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2008年6月 3日 (火)

大阪の背骨

今回も大阪のお話です。

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関西出身者以外には、一般的には知られていないかもしれませんが、
大阪市のど真ん中には、「上町台地」とよばれる高台(標高20m程度)が背骨のように走っています。

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【観音坂】

先日このブログで紹介した住吉大社付近を基点に北北東へ向かって約15km、
天王寺を経て大阪城の先の天満橋付近まで、
住吉区-阿倍野区-天王寺区-中央区にまたがって連なる細長い丘陵です。

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【路上の花】

市内で唯一の高台となるこの周辺は、先の大戦での空襲による被害が比較的少なかった為、
大阪が長い年月の中で培ってきた都市居住の姿を今に伝える、歴史的な街並が色濃く残っています。

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【谷町筋】

「上町台地」という名前が一般化したのは30年程前からだそうで、
それまでは「難波丘陵」や「上町丘陵」、昭和の初期には「天王寺高地」とも呼ばれ、
大阪平野の中でも最も古い地層の1つであり、最も早く人々の暮らしが始まった地域でありました。

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【石畳】

古く縄文時代、大阪平野が形成される以前は、
「上町台地」は、現在の住吉区辺りから北に向かって突き出ている岬でした。

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【旧熊野街道】

岬の西側はもちろん大阪湾=瀬戸内海。
そして、東側は河内湾と呼ばれる内海でありました。

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近松門左衛門墓所

その後、長い年月を経て、河内湾は淀川や旧大和川水系の土砂堆積により狭く浅くなり、
2~3世紀頃には、岬の先端から伸びた砂州(天満砂州)が対岸に届くに至り、
河内湾は完全に瀬戸内海から切り離され淡水化し、河内湖または草香江(くさかえ)と呼ばれる湖となりました。

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難波仮病院跡

現在の海岸線から10km内陸にあるJR森ノ宮駅は、上町台地の東端に当たりますが、
その付近からは森ノ宮遺跡(貝塚)が見つかっており、
遺跡の下層(縄文中期から後期)からは海水で育つマガキが、
上層(弥生中期まで)からは淡水産のセタシジミが、それぞれ見つかっています。

この事から、河内湖が塩水から淡水化した歴史を窺い知ることが出来ます。

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【階段】

4~5世紀になると、水に囲まれたこの地は、中国や朝鮮半島との交流の拠点になってゆきます。

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【坂道】

その頃に今日の大阪の基礎を作ったと云われているのが、第16代仁徳天皇(在位:313年~399年)。

難波の地に初めて都を造営した仁徳天皇は、
その後も、住吉津(すみのえのつ)の開港や治水工事(→茨田堤:まんだのつつみ・難波堀江:なにわのほりえ)など、
数々の事業を行ない、古代都市大阪の原型を整備しました。

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また、高殿から街を見下ろした時、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことを見て、
「きっと生活が苦しいに違いない」と、庶民救済のためにその後数3間は租税を免除。

3年後、同じ高殿に登り、多くの家々に炊煙が立ち上っているのを見て、
「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民の竈 賑わひにけり」(古今和歌集)
という有名な歌を詠んだと伝えられています。(※誤伝の説あり)

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【高津宮拝殿】

古事記・日本書紀にも、その間は倹約のために宮殿の屋根さえ葺き替えなかったという逸話が記されており、
仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の贈り名もその功績に由来しているそうです。

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【高津宮参道】

仁徳天皇の宮殿は難波高津宮(なにわのたかつのみや)と称せられ、
現在の大阪城付近に在ったとされていますが、残念ながらその遺構はいまだ発見されていません。

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【高津宮十六弁菊紋章】

以来、皇室をはじめ、時の幕府等からの度々の造営・寄進を受け、
難波の守護神と仰がれてきましたが、造営から約700年を経た正親町天皇の代、
天正11年(1583)の秀吉の大阪城築城に際して現在地に遷座されました。

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【空堀商店街】

高津宮を後にして、北へ200mほど歩くと「空堀商店街」に行き当たります。

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【漬物屋さん】

「空堀(からほり)」は地名ですが、秀吉が大阪城築城の際にこの付近に築いた南惣構堀(みなみそうがまえぼり)が、
水のない空の堀だったことに由来しています。

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【魚屋さん 1】

この地域は江戸時代から商業が発展し、庶民的な商店街として近隣の人々に親しまれてきました。

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【魚屋さん 2】

松屋町筋から上町筋まで、アーケードの長さは約800m。
このあたりも戦災を免れた地域で、昔懐かしさを感じさせる街並みが多く残っています。

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【八百屋さん 1】

その一方で、新しい世代の経営者達は、老朽化したお店を近代的に改装したり、
古い長屋を生かした美術展やコンサートを企画するなど、積極的な町おこし活動を行っており、
その結果として、「空堀商店街」は新旧の文化が混ざり合う魅力的な商店街となっています。

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【昆布屋さん】

府内でも、人口増加地域にある郊外駅前商店街が大型商業施設に押され、シャッター通りと化している中、
人口の減少が続く大阪市内のど真ん中にある商店街は活気に溢れていました。

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【八百屋さん 2】

今回は、地下鉄谷町6丁目駅~同・谷町9丁目駅の間を散策しただけですが、
観光で大阪に来られる方には、上町台地縦断コースをお勧めしたいと思います。

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【親子】

住吉大社を出発し、新世界四天王寺~谷町界隈~大阪城を経て大阪天満宮まで。

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【格子戸】

その間にも名所や史跡・旧跡、古い町並みなどが点々と連なっており、
また、途中で歩き疲れても地下鉄や市バスなどの公共交通機関が充実しているので心配なし。

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【紫陽花】

時代の転換期に関わった場所を訪ね、趣き深い景観を楽しみながらぶらりと歩くだけでも、
何千年にも及ぶ歴史の積み重なりを感じることが出来ます。

(今回も長くなってしまいました

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コメント

 懐かしい上町台地。私も55年前、谷町に1年間、下宿生活をしました。変わらぬ空気に導かれてタイムトンネルをくぐり抜けました。
 いつもすばらしい写真とエッセー、ありがとうございます。

投稿: zensan | 2008年6月 3日 (火) 16時25分

西宮北口の商店街は地震で崩壊し、祖父の家の近くにあった甲南市場は
今は閑古鳥が鳴いています・・・・
商店街が活気がある!というのが一番うれしいですね~。

しかし大阪に背骨がある、ということは初めて知りました。
いつもこのあたりに来るときは、地下鉄が多いからですね~
たまにはぶらっと歩くのもいいかも知れませんね(*^_^*)

投稿: きょんち | 2008年6月 3日 (火) 17時25分

zensanさん
此方こそ有難うございます。
大阪の中心部は地下鉄が発達しているので、普段は、歩くことがありません。
今回久しぶりに歩いて見ましたが、本当に変わらない雰囲気で、
懐かしい昭和の匂いがしました。

投稿: yufuki | 2008年6月 5日 (木) 13時48分

きょんちさん
私の生まれ育った地元駅前商店街も、
かつての賑わいは何処へやら、
同じく閑古鳥が鳴いています。

大阪の成り立ちは、背骨である上町台地から始まり、
そこから、淀川水系と大和川水系を制することによって繁栄しました。

その足跡を辿る大阪歩き、楽しいですよ。


投稿: yufuki | 2008年6月 5日 (木) 13時57分

自由な時間が出来てからあちらこちらへ行くようになりましたが
どの地方のどの場所へ行ってもそこには歴史がありますから
もう一度その土地の成り立ちを知ると愛着が湧いてきますね。

投稿: いぶき | 2008年6月 7日 (土) 06時49分

いぶきさん
知らない土地を歩くときに、
その土地の歴史背景を考えながら歩くのと、
そうでないのとでは、目に付くものが代わってくるので、
その分、撮る楽しみが増えるような気がします。

最後の紫陽花写真、額の形が珍しいと思い撮りましたが、
いぶきさんの「あじさいロード・・・1」の4番目と同じ品種ですね。

投稿: yufuki | 2008年6月 7日 (土) 20時02分

この紫陽花はいぶきの家にもありますが
「墨田の花火」という名前が付いていました。
真中の蕾が開くとまるで花火が開いたような
美しい姿になりますよ

投稿: いぶき | 2008年6月 8日 (日) 07時37分

きぶきさん
有難うございます。
「墨田の花火」、忘れないようにします
しかし、花の品種の名前は粋な名前が多いですね。

投稿: yufuki | 2008年6月 9日 (月) 00時23分

ご無沙汰してしまいました。
仕事の関係から、カメラを手にする機会もめっきり減ってしまいました。
久し振りで「されどyufukiの日々」を拝見しました。
お勧めの観光コース、大いに気になります。是非実現させたいと思います。
それにしても空堀商店街の元気のよさには、拝見していて、何だか嬉しくなってきますね。

投稿: kazuo | 2008年6月 9日 (月) 19時14分

kazuoさん
有難うございます。
私も最近バタバタで、写真が撮れず、
このブログ更新もかなり低頻度。
まあ、仕事しなければ写真も撮れないので、
これも仕方がありませんが。

>お勧めの観光コース、大いに気になります。是非実現させたいと思います。

大阪へお越しの際は、上町台地を散策してみてください。

投稿: yufuki | 2008年6月11日 (水) 01時07分

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