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2008年6月15日 (日)

尾曳の城

先日の日記に書きましたが、6月9日(日)に館林市を訪ねました。

館林市は、「鶴舞う形」と言われる群馬県の南東部、
ちょうど鶴の頭の位置にある、人口8万人・市域61k㎡という小じんまりとした街。

この日のお目当ては、市内中心部にある館林城跡と、
その旧城域に整備された県立つつじヶ丘公園でした。

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【館林城跡の碑】

この辺りは、日本有数のつつじの名所として知られていますが、
今春は出かける機会が持てず、見ることが出来ませんでした。

来年のつつじのシーズンまで来ることはないと思っていましたが、
「つつじヶ丘公園の花菖蒲園が見頃を迎えています」という地方紙の記事を見て、
「花菖蒲もあるの!」ということで、出かけてみることにしました。

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【城沼】

北は渡良瀬川、南は利根川に挟まれたこの地域は、大小の湖沼が点在する低湿地で、
館林城はその立地特性を活かし、城沼(じょうぬま)を自然の要害として築かれた平城です。

城沼を東側の外堀として、沼に突き出た低台地には本丸・二の丸・三の丸・八幡郭・南郭が置かれ、
これらを取り囲むように、稲荷郭・外郭・惣曲輪、さらに、その西側には城下町が配され、
そして、それらすべてを土塁と堀がとり囲むという広大な城郭でした。

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【館林城土塁跡:本丸付近】

築城は、戦国時代の初期に当たる天文元年(1532)。
上州の豪族であった赤井照光が築城したと伝えられています。

しかし、今日に至るまで、それを裏付ける直接的な資料は発見されておらず、
伝えられているのは、築城にまつわる不思議な説話です。

ある日、照光は、子供達にいじめられ、傷ついた一匹の子狐を助けてやりました。
すると、その夜の夢の中に、今度は年老いた白狐が現れ、
照光を城沼付近まで案内し、尾を曳いて城の縄張を指し示したというものです。

この伝承から、館林城は別名を「尾曳城(おびきじょう)」と呼ばれています。

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【館林城石垣跡】

白狐の加護があってか、館林城は難攻不落の名城として歴史の舞台にしばしば登場します。

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【館林城土橋門】

永禄5年(1562)の上杉謙信の関東に進出に際して、
当時の城主赤井照景(照光の子)は従属せず抵抗の意を示しましたが、
結局、謙信により照景は館林城から追放され、上杉一族の長尾景長が城主となりました。

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【旧秋元家別邸】

景長の養子として後を継いだ長尾顕長の時代になると、
小田原の北条氏が館林城を手に入れます。

天正13年(1585)、顕長と兄の由良国繁(金山城主)を小田原に呼び寄せた北条氏直は、
謀略により二人を幽閉し、その間に軍勢を送り両城に攻め立てますが、容易には落ちません。

やむなく、城主2人の解放を条件に両城を開城させ、館林城には一族の北条氏則を送り込みました。

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【紫陽花:旧秋元家別邸】

その後、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原北条攻めに際しては、
石田三成率いる2万の豊臣勢が館林城を攻撃しましたが、
この時も館林城は微動だにしませんでした。

館林城攻略には、城の中心に突入するしかないと考えた三成は、
夜間に城沼に筏を投げ込んで2筋の攻撃路を確保します。

しかし、不思議なことに、夜が明けると2筋の筏の道は沼の中に水没して、
跡形もなく消え失せていました。

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【つつじヶ丘公園花菖蒲園】

三成は神がかり的な館林城をこれ以上武力で攻めることを断念し、
北条氏直を通じて降伏を勧告し、ようやく館林城を開城することが出来ました。

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【花菖蒲①】

北条氏滅亡の後、秀吉によって徳川家康が関八州に転封させられると、
家康腹心の榊原康政が10万石で館林城主となり、
榊原氏の後は松平氏→太田氏→井上氏と、徳川譜代の大名がめまぐるしく交代します。

後に5代将軍となる徳川綱吉も、寛文元年(1661)から約20年間、城主としてここで過ごしました。

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【花菖蒲②】

築城以来、狐の加護が信じられていた城下では、
狐の保護のために、犬は見つけ次第撲殺されていたそうで、
そこに、犬公方と呼ばれた徳川綱吉が入封したのは何かの因縁かもしれません。

綱吉の後、嫡子徳松が館林城主となりますが、僅か5歳で急逝。
父綱吉は悲しみの余り館林城を徹底的に破壊させました。

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【花菖蒲③】

おそらく、綱吉は狐の神罰の恐ろしさを感じたのではないかと思われます。

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【花菖蒲④】

その館林城を宝永4年(1707)に再築したのが、徳川綱重の第二子松平清武。

清武は伝承をもとに、狐が尾を曳き始めたあたりに初曳稲荷神社、
曳き終えたあたりに尾曳稲荷神社をお祀りしました。

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【花菖蒲⑤】

最後の城主は秋元氏で、幕末の文政3年(1821)に出羽山形より6万石で入封。
館林城は秋元氏2代で明治維新を迎えることとなります。

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【花菖蒲⑥】

残念ながら、城郭の大半は明治7年(1874)に焼失。

現在は、三の丸跡に文化会館、二の丸跡には市役所などが建ち並び、
往時の面影は殆どありません。

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【花菖蒲⑦】

かろうじて本丸・三の丸・稲荷郭などに、遺構や土塁の一部が残されており、
昭和57年(1982)には、土橋門が城下町館林のシンボルとして復元されています。

土橋門は、城の中心(三の丸)への出入口の一つで、
正門の千貫門に対し、通用門として使用されていた門だそうです。

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造り酒屋「丸木屋」:国登録文化財】

この日のもう1つのお目当てである花菖蒲園は、館林城の八幡郭跡にありました。

八幡郭付近は、明治の廃藩後には旧藩主・秋元家の別邸となっていましたが、
その後は、つつじヶ丘公園に編入されて、その庭は花菖蒲の名所として知られています。

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旧藩士宅「武鷹館」長屋門:市重要文化財】

秋元別邸のお庭と周辺を含めると、270品種・約40万本もの花菖蒲が咲き誇り、
優雅に城沼を彩っていました。

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旧上毛モスリン㈱事務所:県重要文化財】

つつじヶ丘公園の樹齢800年を超えるつつじの古木群は、全国にその名を知られていますが、
菖蒲園も見事で、一見の価値は十分にありました。
(晴天で到着時間が遅かったこともあり、花の方は写真には少々だれ気味でしたが・・・)

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田山花袋旧宅:市指定史跡】

館林城址・つつじヶ丘公園周辺には、向井千明記念子ども科学館や田山花袋記念文学館、
その他にも、熱帯植物園(温室)や水産学習館(淡水魚館)などの文化施設が充実。

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旧二業見番組合事務所

また、市役所周辺から東武鉄道館林駅までの間には、歴史的な建築物も散見できるので、
ぶらぶら歩いていると、あっという間に時間がたっていました。

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向井千秋記念こども科学館

この日は時間が足りず、見学できませんでしたが、
この周辺には美智子皇后陛下にゆかりが深い正田醤油㈱の正田記念館や、
日清製粉グループの製粉記念館など、産業技術史的に興味深い施設も沢山あります。

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【関東の駅100選「東武鉄道館林駅」:昭和12年改築】

見所いっぱいの館林、つつじの季節を待たずに再訪したいと思いました。
秋には彼岸花も見事だそうなので、その頃かなぁ。

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コメント

館林駅から1.6キロ歴史的な文化財を見物して歩くと
つつじヶ丘公園の花菖蒲園に着けるとは楽しい散策でしたね。

花しょうぶ綺麗に撮れていますね。

投稿: いぶき | 2008年6月15日 (日) 15時57分

いぶきさん
有難うございます。

東武鉄道館林駅周辺は、
文化施設や古い建築物等がコンパクトに集まっていて、
お散歩にはぴったりでした

投稿: yufuki | 2008年6月16日 (月) 19時07分

初めまして! yufukiさん。「ごんべえ」です。
にほんブログ村より立ち寄らせて頂きました。

現在住んでいる所が館林なので、記事をゆっくりと読ませて頂きました。
地元に住んでいながら過去の歴史に恥ずかしながら疎く、改めて勉強させて頂いた次第です。

地元民の贔屓目かもしれませんが、
館林は四季の花のスポットが多く、
撮影や散策には事欠かない所です。

来月中旬~下旬には、つつじヶ岡第2公園で彼岸花が見頃を迎えます。
赤色の他、黄色の彼岸花も綺麗ですよ。

投稿: ごんべえ | 2008年8月29日 (金) 09時13分

ごんべいさん
お立ち寄り有難うございます。
レスが遅れてスイマセン。

館林ははじめての訪問で、滞在時間も知れていましたが、
その短い間で、「いい街なんじゃないかな~」と感じる事が多々ありました。

来月は彼岸花の撮影に、是非再訪したいと思っています。

投稿: yufuki | 2008年9月 4日 (木) 09時46分

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