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2007年7月 8日 (日)

修験の霊場

世紀末、呪術師の役小角(えんのおずぬ)は、日本古来の山岳信仰や神道と、
外来の仏教や道教を融合させた新しい宗教、修験道を成立させました。
そして、大峰山系(吉野山~金峰山~大峰山)から紀州・熊野にかけての険しい山岳地帯を霊場としながら、
金峰山を拠点とする山伏たちは真言系の当山派を、熊野を拠点とする山伏たちは天台系の本山派を形成するに至ります。

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【五流尊瀧院表門】

古い歴史をもつ全国各地の山岳霊場の多くは、中世末までに当山派と本山派の系列に組み込まれましたが、
特別の伝統をもつ筑後の英彦山や備前の児島五流などの山伏たちは独立を保ちつづけました。
本日紹介するのは、その児島五流修験道の総本山、倉敷市にある五流尊瀧院と熊野神社です。

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【護摩堂裏手】

児島五流修験道の起源は、今から1300年以上前に遡ります。
文武天皇元年(697)、大和国の葛城(かつらぎ)にいた修験道始祖・役小角は、
民衆を惑わす邪教の首魁として罪に問われ、伊豆大島に流されました。
その時、紀州・熊野にいた高弟らは、自らにも難の及ぶことを恐れ、
文武天皇3年(669)、熊野本宮の神体を船に移し、瀬戸内海に脱出しました。

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【本堂】

その後3年余り、淡路島など瀬戸内海各地を流浪した果てに児島の沖まで辿り着きましたが、
ついには飲み水にも困ってしまい、一同で天にむかって祈念を行いました。
すると、不思議な事に周囲の海水が真水となったと伝えられています。
この伝説が「水島」の地名の由来となったそうです。

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【護摩堂】

大宝元年(701)に小角が釈放となり、それを期にこの地に上陸。
この時、高弟たちが熊野権現の神体を奉斉したのが太法院・報恩院・建徳院・伝法院・尊瀧院の五院で、
これが、児島修験の起源となります。
小角の立行相伝の家として重きをなしながらも、五院はそれぞれ行法軌則のことなる修法を伝えて一派をなし、
後には児島五流と呼ばれるようになりました。

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【御庵室】

天平12年(740)、聖武天皇から神領として児島郡を拝領。
天平宝字5年(761)には熊野権現の社殿と、本地堂・千射仏堂・五重塔・鐘楼・仁王門を建て新熊野山と号しました。
続けて、児島郡木見村(倉敷市木見)に新宮諸興寺を建立、山村(倉敷市由加)には本地堂を設けて新熊野瑜伽寺とし、
本宮と瑜伽寺と諸興寺をあわせて新熊野三山と称しました。

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【庭園】

時代は下って建久3年(1192)、源頼朝が鎌倉幕府を興し、政治の実権は朝廷から幕府に移りますが、
いまだ国内情勢は不安定で、御家人同士が激しく争っている状態が続いていました。
それを制したのは頼朝の外戚にあたる北条氏で、二代・頼家、三代・実朝の死も北条氏の陰謀と言われています。
しかし幕府の内紛はなおも続き、その土台は決して磐石とは言えませんでした。

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【十一面観音像】

承久3年(1221)、後鳥羽上皇はこの機に乗じ、権力を再び朝廷の元に取り戻さんと、
執権北条義時追討の院宣を発し、兵を挙げます。
当初、鎌倉は混乱に陥りますが、幕府の元老・三浦義村が早々に北条氏への忠誠を表明。
すると御家人達の動揺も一気に鎮まり、たちまち十数万の幕府軍を整え、上皇のいる京都へ攻め上りました。

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【不動明王像】

朝廷軍は腰砕けになり、乱はあっさりと鎮圧され、上皇の志はむなしく潰えてしまいます。
これが承久の乱で、「皇室が人臣と兵革を用いて政権を争い、事実上、形式上 明に屈服したまいたる唯一の乱」
(「増鏡に見えたる後鳥羽院」谷崎潤一郎)でした。

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【焚き火】

結果、後鳥羽上皇は隠岐へ流され、上皇の第6皇子令泉宮頼仁親王もこの乱に加担したとされ、
ここ五流尊瀧院に流刑となりました。
すでにこの地には第4皇子桜井宮覚仁親王も流されてきており、二人の親王はこの地で寂しく余生を過ごしました。
延応元年(1239)、出家し法皇となった後鳥羽院も無念のうちに隠岐で終世を迎え、その遺骨は3つに分けられました。
1つは隠岐に、1つは都に、そしてもう1つがこの地に移されました。

五流尊瀧院近くには、そのご遺骨を納めた供養塔が建てられています。
皮肉にもこの乱をきっかけに、北条政権の基盤は確固たるものとなり、
後鳥羽院が志した天皇親政の実現には、100年後の後醍醐天皇による建武の中興を待たなければなりませんでした。

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【後鳥羽上皇御影塔】

南北朝時代から室町時代にかけては、神領や寺領がつぎつぎに削減され、新熊野三山は衰退の一途をたどります。
そして、決定的な打撃を蒙ったのは、応仁元年(1467)の覚王院円海の叛逆でした。
円海は細川勝元の縁者で、五流のなかにありながら勝手な振舞が多く、山内では円海打倒の機運が高まっていました。
危険を察知した円海は、備中国の阿知(倉敷市西阿知)へ逃走、この地に新たに熊野権現を勧請して対抗勢力を集め、
細川の兵を借りて新熊野山に乱入、 三十有余の伽藍僧坊を一夜のうちに焼き払ってしまいました。

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【三重塔】

それから20数年後、大願寺住職・天誉(てんよ)が再興に着手し、
明応元年(1492)以降に本殿・大日堂・三重塔(県指定重文)・長床などを再建。
熊野神社本殿の一棟(国指定重文)はこのとき再建された社殿です。
しかしながら、後鳥羽院の御廟堂と経蔵、覚仁親王の御廟などは再建することができませんでした。

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【横一列に並ぶ熊野神社社殿】

下って戦国末期の天正10年(1582)、備中高松城の水攻めに加勢しなかったという理由で羽柴秀吉の弾圧をうけます。
すべての神領を失い、以降の児島五流は悲境の一途をたどることとなりました。

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【春日造りの神殿二棟(右は国指定重文)】

この日の備前国の修験のメッカは訪れる人も無く、ひっそりと静まり返っていました。
五流尊瀧院の本堂や護摩堂を見た後、隣接する熊野神社に回りましが、
その境内には尊瀧院の三重塔が聳えており、まさに神仏習合のモザイク状態でした。
また、神殿など数棟の社殿が横一列に配置されており、縦配列の神社を見慣れた者には奇異な感じがしました。
この配列は紀州の熊野本宮と同様で、熊野神道の社殿配置が完璧に残る全国的にも貴重な例とされているそうです。

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【役小角像】

時折小雨がぱらつく梅雨空の下、しばらくは撮影をしながら1人境内を歩きましたが、
すれ違う人も無く、あまりの静寂に寒気を感じ、足早に車に向かい退散してしまいました。
私自身は、どちらかと言うと、現代科学の信奉者で、心霊や神秘主義を是としない立場ですが、
さすがに1300年続く霊場、独特な雰囲気がありました。

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コメント

はじめまして、湾といいます。
写真初心者です。

【ブログ村】より訪問しました。
写真を全部見たんですが、すっごく綺麗ですよねッ!!
僕もブログで写真を載せたりしています…。
それはいいんですが…;。
YUFUKIさんの写真のとても初歩的なところなんですが、
ピントがきちりとあっていてめっちゃくちゃシャープじゃあないですか、どうやったらそんなシャープに撮れるんでしょうか…コツを知りたいんですが…。

投稿: | 2007年7月 9日 (月) 17時44分

湾さん
お訪ねいただき、有難うございます。

>ピントがきちりとあっていてめっちゃくちゃシャープじゃあないですか、
>どうやったらそんなシャープに撮れるんでしょうか…
>コツを知りたいんですが…。

何とお答えすればよいか、難しいですが…
殆どがAF撮影ですし、ホントに何も考えていません。
ただ、コレだけ機材が進歩した世のなかなので、
手振れ・ピンボケはご法度と、念じて撮っています(笑)

あと、考えられるのが、RAW撮影なので、
現像ソフトのおかげが大きいかもしれません。
ちなみに、SILKYPIXを使っています。

投稿: yufuki | 2007年7月11日 (水) 00時45分

あれ~コメント入れたつもりだったのですが、入ってない???
すみません、もう一度書き込みますね。
お寺での撮影って、私はきらい~やっぱり暗くてブレやすいからなぁ。
私は手が小さくてEOSKissですら落としそうになるんですよ~
でっかい一眼をちゃんとホールド出来る男性がうらやましいなぁ・・・
これからはちゃんと念じながら撮ることにします!
でもyufukiさんの写真が上手いのは、構図が良いからだと思います。
「今頃何を・・」と言われそうですが、やっぱりパンフォーカスの写真は構図が命!ですね~

ところで「空飛ぶ表具屋」読みました!
面白かった・・・でも手に入れるのにえらく時間がかかりました(笑)

投稿: きょんち | 2007年7月11日 (水) 21時57分

きょんちさん
お寺の撮影、確かに暗い場所が多いですね。
天気の悪い日はもちろん暗いし、
晴れたら晴れたで、明暗差に悩まされます。

私も体はでかい方ですが、手が小さく、何よりも落ち着きが無いので、
この日ほんとうに熊野神社でカメラを落としてしまいました。
幸い本体・レンズは無事でしたが、タムロン17-35のレンズフードは破損してしまいました。
ヨドバシで新たに購入したら¥3360!!
足元見すぎでっせ~タムロンはん・・・

構図、評価いただき有難うございます。
コレを励みにさらに精進しよう!

投稿: yufuki | 2007年7月12日 (木) 01時42分

手振れかもしれないですねえ…。
4きりまで引き伸ばしたので…。
でも、手振れ補正、AF機能と。
今のカメラ便利ですよね、確かに。


それから、ブログ訪問ありがとうございます。

投稿: | 2007年7月14日 (土) 18時55分

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