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2008年2月 2日 (土)

石段と湯の街

先月の28日に、家人を伴って伊香保温泉街に一泊の小旅行に行ってきました。

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群馬県は那須火山帯と富士火山帯が交差する火山のメッカ。
したがって、あちらこちらから温泉が湧出し、多くの温泉街が形成されています。

その中でも、先日このブログでも紹介した草津温泉街と並んで、
県下で最もメジャーな温泉地に挙げられるのが伊香保温泉街です。

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【物聞山山頂より伊香保温泉街を望む】

伊香保温泉街は、上州三名山の一つ、榛名山の北東の中腹(標高700m)に位置し、
その歴史は、約1900年前の第11代垂仁天皇の時代にまで遡ると伝えられています。

また、万葉集に収められた東歌は25首ありますが、
そのうち9首は伊香保を詠んだ歌(※1)であり、
このことからも、その歴史の古さを窺い知ることができます。

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【川床が赤く染まる湯川】

伊香保温泉街の原型は、古くは湯川の沢筋に湧出する源泉付近にあったようですが、
天正3年(1575)の長篠の合戦の後、多数の武田方戦傷者を収容するために、
より広い現在の場所に移されたようです。

現在、伊香保の象徴として独特の温泉情緒をただよわせている「石段街」が形成されたのも、
長篠の合戦の翌年、天正4年(1576)頃だといわれています。

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【湯川】

源泉から360段ある石段の下までは約860m。

この石段の地下に木製の導管を通し、
決められた量の湯を各旅館や温泉施設に分湯する方式が採られています。

伊香保独自のこのシステムは「小間口」制度と呼ばれており、現在も現役で稼動しています。

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【伊香保2号源泉噴出口】

430年以上も前に、遠くの源泉からお湯を引っ張り、各戸に分湯するには、
高い導管技術と統率力が不可欠であったと思われますが、
それを担ったのが、伊香保土着の14家の武士集団でした。

これら土豪達の子孫は「大家」と呼ばれ、代々引湯権を継承してゆくことになります。

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【温泉飲泉所】

現在、石段には十二支のプレートが埋め込まれており、
それは、かつてあった12軒の「大家」の屋敷跡を示しています。

「子」小暮武太夫  「丑」小暮八左衛門 「寅」小暮金太夫  
「卯」島田平左衛門 「辰」岸権三衛門  「巳」岸六左衛門  
「午」永井喜左衛門 「未」大島勘左衛門 「申」岸又左衛門  
「酉」千明三右衛門 「戌」後閑弥右衛門 「亥」島田治左衛門

あとの2軒には干支が足りなくなった為か、別の二字が与えられました。

「乾」福田金左衛門 「坤」島田権右衛門

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【飲泉口】

温泉開発当時の功労によって、十二支が割り振られており、
主席の「子」を継承する「ホテル小暮」は、今も「子の湯」を名乗り、
伊香保の石段下に流れるお湯の25%の引湯権を所有しています。

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【石段街から続く伊香保神社参道】

しかしながら、長い時間の流れの中で14軒の「大家」も様変わりし、
大半が温泉・旅館業から離れており、先述の主席「子」の「ホテル小暮」をはじめ 、
「寅」の「金太夫」 、「辰」の「岸権」、「酉」の「千明仁泉亭」の4軒を残すのみとなっています。

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【大吉?:伊香保神社】

現在、多数の温泉施設が伊香保温泉街に立ち並んでいますが、
この4軒以外は、「大家」からお湯を買っての営業ということになります。

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【金太夫玄関口】

この日お世話になったのは、「寅」の「金太夫」 。
現在の当主金太夫氏は20代目となり、伊香保の歴史と共に歩んできた老舗旅館です。

しかし、伊香保屈指の老舗「金太夫」も、
平成16年(2004)の温泉偽装事件の打撃から立ち直れず、
平成18年(2006)の4月からは、㈱伊東園ホテルに経営権は移っているそうです。

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【足湯:金太夫敷地内】

温泉偽装事件とは、源泉かけ流しなどと謳っていた温泉施設の一部が、
実は水道水を使用していたという事件。

マスコミに大々的に報道され、伊香保温泉街から客足が遠のき、
多くの温泉施設が経営の危機に晒されました。

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【伊香保温泉露天風呂入り口】

この事件の根源は、需給バランスの崩壊。

伊香保では開湯以来、源泉の所有権は「小間口」権者にあります。

源泉を利用できるのは「小間口」権者と、
彼らからお湯を購入した者のみであるにもかかわらず、
戦後、急激に旅館が乱立、温泉街が肥大化してしまったため、
源泉が不足する事態になりました。

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【伊香保温泉露天風呂】

その結果、一部の旅館経営者のモラルが低下。

この伊香保の街を切り開いた土豪たちが、後世に伝えた分湯システムは、
仁義無き顧客獲得競争の中で踏みにじられてしまいました。

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【伊香保温泉露天風呂】

江戸時代には、滝沢馬琴や十返舎一九などの文人墨客が訪れ、
明治以降も幸田露伴、萩原朔太郎、与謝野晶子、島崎藤村、芥川龍之介、
徳富蘆花、林芙美子などなど、名だたる文豪たちが愛した伊香保の街。

彼らはそれぞれの作品の中で、
温泉情緒が漂う中にも歓楽街として活気に溢れていた、
当時の伊香保の姿を生き生きと描いています。

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【石段街①】

中でも、伊香保の名を全国に知らしめたのは徳富蘆花。

彼の代表作「不如帰(ほととぎす)」は、伊香保で執筆された作品で、
伊香保の宿の一室から物語が始まっています。

日清戦争の時代の封建的な家族制度の中で繰り広げられる夫婦の物語は、
明治31年(1898)に国民新聞に連載されるや、大変な人気を博しベストセラーとなりました。

主人公浪子の「ああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」
というセリフは日本近代文学を代表する名セリフといわれ、
その後は数々の映画・演劇の原作となり、昭和38年(1963)にはNHKでもドラマ化されました。

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【石段街②】

また、林芙美子の代表作「浮雲」は、農林省のタイピスト幸田ゆき子と技官富岡憲吾との、
なんともやるせない男女の関係を描いた物語。
ここでは、厭世観に襲われた二人が、心中する為に伊香保を訪れる場面が描かれています。

昭和30年(1955)に、主演高峰秀子・森雅之で映画化され大ヒット。
作品と監督の成瀬巳喜男は、数多くの映画賞に輝きました。

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【夜の石段街】

私たちにとっては、この日が初めての伊香保訪問でしたが、
小説や映画を通して抱いていたイメージとはかなり違い、
月曜日ということもあるのでしょうが、寂れた感じは否めませんでした。

偽装事件は伊香保温泉街にとって、
また、温泉ファンにとっては不幸な事件ではありましたが、
新たな経営となった「金太夫」をはじめ、伊香保の温泉街全体が、
伝統を大切にしながら、再び活気を取り戻す日が来ることを願っています。

※1 詳しくは⇒「伊香保万葉歌碑

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