« なくてもある町 | トップページ | 西日本最大の港 »

2007年5月 9日 (水)

藤と英雄

岡山県の和気町には日本一(自称?)の藤公園があり、
毎年、藤の開花に合わせて5月の初旬に「藤まつり」が開催されています。
今年の開催日程は5月の1日~10日の予定で、
終了日は花の状況次第で変動するそうです。
私も「日本一」の藤を見ておこうと、7日に行ってきました。

T_imgp2042
【和気町の藤①】

和気町の藤公園は総面積7000㎡の敷地に、
幅7m・総延長500m・面積にして3600㎡の藤棚が配置され、
小規模ながらステージや飲食スペースが整備された立派なものでした。

T_imgp2058
【和気町の藤②】

普段は入場無料らしいのですが、藤まつり期間中は\300が必要。
しかしながら、駐車スペースは無料で台数も臨時を含めれば十分あり、
お安い値段設定ではないかと思いました。

T_imgp2061_1
【和気町の藤③】

後で知った事ですが、「日本一」というのはその規模ではなく、藤の品種数だそうで、
北は北海道・函館の藤から、南は鹿児島・坊の津の藤まで、
その他にも、中国や韓国の著名品種が揃えられており、その数は約100種にのぼります。

T_imgp2046
【和気町の藤④】

しかしながら、色・形状とも桜ほどの明確な違いが認められず、
一部の八重咲きの品種や白藤以外は、パッと見では全部同じように見え、
同じような写真のオンパレードになってしまいました。

T_imgp2062
【和気町の藤⑤】

和気町のこのあたり一帯は、古くから「藤野」と呼ばれており、
かつては、その名の通り藤が咲き乱れる原野であったと伝えられています。
また、この地は奈良朝~平安朝初期の大政治家・和気清麻呂の生誕地でもあり、
藤公園は、昭和60年(1985)、公生誕1250年を記念して造営されました。
隣接地には清麻呂公を祀る和気神社があります。

T_imgp2066
【和気町の藤⑥】

和気清麻呂公は天平5年(733)、備前国藤野郡(現和気町)に生まれ。
若くして兵衛(とねり)として平城京へと上り、近畿地方の河川改修や開削を行い、
治水などの土木の分野で功績を残しました。
また、故郷の美作・備前では、国造として郡民の負担軽減を図るなど、
民生の安定と発展に努め、常に誠実な政を行った為政官でした。
しかし、なんといっても清麻呂公の業績の中で特筆すべきは、
神護景雲3年(769)の「道鏡事件」と延暦13年(794)の「平安遷都」ではないでしょうか。

T_imgp2078
【和気清麻呂公像】

子のなかった女帝・称徳天皇(孝謙天皇が重祚)と、女帝が寵愛する法王・道鏡一派は、
皇統ではない道鏡自身への皇位継承を画策し、
「道鏡を皇位に就ければ、天下は太平になるであろう」との宇佐八幡宮の神託を上奏します。

清麻呂公は、神託の真偽を確かめる為に宇佐八幡へ赴くという大役を任ぜられますが、
もちろん、この上奏は道鏡一派の画策であり、出発前の清麻呂公に対しては、
道鏡派、反道鏡派、入り乱れての激しいアプローチ合戦が繰り広げられました。
結局、清麻呂公は「天つ日嗣には必ず皇統の人を立てよ、無道の人は早く払い除けよ」という神託を持ち帰り、
女帝の思いと道鏡の野望は泡と消える事となりました。

T_imgp1950
【和気神社神殿】

しかし、その後の称徳天皇の怒りは凄まじく、清麻呂公は両足の腱を切られた上、
「別部穢麻呂」と改名され、大隅国(現鹿児島県)に流されてしまいます。

T_imgp1987
【和気町の藤⑦】

その後、宝亀元年(770)に称徳天皇は崩御し、後ろ盾を失った道鏡は失脚。
下野国(現栃木県)薬師寺の別当に左遷され、3年後に他界します。
流刑の地で奇跡的に両足で立ち上がった清麻呂公は、光仁天皇即位とともに中央政界復帰を果たしますが、
その当時の都は旧態依然とした貴族勢力に加え、有力寺院が強い力を振るう混乱の極みにありました。
光仁天皇の後を受けた桓武天皇は、それらの勢力から決別すべく遷都を決意。
清麻呂公は造宮大夫として、その大事業の先頭に立って活躍しました。
長岡京の造営は志半ばで挫折しますが、延暦13年(794)には平安京遷都が実現しました。

T_imgp1984
【和気町の藤⑧】

以前、このブログにも登場いただきました吉備真備公も、
同じ吉備地方出身で、清麻呂公とほぼ同時代に中央政界で活躍した政治家。
地方豪族出身ながら右大臣まで登り詰めた彼の評価が、後世の歴史家の間で分かれるのは、
称徳天皇と道鏡に対する態度であったと思われます。
称徳天皇が孝謙天皇であった時代に重用され、道鏡の勢力拡大とともに自身が出世したにもかかわらず、
恩ある女帝を「御神託」事件ではあっさり裏切ってしまいました。
その為、「風見鶏」のイメージが真備公にはつきまといます。

T_imgp2084
【和気町の藤⑨】

しかしながら、道鏡一派の甘言や恫喝に屈せず、
至誠を貫き、皇統を守った清麻呂公に対する評価も郷土の誇りという程度。
吉備の英雄は、なかなか全国メジャーにはなりません。

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
宜しければ、クリックください。

|

« なくてもある町 | トップページ | 西日本最大の港 »

コメント

それにしてもすごい“藤”ですね。さすが日本一、見事です。
写真は、ご自身では謙遜されていますが、なかなかどうして、見ごたえのある写真ばかりです。

投稿: kazuo | 2007年5月11日 (金) 18時59分

kazuoさん
心優しきコメント、有り難うございます。

藤の撮影は難しい!!と再認識しました。
同じような印象の写真ばかりになり、
“綺麗な藤がありました”的な、
記録写真になってしまいます。

投稿: yufuki | 2007年5月11日 (金) 23時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 藤と英雄:

» 育児悩み相談 [・]
♪^_^♪ [続きを読む]

受信: 2007年5月11日 (金) 12時57分

» エンタテインメント [捜査筋]
ラブリーボーダー イラクの民間人犠牲者 新しい出会い♪ [続きを読む]

受信: 2007年5月15日 (火) 03時58分

« なくてもある町 | トップページ | 西日本最大の港 »