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2009年5月 8日 (金)

勢州の城下町

今回は松阪のお話。

松阪市は三重県のほぼ中央に位置し、
東は伊勢湾、西は台高山脈と高見山地を境に奈良県に、
南は多気郡、北は雲出川を隔てて津市に接しています。

平成17年の国勢調査によると、松阪市の総人口は168,973人で、
県下では4番目の人口規模。

特産品の松阪牛は、日本国内は勿論、世界中にその名が知られています。

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【創業明治35年・松阪牛の「牛銀」本店】

しかし、なにぶん単独でのブラブラ散歩。

下戸のおっさんが一人ぽつんと、
ビールも飲まず、すき焼きを黙々と食っている図は、
なんだか格好悪くて気が引けたので、今回は体験記はナシ。

松坂牛は又の機会、家族と来たときにでもレポートしたいと思います。

ということで、今回も相変わらずの歴史散策にお付き合い下さい。

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【松阪城址石垣①】

松阪市の中心市街の歴史は400年以上前の、
蒲生氏郷(がもううじさと)による松阪城築城に始まります。

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【松阪城址石垣②】

天正12年(1584)、氏郷が豊臣秀吉の命を受け最初に入城したのは、
現在の市街地の北方にあった平城・松ヶ島城でした。

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【松阪城址石垣③】

しかし、城下が手狭だった松ヶ島城を嫌った氏郷は、
飯高郡矢川庄(当時)にあった独立丘陵に目をつけ、その地に新城の建設を計画。

突貫工事で天正16年(1588)に完成させた平山城が現在の松阪城です。

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【松阪城址石垣④】

本丸、二の丸、三の丸、きたい丸、隠居丸、出丸といった郭の構成で、
本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸は高い石垣、三の丸には土塁が築かれました。

天守台は中央よりやや西寄りあり、此処に三層の天守がそびえ、
それをとり巻いてそれぞれの郭に敵見、金の間、月見等の櫓が配されていました。

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【石垣上の緑】

氏郷が会津若松に移封になった後は、
天正19年(1591)に服部一忠、文禄4年(1595)には古田重勝が城主となりました。

その後、元和5年(1619)に松阪藩は廃藩となり、
以降、領地は紀州藩領に組み入れられ、
松阪城には勢州領18万5千石を統轄する城代が置かれました。

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【天守閣跡】

紀州藩領下の松阪城に関しては、江戸時代前期の史料に、
正保元年(1644)の台風のため、天守が倒壊という記述が残っています。

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【武家長屋「御城番屋敷」】

高い石垣と三層の天守を持つ築城当時の姿は、
さぞ壮観であっただろうと思われますが、
台風で天守は崩れ、その後の失火で郭群が消失、
残った城門なども明治初めに取り壊されてしまいました。

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【松阪城址の藤】

そして、明治14年(1881)には、現在へとつながる城跡公園として整備され、
往時の姿を留めるのは、壮大な石垣のみとなっています。

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【松阪城址より市内を望む】

その城址公園の一角にあるのが、松阪出身の偉大なる学者・本居宣長の記念館。

隣地には旧宅も移築され、一般に公開されています。

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【本居宣長旧宅】

本居宣長(幼名・小津富之助)は享保15年(1730)、
父・小津三四右衛門定利と母・勝の間に生まれました。

小津家は宣長から4代前の七右衛門の頃に江戸店もちの木綿商となった、
松阪・小津党の中でも最も有力な商家の一つでした。

松阪は江戸時代、「松阪商人」を輩出した商業の町でもあったのです。

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【土間:本居宣長旧宅】

しかし、宣長が家督を継ぐころには店も窮地に陥り破産寸前。
このため、宣長の将来を案じた母・勝は宣長を医師にする決心をします。

母の志を受けた宣長は23歳のとき京都へ上り、
28歳までの5年半の間に医学を修めるかたわら、
日本の古典文学についても勉強しました。

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【座敷:本居宣長旧宅】

姓を本居、名を宣長、字を春庵と改めたのもこのころで、
後年の業績の基礎はこの時期に築かれたといわれています。

宣長の業績については、「古事記伝」に代表される古事記研究や、
「源氏物語玉の小櫛」などの古典文学研究が有名ですが、
かく云う私自身は、敷居が高過ぎて解説書すら読んだ事がありません・・・。

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【「鈴屋」(2F書斎):本居宣長旧宅】

本居宣長旧宅は、彼が12歳から72歳で没するまで60年間を暮らした屋敷で、
明治42年(1909)に魚町(松阪市内中心部)から、保存のため現在地に移築されました。

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【魚町の本居宣長宅跡】

宣長が生まれ育った小津家のような「松阪商人」の始まりも、
蒲生氏郷の松阪城築城に遡る事が出来ます。

氏郷は築城と同時進行で、城下町の建設も積極的に取り組み、
城付近の大手町には松ヶ島城下の家蔵方を移住させ、
町の中央には近江日野の商人を、湊町には伊勢大湊の豪商を呼び寄せました。

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【資料館「松阪商人の館」】

これらの商人が商ったのが「松阪木綿」と呼ばれる綿織物。

松阪近郊を流れる櫛田川下流のデルタ地帯では、
古代より伊勢神宮奉納の神御衣を織る技術が伝承されており、
その織物技術の基盤の上に中世末以降はに綿花栽培が普及し、
当地は綿布の産地となっていました。

色褪せせず丈夫であった松阪木綿は、伊勢神宮参宮客によって全国に宣伝され、
また紀州藩の財源として保護奨励を受け、大ヒット商品となりました。

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【縁側:松阪商人の館】

その松阪木綿を江戸で売りさばいていたのが「松阪商人」です。

宣長の小津家や長谷川家など数々の豪商がいましたが、
その出世頭といえるのは、丸に井桁の三井家ではないでしょうか。

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【土間:松阪商人の館】

創業者・三井高利は寛文13年(1673)に江戸に初進出。(屋号は越後屋、現在の三越)

現金掛け値なし、反物切り売りなど、当時としてはモダンな商い手法を導入して繁盛し、
その資金で京都で両替商も開業、これが後世の三井家の事業の柱となってゆきます。

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【箱階段:松阪商人の館】

初代高利の死後、その遺産は子供たちの共有とされ、
三井一族の統括機関である「三井大元方」が設立されます。

三井家は「三井家憲」の下に固い結束を誇り、
この体制は幕末の激流をも乗り越え明治以降も連綿と続いてゆきます。

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【座敷:松阪商人の館】

太平洋戦争後の昭和22年(1947)の財閥解体を契機に、
同族支配による多角経営を特徴とする形態は解消となり、
現在の企業連合体としての三井グループが形作られました。

松阪城の東、市内中心部を流れる阪内川の南方に「三井家発祥の地」が今も残っていますが、
残念ながら内部は公開されていませんでした。

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【庭:松阪商人の館】

その代わりという訳ではないのでしょうが、「三井家発祥の地」から100m程のところに、
資料館「松阪商人の館」として、小津清左衛門の屋敷が公開されています。

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【凧:資料館「まどいのやかた見庵」】

太い柱と梁に支えられた広大な屋敷は風格十分。

三井家と当時の富豪番付で争ったと云われる小津家の繁栄を、
肌で感じられる施設でした。

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【資料館「まどいのやかた見庵」】

初めて訪れた松阪。

今でも城下町の面影を色濃く残した街並みは風情たっぷりで、
一人ブラブラ散歩しているだけで、本当に落ち着いた気分になれました。

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【松阪市内・松名瀬海岸付近】

また、街ぐるみで観光には力を入れているようで、
近鉄松阪駅前にある観光案内所には、市内マップや資料が充実していて、
訪れる人に大変親切な街であるという印象を受けました。

歴史があり、見所がいっぱいの松阪。
また、ふらっと行きたくなる、そんな街でした。

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コメント

松阪市は車で通過したのみで・・・・
このあたりは古い町並みが残っているんですね
伊勢神社そばで伊勢うどん食べた記憶があります
うどんに甘辛いしょうゆかけてありました


松阪牛のすき焼き
創造しただけでヨダレが・・・( ̄~; ̄)

投稿: のら | 2009年5月 8日 (金) 22時55分

松阪・・・・実はあんまり良い思い出がありません(すみません)。
まだ息子たちが小さかった頃、私の父母と義母も一緒に和田金という超有名店へ行ったんですけど・・・・
あきらかに「身分不足」と思われたのか、実にぞんざいな扱いを受けました。
受け持ちの仲居さんはふんぞり返ってましたよ(笑)
お肉は高いだけであんまり美味しくなかったです(>_<)

でも町並みはこんなに美しいのですね~
ひっそりとしたあまりお高くない、そして気分の良いお店で肉そばでもすすりたいです(笑)

投稿: きょんち | 2009年5月 9日 (土) 08時42分

のらさん
いつも有難うございます。
松阪牛食べたかったけど、一人じゃ気が引けました。
伊勢うどんは太くて腰がないので、
一度食べたらもういいかなぁ

投稿: yufuki | 2009年5月10日 (日) 17時43分

きょんちさん
和田金ほどの超有名店で、そのもてなしは辛いですね。
飲食店は接客の良し悪しで、
美味しさが倍になったり、半分になったりします

投稿: yufuki | 2009年5月10日 (日) 17時47分

松坂へはこれまで数回行っていますが落ち着いたいい街ですね。
三重県は近畿圏だと思われるようですが中部圏です。
東海三県は愛知・岐阜・三重ですから。
伊勢へ行った帰りにこの松坂に寄ることにしています。

投稿: sansenkiso | 2009年5月11日 (月) 06時45分

sansenkisoさん
コメント感謝です。

松阪は今回が初めての訪問でしたが、
すっかり気に入ってしまいました。

まだ、行けてない所が沢山あるので、
是非、再訪したいと思います。

投稿: yufuki | 2009年5月11日 (月) 14時08分

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