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2007年10月 7日 (日)

古代東国の中心地

初期の倭王権(4~5世紀)は、畿内の倭国と地方の有力諸国の首長(王)との連合で成り立っていました。

その中にあって、上毛野(かみつけの)国は九州の筑紫国、中国の吉備国などと肩を並べる大国で、
倭王権を代表して中国・朝鮮半島との外交や軍事、あるいは蝦夷征討に携わったと伝えられ、
その後、大和朝廷が支配体制を確立し始めた7世紀においても、
上毛野国は依然として大きな力を持っていました。

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【八幡塚古墳】

推古12年(604)に聖徳太子が制定したとされる冠位十二階にも、
第二位(大仁)の上毛野君形名(かたな)や、第三位(小任)の物部連兄麻呂(えまろ)など、
上毛野国を地盤とする豪族の名が見られます。

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【八幡塚古墳:後円部より】

また、天武朝(7世紀末)には「東国六腹の朝臣」として、
祖を同じとする上毛野・下毛野・大野・佐味・池田・車持の6氏が、
貴族としては最高の位「朝臣」を賜っています。

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【八幡塚古墳:後円部】

その中の車持氏は、現在の高崎市がある榛名山南東地域一帯を治めた豪族。

この一族が治める場所は、当時、車郡(くるまさと)と呼ばれていましたが、
大宝元年(701)、朝廷は大宝律令の中で“慶字二文字”の詔を出し、
朝廷支配下の地名を大和風に改変する事業に乗り出したため、
それに応じた形で、上毛野国は上野(こうずけ)国、
車郡は読みは変わらず、表記上、群馬(くるま)郡となりました。

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【八幡塚古墳:後円部墳頂】

そして後代、明治4年(1871)の廃藩置県の際に、
上野国は、古代から一番大きな郡であった“群馬”の名を残し、
群馬(ぐんま)県とされ、現在に繋がっています。

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【八幡塚古墳:円筒埴輪(複製品)】

本日の写真は、古代における群馬の中心地であったと思われる場所、
東の国の王たちが眠る保渡田古墳群(高崎市群馬町)を訪れた際のものです。

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【八幡塚古墳石室:舟形石棺】

保渡田古墳群は、墳丘長100m級の3基の前方後円墳、
二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳からなる東日本でも有数の古墳群で、
約1500年前の造営であることが判っています。

二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順に約50年間隔で築造されており、
同族の首長の親~子~孫3代の墓ではないかと推測され、
一説によると埋葬者は車持氏の祖ではないかと云われています。

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【二子山古墳:復元整備中】

八幡塚古墳と二子山古墳は、現在「上毛野はにわの里公園」として公園整備されており、
その公園の中核施設として「かみつけの里博物館」が墳墓の隣接地に建てられています。

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【埴輪:盾持ち人(複製)】

館内は9つのコーナーに分けられ、5~6世紀の豪族やムラに住む人々の生活の様子が、
埴輪や土器などの豊富な出土資料や復元模型を用いて、解かりやすく紹介されています。

受付嬢によれば、館内は申請すれば写真撮影OKということでしたが、
HPやブログ掲出はNGということなので、今回は館内写真はナシ。

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【かみつけの里博物館】

この付近一帯は、イタリアのポンペイ同様、
6世紀初頭の榛名山の大噴火による火砕流で一瞬にして埋没したため、
埴輪や土器などが良好な状態で出土するそうで、
貴重な現物資料が\200の低料金で見学することが出来ます。

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【薬師塚古墳にあるお寺の本堂】

一方、薬師塚古墳は、3段に築かれた前方部の南側が大きく削られ変形しており、
現在はそこに、あるお寺の本堂が建てられています。

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【薬師塚古墳出土の舟形石棺】

お寺の境内に当たる後円部の墳頂にも祠があり、
その脇には、ここから出土した舟形石棺が無造作に、剥き出しで置いてありました。

国指定の重要文化財という看板が、群馬町教育委員会の名で立てられていましたが、
私有地(?)ゆえなのか、あまりの無防備さに驚いてしまいました。

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【彼岸花と小祠:薬師塚古墳】

八幡塚古墳の演出過剰なまでの復元状況と、薬師塚古墳の現状を見比べると、
この格差は何なのだ!?と思う気持ちが無きにしも非ずですが、
広々とした公園で、しばしの古代ロマンに浸れたのも確か。

納得したような、出来ないような、複雑な感想を胸に保渡田古墳群を後にしました。

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コメント

いよいよ群馬での活動開始ですね。
それにしても、群馬にこれ程の古墳群があったなんてまったく知りませんでした。高崎には何度も行ってるのですが…。古代史にお詳しいyufukiさんの解説、大変勉強になりました。

投稿: kazuo | 2007年10月 7日 (日) 20時58分

kazuoさん
有難うございます。
生活のほうも落ち着いて、ぼちぼち活動開始です。
群馬県には太田天神山など、一部を除いては、
全国的に有名な古墳は少ないですが、
数で見れば奈良県の2倍ほどあるそうです。

これからの古墳巡り、楽しみになりました。

投稿: yufuki | 2007年10月 8日 (月) 18時45分

いまWikipediaで群馬県をみてきました。
なるほど~yufukiさんのブログとあわせて読むと、よくわかりますね。
すごい前方後円墳ですね、まるで今そこにこの地の覇者が立っている様な気持ちがします。
「車」というのが「ぐんま」の元の名前なんですね?それほどすごい豪族だったわけですね。
日本の歴史は中央政権のことしか学校では教えません。
しかも教科書では卑弥呼の時代から突然飛鳥時代に飛ぶので、この時代のことはまるでわかりません。
ちゃんと教えてもらいたいものですが・・・・
そうするとただでさえ時間が足りないのに、もっと足りなくなるのかな??

投稿: きょんち | 2007年10月10日 (水) 16時11分

きょんちさん

>しかも教科書では卑弥呼の時代から突然飛鳥時代に飛ぶので、
>この時代のことはまるでわかりません。

宮内庁が管理する陵墓と陵墓参考地約80基は、
考古学者が立ち入って観察研究することができません。
このことが、我が国の成り立ちを紐解くにあたり、
大きな障壁となっています。

一国民としては、納得いかないものがあります。

投稿: yufuki | 2007年10月11日 (木) 01時18分

そういえば井沢元彦氏の「逆説の日本史・古代黎明編」でも
同じことをおっしゃってましたよ。
彼は右翼よりの作家ですが、それにもかかわらず「天皇陵の調査を!」と
叫んでいます。
本当に真実が知りたいですね。

投稿: きょんち | 2007年10月16日 (火) 20時50分

きょんちさん

>本当に真実が知りたいですね。

解からないから、ロマンがあるのかもしれませんが、
やはり知りたいですね~

宮内庁は全てにおいて、閉鎖主義。

いまだに、万系一世を信じている国民など殆ど無く、
わが国の成り立ちをオープンにした方が、
皇室の為にもいいと思います。

投稿: yufuki | 2007年10月19日 (金) 17時48分

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