« 「綺麗さび」の真髄 | トップページ | 藤と英雄 »

2007年5月 7日 (月)

なくてもある町

世間の大多数がお休みになるゴールデンウイークですが、私が禄を食む流通業にとっては稼ぎ時。
連日の働きづめで、PCに向かう気力も萎えていたので、10日ぶりの更新です。
本日は、ゴールデンウイーク期間中唯一の休日となった5月2日に帰阪した折の写真です。
所用で訪れた大阪市生野区のJR大阪環状線、桃谷駅付近を散歩してきました。

T_imgp2018
【JR桃谷駅前】

大阪市の東辺にあたる生野区の北半分~東成区の南半分、
JR桃谷駅と隣駅・鶴橋駅を含む一帯は、かつては猪飼野と呼ばれていました。
しかし、現在は地図上の何所を探しても猪飼野という地名は見当たりません。
昭和48年(1973)の行政による町名変更によって、猪飼野の名は公式には消えてしまったからです。

T_imgp1933_1
【桃谷本通東商店街】

いにしえの昔より、猪飼野は日本の中の「朝鮮」と言われるほど、
朝鮮半島と深い関わりを持ってきた場所です。
古代においては、日本に文化の黎明を持たらした渡来人の住んだところであり、
近代においては、祖国を離れざるを得なかった人々が着の身着のままで住み着き、
蔑視と差別、貧困の中でたくましく生きてきたところであります。

T_imgp2026_1
【鶴橋本通商店街】

在日コリアンのアイデンティティーを支えた故地であり、
猪飼野の地名を愛し、誇りを感じている人々が多数いる中で、
行政が一方的にその名を消し去ってしまった事は、極めて問題であると思います。

T_imgp1968_2
【平野川】

猪飼野の歴史は古く、日本書紀仁徳天皇14年の条にはすでに「猪甘(いかい)の津に橋わたす」と記されており、
半島からの渡来民族である「猪甘部」(いかいべ)が集住したことに由来する地名であると思われます。
仁徳天皇の頃(5世紀)、当地の北側は「小橋の江」と呼ばれた入江で、そこに百済川(現在の平野川)が注いでおり、
河口付近は、人や物資を運ぶ船の盛んに出入りする津(港)として栄えていました。
その津に、文献上では最も古い橋が架けられ、「津の橋」と呼ばれるようになり、
後に「つのはし」が訛り、全国に“コリアタウン”として有名な「鶴橋」の地名となったようです。

T_imgp1931
【つるのはし碑】

この由緒ある橋の名を後の世に伝えるため、昭和27年(1952)に記念碑が建てられ、小さな公園として整備されました。
この「つるのはし跡公園」は百済川の旧流路の上に位置しており、公園入口前の道路上に「つるのはし」が在りました。

T_imgp1970
【御幸通り商店街】

鶴橋の「国際マーケット」は、戦後の早い時期より、猪飼野地域の外からも多くの客を集めていましたが、
猪飼野のほぼ中央に位置する「御幸通り商店街」は、長らく地域に住む在日コリアンの為の市場でした。
15年ほど前までは、地元の人しか来ないような鄙びた通りで、
店主と客の会話は朝鮮語、看板やPOPの表記もほとんどがハングルであったと記憶しています。

T_imgp1923
【案内板の木像】

しかし、平成5年(1993)に李朝風のゲートとカラー煉瓦による舗装が整備された頃から状況は一変。
その後の韓流ブームも手伝って、現在では全国各地から団体客が訪れる人気スポットとなっています。

T_imgp1924
【食料品店】

約300m続く通りの両側には、食料品店や飲食店が軒を並べ、
チヂミを焼く美味しそうな匂いが漂います。

T_imgp1969
【準備中:蒸し豚&豚足専門店】

この日訪れたのは午前9:30頃で、まだ多くの店が開店準備中でしたが、
すでに多数のお客さんが通りを歩いていました。

T_imgp1975
【キムチの作業場】

そんな活気あふれる「御幸通り商店街」を一歩入れば、
狭い路地が入り組んだ昔ながらの町並みが広がります。

T_imgp1909
【路地にて①】

ある意味では道頓堀や通天閣と並び、最も大阪らしい場所の一つと言えるかもしれません。

T_imgp2029
【路地にて②】

生野区の総人口は平成18年(2006)の6月末時点で138,550人。
そのうち外国人登録者数は33,177人。
そのうち韓国・朝鮮系が31,011人で、約4人に1人が在日コリアンという事になり、
帰化したコリア系日本人と併せれば、コリア系住民の割合はもっと高くなります。

T_imgp1995
【路地にて③】

そして、当たり前の事ですが、沢山の日本人もこの地で暮らしています。

T_imgp1990
【路地にて④】

ここ猪飼野は、1500年もの昔から今日に至るまで、数多くの問題を抱えながらも、
コリア系住民が民族のアイデンティティーを失わず、日本人と共に生活してきた唯一の町です。
「猪飼野」という地名は、長い歴史を背負い、その中で多くの人々に愛されて来たが故に、
行政上の町名からは消えても、忘れ去られる日は来ないだろうと思います。

T_imgp1982
【路地にて⑤】

現在、新天地を求めてアジアや南米からやって来た人たちが、
日本の各地で新たなコミュニティーを作りつつあります。
ここ猪飼野は、今後訪れるであろう他民族との共生社会を考えていく上で、
非常に良い参考となる地域であると思います。

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ
最後までお付き合いいただき、有り難うございます。
宜しければ、クリックください。

|

« 「綺麗さび」の真髄 | トップページ | 藤と英雄 »

コメント

はじめまして!検索から来ました。大阪のコリアタウンで仕事をしているものです。すばらしい写真とレポートですね。猪飼野のありのままの姿がとてもよく映し出されていると思います!一気に引き込まれました!
是非また、コリアタウンに美味しいものを食べにいらしてください!

投稿: dokokimura | 2007年5月 8日 (火) 11時05分

旧町名がどんどん無くなっているのは、全国的な傾向なのでしょうね。昔は、町名からその町が辿ってきた道のりを思い巡らすことも出来たのですが…。寂しい限りですね。

投稿: kazuo | 2007年5月 8日 (火) 23時14分

dokokimuraさん
有難うございます。
実際にこの地でお仕事をされている方から、
温かいコメントを頂き、感激です。
安くておいしいモノが沢山揃う桃谷界隈、
また訪ねたいと思います。

投稿: yufuki | 2007年5月 9日 (水) 01時08分

kazuoさん
町名変更の大半の場合、地元は歓迎していないと思います。
その上、新町名が全くセンスのかけらも無いものであれば、悲しさ倍増ですね。

投稿: yufuki | 2007年5月 9日 (水) 01時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なくてもある町:

« 「綺麗さび」の真髄 | トップページ | 藤と英雄 »