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2008年4月18日 (金)

赤城の大明神

(前回よりつづく)

赤城山南面千本桜を堪能して、次に向かったのが赤城神社。

赤城山上の大沼の畔にある元宮・赤城神社と区別する為、
当地の地名を冠して三夜沢赤城神社とも称される古社で、
全国に多くの分社をもつ赤城信仰の中心地として知られています。

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【一の鳥居】

ちなみに、赤城神社の分社は群馬県内に118社。
全国では334社に及びます。

祭神は赤城明神と大己貴(おおなむち=大国主)命で、
赤城明神とは赤城山が神格化した神様です。

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【参道】

室町時代中期に書かれた縁起物語「日光山縁起」には、
赤城明神と日光の二荒山大神にまつわる伝説が記されています。

大昔、赤城明神と二荒山大神の間に、
中の湖(中禅寺湖)の領有をめぐる争いが勃発。

赤城明神は大百足(むかで)の姿となり、二荒山大神は大蛇となって死闘を繰り広げ、
やがて、敗色が濃くなった二荒山大神は、弓の名手の小野猿麻呂に助っ人を依頼します。

猿麻呂は見事に赤城明神の左の目を射抜き、この戦いは二荒山大神の勝利で終わります。

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【拝殿】

この伝承が面白いのは、双方が百足と大蛇に、わざわざ姿を変えて戦ったこと。

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【拝殿正面】

百足を眷属(けんぞく:神の使者)としている神社は、佐渡の戸河神社や秩父の聖神社など、
全国にも数例があり、百足=鉱山神の使いとされています。

口伝に基づく話なので、論拠ははっきりとはしませんが、
その昔、鉱夫の間では「百足」という単語そのものが、鉱石・鉱物・採掘道具・衣裳など、
鉱山関連の一切のものを表現するときに用いられていたようです。

代表的なものとしては、「黒百足=鉄」「赤百足=金、銅」「白百足=銀」「縞百足=その他の鉱石」など。

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【たわら杉~伝:俵藤太(藤原秀郷)の献木】

また、鉱石を運ぶ牛馬も「百足ベコ」「百足ウマ」と呼ばれていたり、
百足が単に虫の名のみに使用されるようになったのは後世のことで、
上古には、鉱物そのものが百足という語であったといわれています。

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【中門と神殿】

一方、大蛇も鉱山とは関連が深い眷属。

その赤い舌が古代の製鉄プラント「たたら」の炎、
また、その姿形が砂鉄の採集地である河川の蛇行を連想させることから、
産鉄神の使いとされています。

よって、赤城山の神との二荒山の神の争いは、鉱脈を巡っての金属精錬集団同士の、
生存権を掛けた争いを伝えるものだったのではと考えられます。

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【神殿裏手】

ここで、興味深いのは二荒山神社の副祭神にも大己貴命の名が見られること。

赤城山の神との二荒山の神の争いに乗じて、出雲系の神である大己貴命を信仰する一族が、
一旦、この地を支配下に治めたことを暗示しているのではないかとも考えられます。

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【神楽殿】

そして、今の赤城神社の格付けは上野国二之宮。

かつては上野国一之宮でしたが、その座を貫前神社(群馬県富岡市)に譲り、
二之宮になったという伝承も残っています。

貫前神社の祭神は経津主(ふつぬし)命で、この神は天孫族系の産鉄神とされています。

赤城神社が二之宮となったということは、
一旦、上野国一帯の鉱山を手中にした出雲系の一族が、
経津主命を仰ぐ天孫族に支配権を明け渡した事を伝えているのではないでしょうか。

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【通学路:赤城神社からの帰路撮影】

古代の覇権を裏打ちするものは、高い金属精錬技術。

上野国の一之宮の変遷は、より高い技術をもった集団(天孫族)が周辺の集団を屈服させ、
わが国の基礎を築いていった経緯を表しているように思えます。

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【赤城山】

古社特有ののしっとりとした、まさに「神域」を感じさせる空気に包まれ、
遥か古代に思いを馳せると、想いは広がるばかりで時間が経つのを忘れてしまうほど。

三夜沢の杜は、神社好きには堪らない空間でした。

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2008年4月15日 (火)

赤城の千本桜

群馬に来て初めての桜のシーズン。

先日出かけた妙義山麓では時期がまだ早く、蕾だけしか見られなかったので、
今度は確実に桜を見られるように、ネットで開花情報を確認。

4月11日(金)に「見頃cherryblossom」のマークがついていた、赤城山南麓の千本桜を見に行って来ました。

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【桜と赤城】

群馬県内には、(財)日本さくらの会により「日本さくらの名所100選」に選定されている場所が2箇所あります。

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【桜の天井】

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【町を見下ろす(前橋方面)】

1つは、昨年の12月にこのブログでも紹介した「冬桜」の里、桜山公園
もう一箇所が、ここ、前橋市苗ヶ島町の赤城山南面千本桜です。

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【並木道①】

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【並木道②】

千本桜の起源は意外と浅く、昭和31年(1956)頃。

裾野の長い赤城山の南腹の登山道脇に、
地域の有志がソメイヨシノの苗約1,000本を植えたのが始まりです。

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【空に映える】

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【花盛り】

今では、高崎や前橋の市街地から数日遅れる花期が人気で、
多くの観光客を集めるスポットとなっています。

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【競演】

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【ひと休み】

また、始点の標高が430m、終点が標高700mと高低差があるため、
長い期間桜を楽しめるのもここのよい所。

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【初めての春】

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【花のアーケード】

この日も、裾にある駐車場付近は満開でしたが、
約2kmにわたる桜のトンネルも、終点近くは3分咲き程度でした。

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【謳歌①】

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【謳歌②】

平日にもかかわらず大盛況。

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【散歩日和】

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【掻き入れ時】

今後、GW前までは開花が続きそうなので、
立ち並ぶ出店もまだまだ稼ぎが見込めそうでした。

桜写真を堪能した後は、隣の三夜沢町にある赤城神社に向いました。

(次回に続く)

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2008年4月11日 (金)

日本最古の駅弁屋

(前回よりつづく)

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「碓氷峠鉄道文化むら」は、信越線の横川~軽井沢の廃線区間跡に作られた施設。
隣接地には区間廃線の後、始発着駅となった横川駅があります。

この横川駅の名を全国に知らしめたのが駅弁「峠の釜めし」で、
製造・販売元「おぎのや」の本店が、改札口を出て直ぐのところにあります。

駅前通りを挟み、本店の向かい側には、私設の資料館があり、
「おぎのや」や横川駅周辺の歴史が紹介されており、無料で見学することが出来ます。

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【JR横川駅】

「おぎのや」の創業は明治18年(1885)で、横川駅と同時期の開業。

以来、120年以上も当地で駅弁を販売し続けている老舗で、
現存する全国の駅弁製造会社のなかでも、最も古い歴史を誇っています。

大ヒット商品、「峠の釜めし」の販売開始は昭和33年(1958)。

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【おぎのや横川本店】

当時、アプト式はすでに廃止となっていましたが、
信越線横川~軽井沢は日本有数の鉄道の難所でありました。

急峻な碓氷峠を越えるためには、全ての列車が群馬側の横川駅に必ず停車し、
電気機関車(“峠のシェルパ”EF63形)を補助機関車として連結しなければなりませんでした。

平坦地では100㎞/h以上で走る特急列車が、横川~軽井沢間は機関車2両連結で20㎞/h程度の速度となり、
わずか10数㎞の区間を20分以上もかけて走行していました。

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【“峠のシェルパ”EF63形】

停車時間としては、下り列車(横川→軽井沢)で機関車連結作業のために7~8分、
上り列車(軽井沢→横川)で切り離し作業のために5分程度を要しました。

この停車時間の長さは駅弁販売には適していましたが、
業績は必ずしも好調ではありませんでした。

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【おぎのや資料館】

「おぎのや」が大きく発展するのは、
四代目高見澤みねじ氏が「峠の釜めし」を発売した昭和33年(1958)以降のこと。

商才に長けたみねじ氏は、巧みな広告・PR戦略を繰り広げ、
有名百貨店の駅弁大会などにも積極的に出品をしました。

昭和42年(1967)には、みねじ氏自らをモデルにしたテレビドラマ「釜めし夫婦」(フジ)が放映され、
全国的な知名度を獲得するに至ります。

また、昭和37年(1962)には、世のモータリゼーション化を見越して、
いち早く国道18号脇に工場兼ドライブインを建設。

その後、上信越自動車道開通により車の流れは横川をスルーすることになりますが、
高速のサービスエリアや軽井沢各所への出店することにより難局を乗り切っています。

平成9年(1997)の長野新幹線の開業に伴い、信越線横川駅~軽井沢駅間が廃線となっても、
横川駅での販売額は全体の3割程度となっていたため、経営への影響は最小限にとどまりました。

現在は、長野新幹線の高崎・軽井沢間でも釜めし車内販売が行なわれています。

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【峠の釜めし】

この日のお昼は、「おぎのや」の本店で「峠の釜めし」を初めていただきました。

正直、\900の釜めしの味に大した期待はしていませんでしたが、食べてビックリ。
なんとまぁ、美味しいこと!

「おぎのや」さん、評判をこれまで疑っていたこと、お詫び申し上げます。

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【JR磯部温泉駅前】

お昼を済ませた後は、碓氷第三橋梁(めがね橋)や碓氷湖(桜は蕾のみ!!)を回り、
午後4時ごろに家人のお目当てである磯部温泉街に到着しました。

いつもの事ながら、私の趣味に引っ張りまわされた家人は爆発寸前でしたが、
ギリギリ、何とか事なきを得ました。

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【磯部温泉街】

磯部温泉は歴史ある温泉郷ですが、その規模は草津温泉や伊香保温泉と比べると格段に小さく、
町の中心を流れる碓氷川の両岸に、現在11件の温泉旅館が営業しています。

当日の宿の若女将(別嬪さん!)に、「この内陸部の地名が、何故に磯部?」と尋ねたところ、
大昔、このあたりは海底で、今も断層から貝の化石が多数発見されるそうで、
磯部という地名もそのあたりに由来するらしいと教えていただきました。

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【足湯】

そのためかどうか、磯部温泉は塩分が大変強く、
鎌倉時代に成立した歴史書「吾妻鏡」の中には、
「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」とう記述があります。

この記述から、鎌倉時代にはすでに温泉が湧出していたものと推測されています。

その後、天明3年(1783)の浅間山の大噴火により湧出量が急増。

江戸時代後期には本格的に湯治場となり、
明治時代になるとpH8.0のアルカリ性鉱泉は、
ベルツ博士をはじめ、多くの医学博士に効能を評価されました。

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【桜:磯部温泉赤城神社】

信越線が碓氷峠を越えて開通し、軽井沢にその地位を取って代られるまでは、
日本を代表する避暑地であり、多くの外国人別荘地が立ち並ぶリゾートの草分け的存在でありました。

以前は泉温が24℃と低く、「磯部鉱泉」と呼ばれていた時期もありましたが、
平成8年(1996)には、新源泉(52℃)が掘削により湧出。

現在は、主としてこの源泉が各旅館で利用されています。

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【温泉記号の碑】

全国的にはあまり知られていない磯部温泉ですが、
この地が発祥とされているもので、日本人の誰もが知っているものがあります。

それは、温泉マーク。

万治4年(1661)、この地で起こった草刈場の入会権に絡む農民同士の争いに決着を付けるため、
江戸幕府は「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」という評決文を出しました。

その中の地図には、温泉マークが二箇所はっきりと記されており、
2008年現在、これより古い資料が見つかっていないことから、
磯部温泉が温泉記号発祥の地とされています。

温泉街にある赤城神社の境内には、「日本最古の温泉記号の碑」がありました。

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【当日のお宿】

この日のお宿は、客室数11のこじんまりした旅館。

先述の若女将をはじめ、女将(またまた別嬪さん!)や従業員の皆様には、
とても明るく感じのよい対応をしていただきました。

また、お部屋や建物も隅々まで清掃が行き届いており、もちろんお風呂も綺麗!
随所に気遣いが感じられるお宿でした。

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【露天風呂】

宿泊日は4月2日でしたが、「エイプリルフール特別企画・嘘のようなホントの価格」で御世話になりました。

食事も美味しく、お安い料金で申し訳ないくらい。

とても気持ちのよい休日を過ごさせていただきました。

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2008年4月 8日 (火)

鉄路の街

またまた、ご無沙汰いたしております。

今回が4月最初の更新です。

なんだかんだと雑事が重なり、最近は更新頻度が非常に悪く、
最近ではあわや月刊というペースに陥っております。

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先週の4月2日~3日にかけて、群馬県安中市にある磯部温泉に行ってきました。

昨年9月の群馬転勤時に、家人と「二ヶ月に一度の温泉めぐり」という約束を交わしており、
これまでは、11月の草津温泉、1月の伊香保温泉と順調にノルマを達成してきました。

しかし、3月はスケジュールが非常にタイトで、何処へ行くことも出来ず、少し遅れての約束履行となりました。

高崎市街地から磯辺温泉へは、国道18号線を西へ真っ直ぐ約20Kmの一本道。
また、信越本線を利用すれば、高崎-磯部間はたったの15分。

日帰りでも十分な一番近場の温泉ですが、
今回は、その先にある妙義山方面の桜を期待して一泊の予定を組みました。

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【妙義山】

しかしながら、当日、現地へ行ってみてがっくり。

やはり早すぎたようで、妙義山腹の桜はつぼみが膨らんだ程度で、
ひょっとしたら、ちらほら咲きぐらいは見られるかもという淡い期待は霧散してしまいました。

そこで、まだ蕾ばかりの妙義山を長い間眺めていても仕方が無いので、
磯部温泉に引き返す前に、安中市松井田町にある「碓氷峠鉄道文化むら」という施設に立ち寄りました。

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【中仙道:坂本宿】

「碓氷峠鉄道文化むら」のある松井田町は、群馬県の最西端に位置し、
隣県長野の軽井沢町と碓氷峠を挟んで接しています。

江戸時代以前には東山道や中山道が通り、碓氷峠には関所が置かれ、
松井田、坂本の二つの宿場を中心に、交通の要衝として発展してきました。

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【アプト式機関車:ED42型】

その後、明治の世になると全国の鉄道網が急速に発達。

信越本線も順調に伸延され、明治26年(1897)には難所・碓氷峠区間(約12km)を最後に全線が開通しました。

この区間は群馬側の横川駅が海抜387m、長野側の軽井沢駅が海抜939mと約500mの標高差があり、
最大で66.7‰(水平距離100m先で6.67mの高低差)という国内路線最大の急勾配が立ちはだかっていました。

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【ED42型プレート】

そのため、開通後も急勾配対策として、各時代における最高水準の鉄道技術が注ぎこまれてゆくことになります。

明治年(1897)、アプト式機関車(※1)の導入。
明治年(1897)、レンガ作りのアーチ式橋としては国内最古の碓氷第三橋梁(めがね橋)の整備。
大正年(1912)、丸山変電所の整備による国内最初の電化。
大正年(1919)、国産第一号の電気機関車の配置。 等々。

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【アプト式機関車底部の歯車動輪】

このように上越本線横川駅-軽井沢駅区間は、日本の鉄道技術史において特別な位置を占めてきましたが、
時代は流れ、平成9年(1997)には長野新幹線の供用開始に伴って、廃線となることが決定されました。

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【トンネル:アプト式鉄道廃線跡】

この決定を受け、地元町民の間には過疎化への危惧が急速に高まり、
行政でも、地域活性化に向けての方策が検討されることに。

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【めがね橋:アプト式鉄道廃線跡】

町民参加で地域懇談会などが開かれ、具体的なアイデアを公募したところ、
町特有の地域資源である鉄道を活用した意見が数多く寄せられ、
「鉄道文化・街道文化をまちづくりに」が地域活性化のテーマの一つとなりました。

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【特急あさま】

そして平成11年(1999)、横川駅周辺整備の一環として、
鉄道テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」がオープンするに至ります.。

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【EF62型】

横川-軽井沢間の本線敷の一部と横川運転区の跡地、旧国鉄の宿舎跡などを用いた4.5haの敷地に、
車両展示や資料館、ミニSLやトロッコ列車、シュミレーターなどの体験施設が数多く盛り込まれ、
とりたてて鉄道ファンではない私や家人も十分に楽しめました。

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【3等寝台車オハネ12-29】

車両の展示は一部を除いては野ざらしで、少々可愛そうな気もしましたが、
広大な敷地に気動車、客車、貨車、蒸気機関車やディーゼル機関車が並ぶ姿は壮観でした。

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【3等客車ナハフ11-1】

そして、何といってもこの施設の最大の目玉は、
碓氷峠専用のEF63型電気機関車の実車運転体験ができること。

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【運転台】

EF63型機関車はアプト式から粘着式(※2)に移行した昭和38年(1963)以降、廃線に至るまで、
横川-軽井沢間の急峻な峠越えに備えて補助車両として連結されていた名物車両だそうです。

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【峠のシェルパ:EF63】

半日かけて学科実技講習を受けて、その日に行なわれる修了試験に合格すれば、
翌日以降に、晴れて本物を運転することができるのです。

学科実技受講料が\30,000、300mの区間を往復する体験運転が一回あたり\5,000という価格設定は、
一般観光客向けとはいえませんが、本物の機関車の体験運転が出来る施設は全国的にも例がないようです。

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【「グリーンブリーズ」号】

今回は時間とお金が無く体験は出来ませんでしたが、
鉄道ファンでなくとも心動かされるものがありました。

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【動輪:蒸気機関車D51】

「碓氷峠鉄道文化むら」の入場者数は開園以来9年で180万人を突破。
年間平均で20万人の動員は立派なものではないでしょうか。

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【ミニSL】

この日も春休み期間中ということもあり、沢山の家族連れやカップル(熟年多し)で賑わっていました。

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【トロッコ列車「シェルパ君」】

開園当初は、心無い鉄道マニアによる部品やプレートの盗難・破損事件が頻発し、
車両の扉をバーナーで焼ききって、運転台ごと持ち去る等の過激な犯行も見られたようですが、
国鉄OBのボランティアや全国の善良な鉄道ファンに支えられて、
行政主導のテーマパークによる地域振興の優良事例となっているようです。

(次回に続く。)

※1 通常の2本レールの間に、ラックレールという鋸状のレールを敷き、
    機関車底部の歯車(動輪)をかみ合わせて勾配を上る方式。
    現在、国内では大井川鉄道のみで採用されています。

※2   車両とレールの摩擦だけで運転する、一般的な鉄道方式。

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