« 2008年9月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年11月26日 (水)

世のちり洗う四万温泉

先週の19日(水)~20日(木)に、久しぶりに温泉に出かけました。

訪れたのは、群馬県の北西部、吾妻郡中之条町にある四万(しま)温泉郷。

草津・伊香保と並んで上州三名湯と称される温泉地で、
群馬県の誉れを集めた「上毛かるた」にも、「世のちり洗う四万温泉」と詠まれています。

T_imgp8794
【四万温泉郷:ゆずりは地区付近】

群馬・新潟県境、三国山脈に源を発する四万川の両岸3kmの間に、
5つの地区、温泉口・山口・あらゆ・ゆずりは・日向見に分かれて広がる四万の街並みには、
歓楽的な雰囲気は一切無く、湯治場の風情を色濃く残す温泉郷として高い支持を得ています。

平成17年(2005)には、NHKで放映された朝の連ドラ「ファイト」(主演:本仮屋ユイカ)の舞台となり、
全国的にもその名が知れれるようになりました。

T_imgp8747
【国宝:日向見薬師堂】

開湯の伝説は古く1,000年以上前にまで遡ります。

時は延暦年間(782~806)。

大江山の鬼退治で有名な源頼光の家臣で、
渡辺綱・坂田金時・卜部季武と共に四天王として名を馳せた日向守・碓氷貞光が、
越後から上野国に向う途中でこの四万の地を訪れました。

山の佇まいや谷川の響きに心を澄まし、貞光が一心に読経していると、
夢うつつとなった夜半の頃に童子が現れ、神託を授けました。

「汝が読経の誠心に感じて四万(よんまん)の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり」

目が覚めてみると、神託通りにお湯が湧き出していました。

T_imgp8759
【四万温泉発祥の地「御夢想之湯」①】

そのお湯が四万最奥にある「御夢想之湯」と伝えられており、
今もこんこんと湧き続けています。

T_imgp8756
【四万温泉発祥の地「御夢想之湯」②】

四万の源泉は全部で43ヶ所。

湧出形態は、3ヶ所が堀削源泉で、その他40ヶ所はすべて自然湧出となっており、
全体の湧出量も毎分約3,500ℓあり、強い温泉力を誇っています。

T_imgp8739
【県重要文化財「湯宿」:積善館本館】

泉質は重炭酸土類泉と呼ばれるもので、平均pHは7.7。
最近の調査では、60年以上もの時をかけて地表にわき出ていることが分かっています。

T_imgp8787
【塩の湯飲泉所】

長い年月をかけて湧き出たお湯には、カルシウム・ナトリウム・マグネシウムなどの土類イオンが豊富に含まれ、
効用としては、鎮静作用や炎症を抑える働きがあるそうです。

T_imgp8795
【奥四万湖】

また、たっぷりミネラルを含んだお湯には、フルーツ酸の含有も認められています。

フルーツ酸は、老廃物を取り除き、肌に透明感を与えると言われている成分で、
美容業界で最も注目されている成分の1つだそうです。

T_imgp0364
【四万温泉口の碑】

環境省は、温泉利用の効果が充分期待され、かつ健全な温泉地としての条件を備えている温泉地を、
温泉法14条に基づいて、国民保養温泉地(全国89ヶ所)と定めていますが、
ここ四万温泉は、昭和29年(1954)に酸ヶ湯温泉(青森県)、日光湯元温泉(栃木県)とともに、
当時の管轄官庁であった厚生省から国民保養温泉地第1号の指定を受けています。

T_imgp8735
【清流・四万川】

国民保養温泉地に指定される条件は、以下のとおり。

・温泉の効能が顕著であること
・湧出量が豊富であること
・利用上適当な温度を有すること
・環境衛生的条件が良好であること
・付近一帯の景観が優れていること
・適切な医療施設及び休養施設を有するか将来施設し得ること
・医学的立場から適正な温泉利用、健康管理について指導を行う顧問医が設置されていること
・交通が比較的便利であるか又は便利になる可能性のあること
・災害に対し安全であること

これらをクリアしなければ、指定を受ける事が出来ず、
環境省の指定温泉一覧を見ると、
全国的な知名度があっても、観光温泉は入っていないようです。

T_imgp0378
【県指定天然記念物:四万の甌穴①】

また、健康と温泉フォーラム(NPO法人)が「温泉療法医がすすめる温泉」として選定した温泉一覧、
名湯百選」にも選ばれており、四万のお湯の効能は各界でお墨付きを受けています。

T_imgp0373
【県指定天然記念物:四万の甌穴②】

去年の9月に群馬県に赴任して以来、北関東の温泉地としては、
草津伊香保磯部鬼怒川に続いて、今回の四万温泉で5ヶ所を巡りました。

私の個人的な感想としては、
温泉街としての充実度や楽しさは草津温泉が一番でしたが、
事、「お湯」という点ではこの四万温泉が一番気に入りました。

熱いお湯が好みの私にはぴったりの温泉。
源泉の温度は平均して50~60℃程度、高いところでは90℃にもなるそうです。

T_imgp0403
【お猿】

今回、お世話になったお宿は、ゆずりは地区の中ほどにある旅館「やまの」さん。
清流・四万川に面した全5室のこじんまりした湯治宿です。

明るくはきはきとお話される若女将さんの気持ちの良い接客と、
手作り感あふれるお料理には、家人ともども大満足。

T_r0010482
【やまの旅館】

また、ご主人は元・写真屋さんだったようで、
館内には四万付近の動植物や風景を写した美しい作品や、
歴史を感じる写真機材が飾れており、写真好きの私にはぴったりのお宿でした。

T_r0010489
【共同浴場「上之湯」①】

宿のお湯の他にも、四万温泉郷には寸志で入浴可能な共同浴場があります。

四万発祥のお湯である日向見地区の御夢想の湯、あらゆ地区の河原の湯、山口地区の上の湯、
そして、今回は入れませんでしたが、四万川の河原にある山口露天風呂の4施設で、
小規模ですが、それぞれ特徴のある共同浴場を巡るのも楽しみの一つだと思います。

T_r0010499_3
【共同浴場「上之湯」②】

周囲にはこれといった見所もなく、有るのはただ山と川、そしてお湯だけ。
しかし、それ以外のものは何もいらないと思わせる温泉郷でありました。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
ランキング参加中につき、宜しければクリックください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月22日 (土)

日本一の商店街

先日、社用で帰阪した際に、久しぶりに天神橋筋商店街を訪れてみました。

****************************************************************************************

天神橋筋商店街は、名実共に大阪を代表する商店街。

北は淀川にかかる長柄橋付近から、南は中之島にかかる天神橋付近まで、
総延長約2.6kmにわたり、ほぼ直線に延々と続く日本一長い商店街です。

その歴史は古く、300年ほど前の江戸時代中期にはすでに、
大阪天満宮の門前町として栄えていました。

T_imgp86591
【天神橋二丁目商店街】

大阪天満宮の創始は天暦3年(949)。

以来、門前に自然発生的に形づくられた商店街は、
承応2年(1635)の「天満青物市場」の開設によって大きく発展することとなりました。

T_imgp8656
【参道提灯:天神橋二丁目商店街】

その後、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱や昭和20年(1945)の大阪大空襲など、
幾度の苦難に見舞われながらも、当地の商人(あきんど)は力を合わせて難局を乗り切ってきました。

T_imgp8668
【天神橋三丁目商店街】

そして、今日も古き良き大阪の下町情緒を色濃く残した商店街として、
府下はおろか、近畿一円から大勢の買い物客を集めています。

T_imgp0323_2
【天神橋三丁目商店街】

天神橋筋商店街とは、実は9つの商店街を総じた通称。

南から北へ、天神橋一丁目商店街、天神橋二丁目商店街、
天神橋三丁目商店街、天満南街商店会、天神橋筋四番街、天四北商店会、
天神橋五丁目商店街、天五中央商店会、天六商店街と続いており、
その間に衣料品・食料品・飲食店など、大小800店舗以上の多種多様なお店が立ち並んでいます。

T_imgp0326
【天神橋五丁目商店街】

その中でも飲食店はとりわけ有名で、行列が出来る人気店が目白押しです。

私のお勧めは、天神橋五丁目界隈にある寿司屋さん。

人気店の「春駒」「奴寿し」「すし政」などは、
寿司好きが集まると「何処が一番安くて旨いか?」で論争が起り、派閥が出来るほど。

T_imgp8671
【すし政】

私はどちらかと言うと「奴派」ですが、実際は甲乙付けがたいというのが正直なところ。

酒を飲めない私と家人二人だと、3店の何処に入っても\5,000もあれば、
新鮮でおいしい寿司が腹いっぱい食べられます。

T_imgp8677
【春駒】

この日も、久しぶりに「奴」で寿司を食べたかったのですが、
一人で食べたことが家人に知れるとマジに怒られるので、お店の写真だけで我慢しました。

T_imgp8676
【奴寿し】

人気の寿司屋がひしめく天神橋五丁目商店街から東に少し入ったところに、
かつては「天満青物市場」が置かれていました。

「天満青物市場」は当初、石山本願寺(現・大阪城公園)付近にありましたが、
承応2年(1635)頃に当地へ移転したと伝えられており、
その後は、堂島の米市場(大阪市中央区)、雑喉場の魚市場(同西区)と並び、
大阪三大市場の一角として、青果物の取り扱いを長年一手に独占してきました。

T_imgp03271
【路地:天神橋筋四番街付近】

その後、明治・大正になっても大阪随一の青物市場として栄えていましたが、
大正6年(1931)に東洋一の規模を誇る大阪市中央卸売市場(福島区)が設立されると、
「天満青物市場」は雑喉場の魚市場と共に、そこに統合されることとなりました。

統合後も跡地は「天満卸売市場」として残り、30年程前までは賑わいが続いていましたが、
食品の流通経路と消費者の買物スタイルの変化で、近年の客足は減少の一途だったようです。

T_imgp8672
【現天満卸売市場】

その後、平成14年(2002)には、老朽化した旧市場を取り壊して高層化する再開発工事が始まり、
3年後の平成17年(2005)、新生天満市場「ぷららてんま」(再開発ビル)がオープンしました。
(撮り忘れの為、写真なし)

「ぷららてんま」には、旧市場権利者により運営されている店舗・業務用スーパー、
市場外部からの食料品以外の医療、サービスなどの幅広い新店舗が出店しており、
上層階(6~28F)には都市再生機構の賃貸住宅294戸が入居しています。

T_imgp8680
【旧天満市場界隈①】

実は十数年前まで、私の父親もこの地で青果卸業を営んでいました。

その関係で、幼い頃から何度も訪れたことのある馴染み深い場所のはずなのですが、
再開発以降は知らない場所に来たようで、一抹の寂しさは拭えません。

T_imgp8674
【旧天満市場界隈②】

しかしながら、再開発ビル周辺の一部にはかろうじて昔の雰囲気が残る区画もあり、
威勢の良い呼び込みの声と値段の安さは昔のまま。

その姿は変われども、大阪の台所を支える心意気は感じられました。

T_imgp8724
【天神橋筋五丁目の人気串カツ店「七福神」:生ビール一杯目\100】

天満市場から国道2号線を超えて南へ下ると、この界隈の繁栄の基となった大阪天満宮が鎮座しています。

大宰府天満宮・北野天満宮とともに日本三天神として全国にその名を知られており、
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭には、毎年13万人以上の観光客が押し寄せます。

T_imgp8683
【天六商店街】

大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけでも7度の火災に遭い、
なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724)の妙知焼け(※1)や、
大塩平八郎の乱による天保8年(1837)の大火では全焼しています。

T_imgp8646
【大阪天満宮拝殿】

現在の本殿は、氏子衆や崇敬者の献身的な奉仕によって、
大塩の乱の6年後、天保14年(1843)に再建されたものです。

T_imgp0311
【祈願】

先の大戦の大阪大空襲の際には、この付近は一面の焦土と化しましたが、
この本殿は焼けずに残りました。

それは、氏子の方々が自分の家が焼けるのを横目に見ながら、
「天神さんを焼いたらあかん」と懸命に消火活動をされたおかげだそうです。

T_imgp0313
【天満宮神職】

この日の境内には、老若男女・多種多様な人たちが曳きも切らさずお参りされ、
また、七五三のご家族連れも多数見受けられました。

T_imgp0307
【七五三参り】

社殿は質素で、あの天神祭りのお宮さんかと思うと地味な感じさえしますが、
天満の天神さんは、大阪人の心にしっかりと根付いているようでした。

(※1)
享保9年3月21日正午、堀江橋通り3丁目から出た火は、
強風にあおられて燃え広がり、翌22日夕方まで鎮まらず、
当時の大阪三郷(北組・天満組・南組)の7割を焼きつくしました。
焼けた家屋1万1千戸、死者約300人。
火元の女性の名が妙知だったので「妙知焼け」と呼ばれています。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
ランキング参加中につき、宜しければクリックください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月14日 (金)

紅葉の榛名山

先日(11月7日)に、榛名山に紅葉見物に行ってきました。

**********************************************************************************************

榛名山は赤城山、妙義山と共に、上毛三山と称される群馬県を代表する山です。

那須火山帯に属する二重式火山で、広い裾野の外輪山を多数持つその山容は貫禄十分。

最高峰である掃部岳(1448m)をはじめ、相馬山(1411m)、水沢山(1194m)、杏ヶ岳(1292m)、
鏡台山(1079m)、天狗山(1179m)、鐘原ヶ岳(1225m)、音羽山(1015m)、鷹巣山(956m)、
氷室山(1240m)、三ツ峰山(1315m)、臥牛山(1232m)、烏帽子ヶ岳(1363m)、鬢櫛山(1350m)、
天目山(1303m)、吾妻山(831m)、蛇ヶ岳(1229m)、二ツ岳(1343m)など、
外輪の峰々が中央に位置する榛名富士(1391m)と榛名湖を取り囲んでいます。

T_imgp8525
【紅葉の榛名富士①】

火山噴火予知連絡会は平成15年(2003)に、
「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動がある火山」として、
Aランク(13山)・Bランク(36山)・Cランク(36山)・ランク外(23山)の合計108山を指定しましたが、
榛名山はその中ではランクB。

火山活動の活発さから言えば、今も噴煙を上げる桜島や阿蘇山などのAランク13山に次ぐ、
二番目のランクとなっています。

T_imgp8546
【紅葉の榛名富士②】

しかしながら、榛名山最後に噴火したのは1400年以上前。
外輪山の二ツ岳が、5世紀末~6世紀中にかけて大噴火を起こしました。

T_imgp0201
【紅葉の榛名富士③】

最初の噴火口は現在の伊香保温泉街のすぐ上あたりで、
この噴火では大規模な熱雲が発生し、吾妻川~子持山麓付近までを焼き尽くしたそうです。

その20~30年後には、最初の噴火口の南西隣に火口がもうひとつ開いて、軽石を空高く噴き上げました。
南西の風に吹かれて、遠く仙台まで達した事が確認されているそうです。

T_imgp8556
【烏帽子ヶ岳】

現在の渋川市周辺では、この噴火で埋まった集落の遺構、黒井峯遺跡や中筋遺跡などが発見されており、
当時の人々の生活や火山災害を今に伝える貴重な資料として研究が進められています。

噴火により瞬時に埋没したため、竪穴住居・平地建物・畑・垣根・祭祀など、
古墳時代後期の集落遺構がほぼ完全な形で保存されていたことから、
これらの遺跡は「日本のポンペイ」と呼ばれています。

T_imgp0163
【湖畔の休息】

最初の噴火で熱雲が焼き尽くした土地の上に、現在は30万もの人々が生活を営んでいると思うと、
榛名山が再び、目覚めないように祈るばかりです。

T_imgp8585
【群馬県立榛名公園碑】

外輪山の内側には中央火口丘の榛名富士とカルデラ湖である榛名湖があり、
この一帯は群馬県立榛名公園として、公園整備されています。

T_imgp0129
【わかさぎ釣り】

榛名湖は、群馬県下屈指のアウトドアレジャースポット。
夏にはキャンプやバスフィッシィング、花火大会、
湖面が凍結する冬には、ワカサギ釣りやスケートなどが楽しめます。

T_imgp8569
【ススキ①】

また、榛名湖はあの「湖畔の宿」のモデルとなった湖としても知られています。

T_imgp0180
【ススキ②】

山の寂しい湖に ひとり来たのも 悲しい心♪

昭和15年(1940)に発表され、一世を風靡した名曲「湖畔の宿」。

作詞は佐藤惣之助、作曲は服部良一。
そして、歌うは松竹のスター高峰三枝子。

気品のある美しいメロディーは、今なお聴く人の胸に響きます。

T_imgp0160
【湖畔の紅葉①】

昭和15年といえば、戦争真っ直中の時代。

ラジオからは戦意高揚をねらった軍国歌謡がさかんに流されており、
そんな中で発表された「湖畔の宿」は、感傷的な歌詞やメロディーが戦時下には相応しくないと、
当局から発売禁止の処分を受けてしまいます。

T_imgp8549
【湖畔の紅葉②】

その後、高峰三枝子は前線にいる兵隊の慰問のため、度々中国大陸を訪れることになりますが、
前線の兵士達は国内では発売禁止の「湖畔の宿」をおおっぴらに歌い、
また彼女自身にも多くのリクエストがあったといいます。

T_imgp0136
【湖畔の紅葉③】

こうして、戦中~戦後も歌い継がれてることとなった「湖畔の宿」ですが、
今度は「この湖ってどこなの?」というモデル探しが始まりました 。

T_imgp0165
【湖畔の紅葉④】

諏訪湖?山中湖?など、色々な説がある中、ついに真相が判明。

榛名湖畔で旅館「湖畔亭」を営む門倉博さんが、
かつての従業員から佐藤惣之助の手紙を託されていることが判り、
そこには「湖畔の宿は全く榛名湖のことであるが、あの中のことは全く夢だよ。」とありました。

T_imgp0206
【夕焼けに染まる榛名山:高崎市内より望む】

平成元年(1989)には「湖畔の宿記念公園」がオープン、人が近づくとセンサーが感知し、
オルゴールが作動する歌碑が立てられました。

今では榛名でも有数の名所となっており、大型バスが止められる駐車場も隣接。
ひっきりなしに訪れる観光客によって、あの美しいメロディーが何時でも湖畔に流れています。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
ランキング参加中につき、宜しければクリックください。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

信仰の山~生駒山

今回も地元から。

****************************************************************************************************

わが故地である東大阪市は大阪平野の東端にあり、奈良県生駒市と市境を接しています。

T_imgp0111
【東大阪市側から見た生駒連峰】

その両市の間に横たわっているのが生駒山地と呼ばれている山塊で、
北端は、大阪府枚方市と京都府八幡市の市境付近。

そこから南へ、主峰である生駒山(標高642m)、高安山(標高488m)、信貴山(標高437m)を経て、
大阪府柏原市と奈良県香芝市の市境あたりまで、細長く連なっています。

T_imgp9948
【生駒山中腹から望む生駒市街】

主峰の生駒山は、東大阪市民にとっては最も馴染みの深い山。

市内にある殆どの学校の校歌に謳われているので、
「山といえば生駒」のイメージが、小さい頃から出来あがっています。

T_imgp9886
【生駒聖天参道】

たとえば、私が卒業した学校の校歌は、

小学校が、生駒の緑 鮮やかに♪
中学校が、生駒の峰を仰ぎてここに♪
そして高校は、伸び行く梢天を指し 生駒の山と競いたり♪

というような具合です。

T_imgp9903
【宝山寺惣門】

また、生駒山は親しみのある山という他にもう一つ、
信仰の山・霊山という側面を持っています。

T_imgp8405
【本堂と聖天堂(奥)】

日本書紀によると、

大空の中に龍に乗れる者あり、かたち唐人に似たり。
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る。
午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より西に向い馳せ去りぬ。

とあり、古来より生駒山は神霊の宿る山として崇められてきました。

T_imgp8411
【聖天堂】

現在にいたっても、山腹・山麓には滝の修行場や祠など、
有名無名、大小さまざまな宗教団体の施設があり、
これらの中には宗教法人として届けられていないものも多く、
その総数は現在も把握されていません。

T_imgp8416
【観音堂と般若窟】

そんな数ある寺社や宗教施設の中でも、
関西一円から広く参拝客を集めているのが、
真言律宗大本山宝山寺、通称「生駒の聖天さん」。

T_imgp9913
【本堂脇・牛の像】

現在の堂宇が建つ一帯は古来からの霊地で、
山肌から突き出た奇怪な岩山・般若窟(有史以前の火山跡)に、
役小角が般若心経を納めた事が開基と伝えられています。

T_imgp9919
【祈り①】

その後は、都史陀山大聖無動寺と称していたようですが、荒廃がひどく、
延宝年(1678)になって、宝山湛海(ほうざんたんかい)律師が再興し、
寺号を宝山寺と改め、鎮守として大聖歓喜天(聖天さん)を勧請されました。

T_imgp9950
【祈り②】

現在も本尊は湛海律師の手による不動明王像ですが、大聖歓喜天への信仰が厚く、
宝山寺と言えば商売繁盛の「生駒の聖天さん」で通っています。

T_imgp9910
【地蔵①】

私の実家は、父が青果卸業、母が飲食業を営んでいたので、
小学生の頃、姉と弟と一緒に、幾度となく商売繁盛のお参りに同行しました。

幼少の私達がどうして退屈なお参りにくっつい行ったかと言うと、
それは、道中に大きな楽しみがあったからです。

T_imgp9944
【地蔵②】

その楽しみとは、ケーブルカー。

近鉄生駒駅の西隣には生駒ケーブルの麓側の始発駅「鳥居前」駅があり、
そこから、中間駅の「宝山寺」駅まで約10分。

車両の最後尾に乗り込み、ゆっくりと高度を上げてゆく車窓から、
生駒市街を眺めるのが大好きでした。

T_imgp9941
【庫裏縁側の猫】

そして、ケーブル線の終点「生駒山上」駅には近鉄生駒山遊園地があり、
あわよくば、そこに連れて行ってもらおうという魂胆でした。

T_imgp9872
【生駒山ケーブル車両】

ちなみに、この生駒ケーブルは日本最古のケーブル路線。

大正7年(1918)の8月29日に生駒鋼索鉄道株式会社(※1)が、
鳥居前~宝山寺間で日本で初めてケーブル路線を開業しました。

T_imgp9882
【ケーブル車窓から】

久しぶりに乗った生駒ケーブルですが、
まず、その車両のあまりの変貌振りに驚愕。

系列の遊園地へ子供を運ぶ為の人気策とはいえ、
由緒あるケーブルの車両がこれではと泣きたくなりました。

T_imgp9970_2
【参道に咲くホトトギス】

しかしながら、車窓から見る生駒市街は昔と変わらず長閑で、
40年近く前の家族との思い出が瞬時にして蘇り、
しばしの間、子供に還ることができました。

(※1) 大正11年1月25日に近畿日本鉄道㈱の前身・大阪電気軌道㈱と合併。
        始発の鳥居前駅から生駒山上駅へは、中間の宝山寺駅で乗り換えが必要です。

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
ランキング参加中につき、宜しければクリックください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

だんじりパレード

ご無沙汰しております。

ここ数ヶ月はさぼり気味で更新頻度が悪く、
2~3度/月間というような状態が続いておりましたが、
遂に、10月度は0となってしまいました。

コレには立派な言い訳があります。

9月28日に突然、ブログにアクセス出来なくなってしまったのです。

どうしてそうなったのか、今も正直解からないのですが、
@niftyさん曰く、「ブログアカウント自体が削除された」そうです。

自分で削除した覚えは無いのですが、
「誤操作の可能性はないですか?」などと聞かれると、
PC音痴の私は途端に自信がなくなってしまいます。

原因はどうであれ「復活してもらわなければ困る」と、
何度も@niftyさんと電話とメールで遣り取りを繰り返し、
やっと10月23日に再びアクセスが可能になりました。

そのような訳で長らく更新が滞っていましたが、今回が復活第一弾です。

10月19日に行なわれた、地元のだんじり(地車)祭りに見に行ってきました。

***********************************************************************************

私の生まれ育った河内地方は、泉州・摂津地方と並んでだんじりが盛んなところ。

岸和田のだんじり祭りのように、全国的にメジャーなお祭りはありませんが、
わが町・東大阪市にも多くのだんじり保存会があり、市内各地でだんじりの曳行が行なわれています。

T_imgp8192
【だんじり曳行①】

ちなみに、神戸市から岸和田市までの摂・河・泉地方一帯には、約800台のだんじりがあるそうですが、
台数の1位はやはり岸和田市で約80台、2位が大阪市の75台、3位が堺市の69台。

そして4位が東大阪市の55台、続いて5位が神戸市の43台となっています。

T_imgp8280
【だんじり曳行②】

現在の自宅がある地区の秋のだんじり祭りは、元は別々に行なわれていた9つの神社のお祭りを、
15年程前に日程を合わせて合同だんじりパレードというに形式にしたもの。

小学校三校区にまたがる11自治会から、10台のだんじりと1台のふとん太鼓が出張ります。

T_imgp8286
【だんじり曳行③】

わが息子は青年団の末席に名を連ね、祭りの参加者となっていますが、
私自身は、同じ東大阪市でも違う地区の出身なので、移り住んでまだ15年の新参者です。

おまけに単身赴任で普段は不在の身の上。
よって、この祭りに関しては観客でしかないため、以下はあくまで外野の感想です。

T_imgp8304
【だんじり曳行④】

だんじりの曳行は各自治会の青年団が中心となって行われますが、その考え方は色々。

見た目だけで言えば、今どきの若者軍団が大盛り上がりする地区と、
きりりと短髪のお兄さん方が厳粛に取り仕切る地区に分けることができます。

前者を軟派系、後者を硬派系と概ね分類するならば、
軟派7地区、硬派3地区という割合でしょうか。

T_imgp8229
【だんじり曳行⑤】

軟派系のだんじりは祭りを楽しむことが一番。

だんじりに乗った男の子たちが威勢良く掛け声を発すると、
正面に陣取る女の子達が跳ね踊りながら、黄色い声で呼応します。

T_imgp9650
【だんじり曳行⑥】

一方、硬派系は緊張感がいっぱい。

狭い路では「だんじり囃子」を奏でながら勇壮に曳行し、
メインストリートでは高速で駆け、大屋根の大工方の指揮の下、
コーナーで直角に曲がる「やり回し」を披露します。

T_imgp8266
【掛け声①】

だんじりの形式は大きく分けて2系統、
大阪市中心部~河内に多い上地車(重心が高い低速型)と、
岸和田~泉州に多い下地車(重心が低い高速型)に分類されますが、
その両方を一度に見ることが出来るもこのパレードの面白いところです。

T_imgp9685
【掛け声②】

写真を見て、近隣の地区でこうも違うか!?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、
個人的には、このおおらかさが良いなァと思っています。

T_imgp9490
【雄叫び】

だんじりの起源については諸説あり、定かではありませんが、
京都の祇園祭の山・鉾にそのルーツがあるという説が有力です。

祇園祭自体の始まりは9世紀、貞観11年(869)といわれていますが、
山・鉾が登場するのは14世紀に入ってから。

T_imgp9539
【晴れ姿】

当時は、堺の商人達の繁栄の絶頂期。

彼らは都の文化の数々を堺に持ち込みましたが、その中の一つに祭りの際の山・鉾があり、
それが後世に転じて、だんじりに発展したのではないかと考えられています。

T_imgp9541
【交流】

他の地域でも、高山祭りで有名な岐阜の高山や滋賀の近江などには祇園祭から発展した山車があり、
福岡の「山笠」や青森の「ねぶた」なども祇園祭の流れにある山車だといわれています。

T_imgp9598
【笑顔①】

祇園の山・鉾は、長い年月の中で、その土地にあった形や曳行方法に変化発展。

日本の各地で、山車・曳山・台楽・屋台・ふとん太鼓・矢倉太鼓などに形を変え、
摂・河・泉地方ではだんじりという形で定着しました。

T_imgp9615
【笑顔②】

東京でも江戸時代までは、多くの山車が祭りの際には出されたそうですが、
震災と空襲で殆どが焼けてしまい、現在は御神輿のみが残っていると聞いています。

T_imgp9518
【笑顔③】

だんじりと御神輿の違う点は、当たり前ですがだんじりは曳き、御神輿は担ぐという点。

御神輿は神様が一時的にお鎮まりになる神聖な場所であり、
氏子は担ぐだけでその上に乗ることは出来ません。

各地方で差異はあるかもしれませんが、基本的には神事の一環です。

T_imgp9640
【寝顔】

一方、だんじり曳行は神社に関連した行事ではありますが、神事ではなく氏子衆の行事で、
氏子衆が楽しむことによって神様も喜んでくださるという考え方が基本となっています。

だんじりには神様がお鎮まりになられている訳ではないので、
大工方は大屋根に上がることが出来るのです。

T_imgp8209
【笑顔④】

氏子衆が祭りを楽しむ為の装置、それがだんじりです。

T_imgp8356
【夜間曳行①】

そういう意味では、当地区のだんじりパレードはお手本のようなもの。

各自治会・青年団が主体的に、地域の実情にあった形でだんじり曳行を行い、
老若男女、祭りに集った者全員が大いに楽しんでいました。

T_imgp8376
【夜間曳行②】

9つの神社の神々にも、大いに喜んでいただけたのではないかと思います。

今回は地元ということで、沢山写真を撮りました。
宜しければ、別窓↓にありますのでご覧下さい。

男衆編 / 女衆編 / 子供編 

曳行編  / 夜間曳行編

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
ランキング参加中につき、宜しければクリックください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2009年1月 »