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2007年7月12日 (木)

新しき世界

月曜日(7月9日)はお休みで帰阪。
生憎、小雨交じりの曇り空でしたが、所用もあり、久しぶりに新世界を訪れました。

新世界は言わずと知れた、大阪を代表する歓楽街。
そのレトロ感あふれる雰囲気から、東京の浅草や名古屋の大須と並んで論じらることがありますが、
2つの街が歴史のある門前町の性格を持っているのに対し、新世界は後発の人工的な街です。

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【天王寺公園からの新世界】

新世界の街の起こりは、明治36年(1903)に天王寺一帯で開かれた第5回内国勧業博覧会に遡ります。
内国勧業博覧会は明治10年(1877)、第1回の東京を皮切りに、
2回目と3回目も東京、4回目は京都で開催されていました。

続く5回目の大阪での内国勧業博覧会は、日清戦争勝利後の国威を内外に示す絶好の場として、
日本の企業や団体の参加はもとより、国外からも13カ国の参加を受けて、
「日本初の万国博」と呼べるほどの規模となりました。
国内外の最新技術が寄せられた博覧会は大変な人気を博し、5カ月の開催期間中に530万人という入場者を集め、
大盛況の内に幕を閉じました。

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【通天閣】

閉幕後、跡地周辺には大阪鉄道(関西鉄道を経て現・JR西日本旅客鉄道)や阪堺電気軌道の鉄道駅が整備され、
博覧会から6年後の明治42年(1909)には、跡地東側に天王寺公園が設営されることとなります。
残る西側の土地2万2000坪も大阪財界出資の企業、大阪土地建物㈱に一括で払い下げられ、
跡地開発が着々と進められてゆきました。

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【新今宮方面からの通天閣】

大阪土地建物㈱に払い下げられた用地の北半分には、パリの街路をイメージした放射状の3つの通りが配され、
その要の広場にエッフェル塔を模した塔が建設されます。
その塔は儒学者・藤沢南岳により「天まで通じる塔」という意味で、「通天閣」と名付けられ、
高さ64mの威容と斬新なデザインは、当時の人々の度肝を抜いたと伝えられています。
この初代通天閣は現在のものとは外観が異なり、凱旋門の上にエッフェル塔を乗せたような感じでした。
一方、用地の南半分にはニューヨークのコニーアイランドに似た遊園地を開くこととし、「ルナパーク」と命名されました。

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【新世界本通り商店街】

明治45年(1912)、初代通天閣とルナパークが開業すると、その周りには芝居小屋や映画館、飲食店等が集まりはじめ、
また当時の人気興行であった大相撲の国技館も建設され、「市民の共同娯楽園」としての新世界が誕生します。
周辺地域でも大正4年(1915)に市立天王寺動物園が、大正7年(1918)には飛田遊廓が開業するなど、
一帯は大阪を代表する一大歓楽地帯として認識されるようになってゆきました。

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【新世界のおじさん1】

オープン当初は子供連れや浪速見物の観光客に人気を博したルナパークですが、10年もすると客足は激減し、
大正12年(1923)には敢え無く閉園となってしまいます。
また、初代の通天閣は、第二次世界大戦中の昭和18年(1943)に脚下の大橋座(劇場)の火災に巻き込まれて焼失。
焼け跡は解体されることになり、鉄材は戦時供出に付されました。
そして昭和20年(1945)3月13日、大阪は米軍の大空襲に見舞われ、新世界も被災。
一面の焼け野原になってしまいました。

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【新世界のおじさん2】

戦後は、昭和22年(1947)頃から、ジャンジャン横丁が先ず復興し、周辺一帯も徐々に活気を取りもどして行きます。
昭和31年(1956)には二代目通天閣(現存)が開業。
しかし、時代が下るとともに、家族連れ向けの娯楽ゾーンであった新世界は、大人向けの歓楽街へと姿を変えてゆきました。
そして、一時は一般人がおいそれとは立ち入り難い危険な雰囲気をかもし出すようになってゆきました。

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【新世界のおじさん3】

大阪のキタやミナミの繁華街の隆盛と観光の多様化、そしてデンジャラスなイメージの定着も手伝って、
高度成長期以降の新世界は、長らくの間衰退を極めます。

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【新世界のおじさん4】

ようやく平成8年(1996)の阪神・淡路大震災復興を契機として新世界全体が明るく改装される運びとなり、
カラータイルの舗装や街灯、モールゲートなどが整備され、
再び家族連れが気軽に立ち寄れる街へとイメージチェンジが図られました。

また同年、NHKが新世界界隈を舞台とした朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」を放映し、
翌平成9年(1997)には、新世界では久々の大型施設としてフェスティバルゲートとスパワールドが開業。

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【破綻したフェスティバルゲート】

しかし、懸命のアピールもむなしく、往時の賑わいを取り戻す事は出来ず、
鳴物入りで開業したフェスティバルゲートも平成16年(2004)には経営破綻、閉鎖の憂き目となりました。

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【行き交う自転車】

戦後の長い間、時代から取り残されてきた新世界でしたが、
ここ数年、皮肉にも現在進行形ではない「昔の繁華街」の雰囲気にスポットが当たり始めました。
旅行雑誌やTVのバラエティではレトロな飲食店や遊技場が度々取り上げられるようになり、
商店会の二代目三代目の若手経営者(といっても結構おっさんらしい)を中心に、
街全体が再び活気を取り戻しつつあります。

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【新世界の中心で写メを撮る】

この日は、近隣の天王寺公園や動物園が休園日の月曜日。
それでも、まだ午前中にもかかわらず、観光の人たちの姿もちらほら見ることが出来ました。
通天閣とド派手看板をバックに写真を撮る学生さんや、名物の串カツを食べる家族連れ、
仲良くスマートボールに興じるカップル等々。

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【親子連れ】

街全体でコテコテのディープ大阪を演出し、観光資源として活用する様子は、
歓楽街というよりはもはやテーマパークの域。
しかし、それは批判的な意味合いではなく、開き直りに近いストレートさに、
同じ大阪人として共感を覚えるのです。

「商売の為やったら何ぼでもボケたるで!」という意気込みが伝わってきて、
「新世界の新世代」を応援したい気持ちになりました。
およそ1時間ほどの散歩でしたが、ナニワ無くともナニワは最高の思いを強くしました。

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コメント

おお~懐かしの新世界!
確か小学3年の時に描いた絵が入選し、この近くで展示されたことがありました。
そのときの印象は・・・・
「いややなぁ、こわいとこや」(すみません~まだ子供だったので)
それでも母とけつねうどんを食べて帰りましたよ♪
本当に今の通天閣付近はテーマパークみたいですねぇ。
コテコテ、いいじゃないですか。ディープ結構、東京モンには絶対にマネられません。
がんばれ大阪!!

投稿: きょんち | 2007年7月12日 (木) 22時09分

こんにちは!
新世界の雰囲気、何ともいえずいい雰囲気の街ですね。大阪へは何回となくお邪魔しましたが、すべて仕事で、新世界を見るのも初めてです。
人物の仕種や表情がまたいいです。

投稿: kazuo | 2007年7月13日 (金) 10時10分

きょんちさん
私たちが子供のころの新世界は、
イメージとしては「魔都」に近いものがありましたね。
一時は、危険なので行ってはダメな街というレッテルでした。
最近は、なんとかイメチェンに成功しつつありますね。

投稿: yufuki | 2007年7月13日 (金) 14時07分

KAZUOさん
大阪のデイープサウス、次に来阪の際には、ぜひともお立ち寄りを(笑)
先日、ここに書いた鶴橋~桃谷区間と新今宮~天王寺区間は、
ぶらぶら散歩しているだけでも、刺激的で面白いと思いますョ。

投稿: yufuki | 2007年7月13日 (金) 14時12分

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