47番目の宿場
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先月28日のお話。
三重県亀山市に行ってきました。
現在の亀山市は、某家電メーカーの「亀山モデル」が全国に知られているように、
どちらかというと新興工業地域というイメージですが、
元来は宿場町として大いに栄えた地域でした。
江戸期、現在の亀山市域には東海道46番目の宿場・亀山宿と、
47番目の宿場・関宿が置かれていました。
中でも関宿は東海道と伊勢別街道の分岐点にあたり、
参勤交代の大名行列やお伊勢参りの旅人で大変賑わいました。
東海道の宿場町の殆どが旧態をとどめていない中にあって、
関宿は江戸時代から明治初期に建てられた古い町屋が200軒以上現存しており、
往時の姿を色濃く残す地域として、毎年多くの歴史ファンが訪れています。

【関宿:「旅人宿 石垣屋」】
関宿の範囲は東追分(ひがしのおいわけ)から西追分(にしのおいわけ)までの約1.8kmの区間。
この区間は、昭和59年(1984)には旧文部省から「重要伝統的建造物群保存地域」に、
また、昭和61年(1986)には旧建設省から「日本の道百選」にそれぞれ選定されており、
歴史的景観保護に力点を置いた町づくりが官民一体となって行われています。
鈴鹿山脈の南山麓に位置する「関」が歴史に登場するのは、
7世紀に「鈴鹿の関」がこの地に置かれて以来のことです。
「鈴鹿の関」は、岐阜県の「不破関」(ふわのせき)、
福井県の「愛発関」(あらちのせき)とともに、
古代律令制で定められた「律令三関」(りつりょうさんげん)の1つで、
「関」という地名もそこから来たものだと思われます。
「鈴鹿関」の設置年代は不明ですが、「日本書紀」にもその記述が認められ、
古代から畿内防衛の要衝として、重要な地域であったようです。
その後、慶長6年(1601)に徳川幕府が宿駅の制度を定めてからは、
先述したように、東海道屈指の宿場として大いに賑わいました。
天保14年(1843)の記録には、屋敷が632軒、本陣2軒、脇本陣2軒、
その他にも、旅籠が42軒、酒食店は99軒あったと記されています。
関宿の東口は東追分と呼ばれ、ここから東海道と伊勢別街道が分岐していました。
写真の鳥居は伊勢神宮を遙拝するためのもので、
20年に1度の伊勢神宮式年遷宮の際には、
内宮の宇治橋南詰の鳥居を移設するのが習わしとなっています。
鳥居の近くには、「これよりいせへ」「外宮まで15里」と刻まれた石の道標、
また、その脇にはお伊勢参りの旅人や大名行列を照らした常夜灯があり、
当時のままの姿で現代の旅人を迎えてくれます。
東追分から街道を西へ進み、北へ少し入ったところには関神社があります。
7月下旬の二日間に執り行われる関神社の祭礼では、
絢爛豪華な曳山が町内を練り歩きます。
曳山は江戸期には16台あったそうですが、今でも4台が現役で活躍しています。
現在使われている「これ以上望めない」という意味の「関の山」という言葉は、
当地の曳山が余りに立派であったことから生まれた言葉だそうです。
関神社から街道へ戻り西へ進むと、
関宿屈指の旅籠であった「玉屋」の建物があります。
建物自体は亀山市の重要文化財として修復・保存され、
内部は日本初の旅籠資料館「関宿旅籠玉屋歴史資料館」として公開されています。
旅籠で使われていた調度品や道具の数々、庶民の旅に関係する歴史資料、
歌川広重の浮世絵などが豊富に展示されていました。
当時のままの貴重な資料から、江戸期の旅の様子を覗い知る事が出来ました。
宿場のほぼ中央には、親しみを込めて「関の地蔵さん」と呼ばれる、
西国愛染十七霊場第10番札所「地蔵院」があります。
行基上人が、天平13年(741)に諸国に流行した天然痘から人々を救うため、
当地にお地蔵様を刻んで安置されたのが開基だと伝えられています。
日本最古と言われる地蔵菩薩坐像は、
「関の地蔵に振袖着せて 奈良の大仏婿に取ろ」
と歌われたほど、地元の人々から愛されているお地藏様です。
東追分から入ると、宿場の終点は西追分。
ここからは、東海道と大和・伊賀街道が分岐していました。
大和・伊賀街道は鈴鹿峠を越え、伊賀上野を通り奈良に至る道。
奈良に向かう旅人は、西追分から鈴鹿峠を見上げ、
この先の道の険しさを想い、当地で身体を休めたことでしょう。
今回紹介したスポットの他にも、宿場内には見所がいっぱい。
資料好きの方には、先程紹介した「関宿旅籠玉屋歴史資料館」の他にも、
伝統的な町屋を保存公開している「関まちなみ資料館」があります。
また、その他にも創業370年を数える和菓子の老舗「深川屋」や、
築195年の薬局を改造したカフェ&アンティークの「ギャラリー綾羽」など、
女性に人気のスポットも多数。
テーマパーク的な「町並み保存」ではなく、そこに人の暮らしを残しながら、
歴史的景観を維持してゆくのは、さぞや大変だろうと思います。
地元の方々の見識とご苦労に敬意を表したいと思います。
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コメント
こんばんは、お仕事忙しいですか?
関宿には数年前に鈴鹿へ行った帰りに寄ったことがあります
見慣れた町並みを見るのもいいものですね
投稿: のら | 2009年5月 4日 (月) 01時19分
おはようございます!
ここ行ってみたいんですよ・・・・本当にテーマパークではなく、ちゃんと生活されているのが素晴らしいです。
今まで色々な保存家屋を見ましたが、お蒲団が敷かれてるのは初めてです\(◎o◎)/!
なるほど~昔懐かしい?色柄ですねぇ。
寒がりの私には、冬は厳しそうです(泣)
投稿: きょんち | 2009年5月 4日 (月) 07時26分
なんと関宿ってきれいな町並みですね。
住民の方がものすごくこの町を大事にしているのでしょうね。
道路の舗装にも気使いが感じられます。
気持ちがいいですね。
投稿: 八手八郎 | 2009年5月 5日 (火) 10時34分
のらさん
いつもコメントありがとうございます。
転勤後、一ヶ月が過ぎ、仕事は相変わらずバタバタですが、
生活のほうは落ち着いてきました。
関宿は、初めて行きましたが、
本当に落ち着いたいい町並みでした。
投稿: yufuki | 2009年5月 7日 (木) 13時32分
きょんちさん
レス、遅くなりました。
ここは保存地区にありがちな、よそよそしさが無く、
生活感が感じられて、ホント、いい町だと思いました。
お布団は、旅籠の資料として展示されていたものです
投稿: yufuki | 2009年5月 7日 (木) 13時37分
八手八郎さん
コメントありがとうございます。
歴史的な景観はもちろん魅力ですが、
その他の努力も素晴らしいと思いました。
ごみ一つ見当たらないぐらいに当にきれいな街で、
地元の人のご苦労に敬意を表したくなりました。
投稿: yufuki | 2009年5月 7日 (木) 13時43分
久しく関も行ってないだけに懐かしい感じがします。
投稿: ケン | 2009年5月 8日 (金) 11時57分
ケンさん
私は初めての訪問だったのですが、
昔を知る方はどのように見えるのでしょうか。
やはり、生きている街なので、少しづつ変わってるんでしょうね。
投稿: yufuki | 2009年5月10日 (日) 17時50分
いい写真ですね。
町の雰囲気がすごくわかります。
ひとつ訂正ですがブログ内に
【関宿:旅籠石垣屋跡】 と書かれてますが
今年3月にオープンしたばかりです。
個人旅行者向けの宿
『旅人宿 石垣屋』です
http://ishigakiya.tyonmage.com/
次回、関宿に来られるときはぜひお立ち寄りください。
投稿: たくや | 2009年6月 9日 (火) 21時09分
たくやさん
ご指摘ありがとうございました。
記事のほうは早速訂正させて頂きます。
ご迷惑をお掛けしました。
投稿: yufuki | 2009年6月13日 (土) 15時17分