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2008年1月13日 (日)

大坂最初の自治都市

皆様、明けましておめでとうございます。

年が明けてはや12日が経ちますが、2008年最初の更新なので、
ひとまず、ご挨拶をさせて頂きます。

昨年の初更新は11日。
スタートから遅れ気味ですが、今年もよろしくお付き合い下さい。

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新年第一弾も大阪から。

先日(7日)帰阪の折に、所要で大阪市平野区を訪れました。

大阪市の南東部に位置する平野区一帯は、
市内でも最も早くに開けた場所の一つで、その起源は上古にまで遡ると伝えられています。

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【染・織物のまつや:平野郷】

古の昔、この地を治めた杙俣長日子王(くひまたながひこのみこ=日本武尊の孫)の名に因んで、
「くまたの荘」と称したのがその始まりだそうです。

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【平野環濠跡:杭全神社境内 05.12.03撮影】

その後、平安時代には坂上田村麻呂の子広野麻呂(ひろのまろ)がこの地を朝廷より賜り、
以来、広野麿呂の子孫が永く当地を治めていたので、
しだいに「くまたの荘」が「広野の荘」と称されるようになり、
「ひろの」が転訛して「ひらの(平野)」と呼ばれるようになったようです。

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【平野環濠跡の碑:杭全神社境内 05.12.03撮影】

戦国時代以降は、環濠自治集落として発達したことでも知られており、
環濠と土塀で町を自衛し、町人の代表が町政を運営した自治都市(平野郷)として、
日本の近世史に、堺とともにその足跡を残しています。

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【杭全神社:拝殿 05.12.03撮影】

江戸時代には、平野郷の東側に隣接する河内平野一帯はまだ湿地帯で、
その中を大和川が扇状に幾筋もの支流に分岐しながら北上し、旧淀川水系と合流していました。

宝永元年(1704)になると、氾濫を繰り返す大和川を、新たに掘削した水路(現在の大和川)に付け替え、
西に向けて真っ直ぐ大阪湾に流すという壮大な大土木工事が行われます。

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この工事によって、広大な湿地が耕作地として生まれ変わり、
そこでは米の他にも、商品作物として綿花の生産が活発に行われるようになります。

河内から大坂へ抜ける交通の要衝となった平野郷は、
その河内木綿の集散基地として繁栄を極めました。

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【時の合図:大念仏寺】

また商業の発展は文化の交流を呼び、
京都や堺と同じく、連歌や茶道、能楽などが町民の間にも普及するようになり、
連歌所や民間の学問所などが建てられました。

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【楠:大念仏寺境内】

また、歴史ある町がいずれもそうであるように、
平野の町にも多くの神社仏閣が残っています。

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【水かけ不動:全興寺】

中でも、大治2年(1127)創建の諸仏護念院大源山大念仏寺は、
坂上広野麻呂の私邸内に建立した融通念仏の道場が前身といわれており、
日本最初の念仏道場として全国に知られています。

24000㎡の広大な境内には30余りの諸堂があり、
昭和13年(1938)に再建された本堂は、大阪府下最大の木造建築です。

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【マニ車:全興寺】

その他にも、広野麻呂の子当道(まさみち)が貞観年間4年(862)に創祀した杭全神社や、
その杭全神社の奥の院と仰がれた野中山全興寺など、
貴重な文化財が数多く残り、町全体が博物館のようになっています。

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【道しるべ①】

現在の平野区は大阪市内24区の中で、唯一人口が20万を超える巨大区。

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【子安地蔵】

しかしながら、第二次大戦で殆ど空襲の被害に遭わずに済んだ旧平野郷一帯は、
江戸時代初期に定められた、昔ながらの町割を現在も保っています。

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【道しるべ②】

環濠自体は、ほとんど埋め立てられ跡形を留めていませんが、
江戸時代の中二階を持つ伝統的な町屋建築と、
昭和の長屋建築が混在する街並みは風情たっぷり。

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【平野中央本通商店街】

その合間を縫うように連なる平野中央本通商店街と平野本町通商店街も、
大阪市内でよく見かけるパチンコ屋が軒を連ねるギンギラ商店街とは違う、
昔ながらの純朴な味わいの商店街。

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【おばあちゃんと孫:平野中央本通商店街】

商売的には非常に厳しい環境にあるだろうことは想像されますが、
何とかこのまま頑張ってもらいたいと、無責任ながら思ってしまいます。

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【路上バスケ】

この日の散歩時間は約2時間。

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【肉屋さん】

今までにも何度か訪れたことがある町ですが、
時間さえあれば、いつまでも退屈せずに散歩できそうでした。

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【路地の花】

大都会の一角にありながら、時間自体がゆっくり流れている。
そんな感じがする町でありました。

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コメント

大阪の街をまったく知らない私は
大阪は近代的な高層建築ばかりと勝手な想像を
していましたが実は人間臭い街なんですね。
お友達の大阪の写真は近代的な光景ばかりですが
こうして古くからの地元に密着した様子を拝見しますと
大阪人の温かな人柄が良く理解できます。

投稿: いぶき | 2008年1月13日 (日) 16時19分

いぶきさん
大阪市内でも中央区や北区などの中心部を除けば、
高層建築は少なく、むしろ低層建築が密集した住宅&中小工場地帯が大部分。
平野区は、その中に歴史的な建物を散りばめたといった感じです。

長い時間散歩していても飽きない、魅力的な町でした。

投稿: yufuki | 2008年1月14日 (月) 01時58分

今晩は、
大阪を知ることが出来ました。(ほんの一部分でしょうが、新しい発見が有りました。)
遅く成りましたが、今年も宜しくお願いします。

投稿: KIYOOKU | 2008年1月14日 (月) 18時09分

堺の他に自治都市があったとは驚きです。大戦の空襲の被害にも遭わず、江戸時代の町割が今も残っているなんて奇跡ですね。
町全体が博物館とは…凄いです。すぐにでもこの目で見てみたい衝動にかられました。

投稿: kazuo | 2008年1月15日 (火) 19時31分

平野は行ったことが無いのですよ~でもすごーく親近感がわく街ですね。
わがふるさと・西宮北口も、震災前まではこういう感じでした。
3つの大きな市場があって、わたしは小さい頃からそこで遊んでました。
このコロッケ屋さん、いいなぁ~
学校の帰りによく買ってかえったものです。
市場が全部つぶれてしまって、ふるさとは完全に変わってしまいました。
つまんないビルに全部入ってしまって・・・
こういう町がいつまでも残ってほしいものです。

投稿: きょんち | 2008年1月15日 (火) 21時40分

KIYOOKUさん
せっかく御挨拶ををいただきながら、
お返事が大変遅れてしまい申し訳ございません。

此方こそ、よろしくお願いします。

投稿: yufuki | 2008年1月21日 (月) 11時17分

きょんちさん
私が育った東大阪の町も、こんな感じの町でした。
大阪の町はゴチャゴチャして、狭苦しいけど、
人と人の距離が近くて、御近所同士の良い繋がりがありました。

だんだんそんな町も、減っていますね。
寂しいことです。

投稿: yufuki | 2008年1月21日 (月) 11時21分

kazuoさん
このあたりは、古い大阪の面影が色濃く、
平野のすぐ隣の八尾市の久宝寺界隈には、
かつての寺内町の町割りも残っています。

大阪府外向けにはあまりアピールしないので、
メジャーではありませんが、
いい町並みを見ることができます。

投稿: yufuki | 2008年1月21日 (月) 11時28分

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