井宿と東海道・熱田宿を結ぶ美濃路の宿場町、
また、揖斐川水運の湊町としての機能を併せ持っていました。

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【水門川】

美濃路の終点となる大垣宿は、天保期の「宿村大概帳」によれば、
戸数903、人口5,136、旅籠11、本陣1、脇本陣2、問屋場1、助郷村22を擁する大宿場町。

また、戸田氏鉄により大垣城の外堀として築かれた水門川は、
揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割も持っていました。

松尾芭蕉の奥の細道のむすびの地は大垣船町にあり、
芭蕉は船町から水門川を船で下り、桑名宿経由で江戸に戻っています。

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【奥の細道結びの地案内板】

現在でも水門川の一部を大垣運河と呼ぶ場合があり、
川湊であった船町港には住吉灯台が今も残っています。

大垣市船町と桑名市を結ぶ水運は明治以降も盛んで、
明治16年(1883)には蒸気船による定期航路も開設され、
名古屋(熱田)~桑名~大垣が結ばれていました。

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【大垣市郷土館】

大正8年(1919)4月27日、養老鉄道(現在の養老鉄道とは別会社)により、
この航路に並行して桑名駅~揖斐駅(現在の養老鉄道養老線)が開通すると、
蒸気船の利用客は激減しますが、それ以外の川舟の利用はまだ多く、
昭和初期には年間1万隻の川舟が行き来していました。

蒸気船の定期航路は昭和26年(1951)頃で廃止となり、
盛んだった川舟もモータリゼーションの波に呑まれ、やがて廃れてゆきました。

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【郷土館の庭園】

明治期になると、県庁誘致の失敗、度重なる大水害や濃尾大震災により人口は激減。

大垣にとっては低迷の時期とななりましたが、
明治33年(1900)の木曽三川分流工事以降は水害も減り、
紡績会社が進出するなど近代工業都市へと変貌。

大正7年(1918)には市制が施行されるに至りました。

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【大垣城二の丸跡に鎮座する濃飛護国神社】

太平洋戦争末期の昭和20年(1945)7月29日の空襲で、
大垣城天守とともに市街地の大半を焼失しますが、
戦後も、主な産業を軽工業から重工業、情報産業へと移行させながらも、
引き続き工業都市として発展、現在に至っています。

平成21年(2009)現在では、人口は16.5万人。
岐阜県下第2の都市となっています。

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【郭町自噴水公園「大手いこいの泉」】

近年は、揖斐川の豊富な伏流水がもたらす自噴水がマスコミ等で紹介されるようになり、
大垣が「水の都」であることが全国的に知られるようになりました。

大垣市内には10ヶ所程に自噴水井戸が設けられており、
おいしい水を求めて岐阜県内は勿論、名古屋や遠く関西方面から、
沢山の人々が水を汲みに来られるそうです。

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【大垣駅郭町商店街】

大垣市。

正直言うと、こちらに転勤してくる前は、全く印象の薄い街でした。
今回訪れて、水と緑が豊富な美しい街だということが解り、
「日本には良い所が沢山あるなぁ」と改めて実感した次第です。

長い歴史に培われた街並みや文化財、豊富な水資源など、
観光資源には恵まれているので、もっと行政が広報に力を入れれば、
閑古鳥鳴く市内中心部も活性化するのではと思いました。

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