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2008年11月22日 (土)

日本一の商店街

先日、社用で帰阪した際に、久しぶりに天神橋筋商店街を訪れてみました。

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天神橋筋商店街は、名実共に大阪を代表する商店街。

北は淀川にかかる長柄橋付近から、南は中之島にかかる天神橋付近まで、
総延長約2.6kmにわたり、ほぼ直線に延々と続く日本一長い商店街です。

その歴史は古く、300年ほど前の江戸時代中期にはすでに、
大阪天満宮の門前町として栄えていました。

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【天神橋二丁目商店街】

大阪天満宮の創始は天暦3年(949)。

以来、門前に自然発生的に形づくられた商店街は、
承応2年(1635)の「天満青物市場」の開設によって大きく発展することとなりました。

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【参道提灯:天神橋二丁目商店街】

その後、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱や昭和20年(1945)の大阪大空襲など、
幾度の苦難に見舞われながらも、当地の商人(あきんど)は力を合わせて難局を乗り切ってきました。

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【天神橋三丁目商店街】

そして、今日も古き良き大阪の下町情緒を色濃く残した商店街として、
府下はおろか、近畿一円から大勢の買い物客を集めています。

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【天神橋三丁目商店街】

天神橋筋商店街とは、実は9つの商店街を総じた通称。

南から北へ、天神橋一丁目商店街、天神橋二丁目商店街、
天神橋三丁目商店街、天満南街商店会、天神橋筋四番街、天四北商店会、
天神橋五丁目商店街、天五中央商店会、天六商店街と続いており、
その間に衣料品・食料品・飲食店など、大小800店舗以上の多種多様なお店が立ち並んでいます。

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【天神橋五丁目商店街】

その中でも飲食店はとりわけ有名で、行列が出来る人気店が目白押しです。

私のお勧めは、天神橋五丁目界隈にある寿司屋さん。

人気店の「春駒」「奴寿し」「すし政」などは、
寿司好きが集まると「何処が一番安くて旨いか?」で論争が起り、派閥が出来るほど。

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【すし政】

私はどちらかと言うと「奴派」ですが、実際は甲乙付けがたいというのが正直なところ。

酒を飲めない私と家人二人だと、3店の何処に入っても\5,000もあれば、
新鮮でおいしい寿司が腹いっぱい食べられます。

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【春駒】

この日も、久しぶりに「奴」で寿司を食べたかったのですが、
一人で食べたことが家人に知れるとマジに怒られるので、お店の写真だけで我慢しました。

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【奴寿し】

人気の寿司屋がひしめく天神橋五丁目商店街から東に少し入ったところに、
かつては「天満青物市場」が置かれていました。

「天満青物市場」は当初、石山本願寺(現・大阪城公園)付近にありましたが、
承応2年(1635)頃に当地へ移転したと伝えられており、
その後は、堂島の米市場(大阪市中央区)、雑喉場の魚市場(同西区)と並び、
大阪三大市場の一角として、青果物の取り扱いを長年一手に独占してきました。

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【路地:天神橋筋四番街付近】

その後、明治・大正になっても大阪随一の青物市場として栄えていましたが、
大正6年(1931)に東洋一の規模を誇る大阪市中央卸売市場(福島区)が設立されると、
「天満青物市場」は雑喉場の魚市場と共に、そこに統合されることとなりました。

統合後も跡地は「天満卸売市場」として残り、30年程前までは賑わいが続いていましたが、
食品の流通経路と消費者の買物スタイルの変化で、近年の客足は減少の一途だったようです。

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【現天満卸売市場】

その後、平成14年(2002)には、老朽化した旧市場を取り壊して高層化する再開発工事が始まり、
3年後の平成17年(2005)、新生天満市場「ぷららてんま」(再開発ビル)がオープンしました。
(撮り忘れの為、写真なし)

「ぷららてんま」には、旧市場権利者により運営されている店舗・業務用スーパー、
市場外部からの食料品以外の医療、サービスなどの幅広い新店舗が出店しており、
上層階(6~28F)には都市再生機構の賃貸住宅294戸が入居しています。

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【旧天満市場界隈①】

実は十数年前まで、私の父親もこの地で青果卸業を営んでいました。

その関係で、幼い頃から何度も訪れたことのある馴染み深い場所のはずなのですが、
再開発以降は知らない場所に来たようで、一抹の寂しさは拭えません。

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【旧天満市場界隈②】

しかしながら、再開発ビル周辺の一部にはかろうじて昔の雰囲気が残る区画もあり、
威勢の良い呼び込みの声と値段の安さは昔のまま。

その姿は変われども、大阪の台所を支える心意気は感じられました。

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【天神橋筋五丁目の人気串カツ店「七福神」:生ビール一杯目\100】

天満市場から国道2号線を超えて南へ下ると、この界隈の繁栄の基となった大阪天満宮が鎮座しています。

大宰府天満宮・北野天満宮とともに日本三天神として全国にその名を知られており、
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭には、毎年13万人以上の観光客が押し寄せます。

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【天六商店街】

大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけでも7度の火災に遭い、
なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724)の妙知焼け(※1)や、
大塩平八郎の乱による天保8年(1837)の大火では全焼しています。

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【大阪天満宮拝殿】

現在の本殿は、氏子衆や崇敬者の献身的な奉仕によって、
大塩の乱の6年後、天保14年(1843)に再建されたものです。

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【祈願】

先の大戦の大阪大空襲の際には、この付近は一面の焦土と化しましたが、
この本殿は焼けずに残りました。

それは、氏子の方々が自分の家が焼けるのを横目に見ながら、
「天神さんを焼いたらあかん」と懸命に消火活動をされたおかげだそうです。

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【天満宮神職】

この日の境内には、老若男女・多種多様な人たちが曳きも切らさずお参りされ、
また、七五三のご家族連れも多数見受けられました。

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【七五三参り】

社殿は質素で、あの天神祭りのお宮さんかと思うと地味な感じさえしますが、
天満の天神さんは、大阪人の心にしっかりと根付いているようでした。

(※1)
享保9年3月21日正午、堀江橋通り3丁目から出た火は、
強風にあおられて燃え広がり、翌22日夕方まで鎮まらず、
当時の大阪三郷(北組・天満組・南組)の7割を焼きつくしました。
焼けた家屋1万1千戸、死者約300人。
火元の女性の名が妙知だったので「妙知焼け」と呼ばれています。

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