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2007年4月17日 (火)

鎮魂の桜

本日は今年最後の、岡山からの桜便り。
岡山県は赤磐郡宗堂にだけ咲く、「宗堂桜」を見に行ってきました。
訪れたのは、寛文6年(1666)に廃寺となった日蓮宗不受不施派の寺、妙泉寺の廃寺跡。
現在は公園として整備され、「宗堂桜の里」となっています。

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【宗堂桜1】

「宗堂桜」は八重桜の一種で、花は直径3cm位ですが、花弁は約60枚にも達するものもあり、
内側の20枚程度の花弁が屈曲反転して、二重の弁となるのがその特徴です。
このため、花は小ぶりながら花弁がふくらんで見え、非常に豪華な感じがします。
花弁が屈曲反転する特性は他に類がなく、岡山県の天然記念物に指定されており、
数ある八重桜の中でも、名花中の名花と言われています。

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【宗堂桜2】

この華やかな花には、その姿とは裏腹に、悲しい伝説があります。
その昔、妙泉寺の八世住職は、日蓮宗不受不施派の祖・日奥聖人の直弟子で、
若僧ながら名僧の誉れ高い雲哲日鏡が務めていました。
雲哲は大変な花好きで、自分の寺から大門に至る約200mの参道の両側に、
数十本の八重桜を植えていました。

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【宗堂桜3】

当時、不受不施派は「備前法華」として大変栄え、
その勢力が藩政の障害にならぬかと恐れた藩主池田光政から、
厳しい弾圧を受けるようになっていました。
しかし、これには目もくれず、若い雲哲は師・日奥から伝えられた宗儀を、
土地の農家に広めようと、布教活動を続けていました。
なにものも恐れず、常に百姓の味方であった雲哲のたくましさに、村人達は尊敬の念を抱き、
年は若いが、かけがえの無い住職として慕うようになっていました。
こうした評判は藩主の耳にも達し、また、弾圧は一層厳しくなってゆきました。

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【宗堂桜4】

そんな4月のある日に、雲哲は藩主から後楽園での会食に招かれる事となりました。
「殿様と普通に会食するだけでは済まないだろう」と、自らの死を覚悟して会食の席に臨みました。
予想どおり、雲哲は食事の最中に毒を盛られます。
瀕死の状態で早籠を飛ばし、宗堂山に戻りましたが、
妙泉寺の参道、雲哲手植えの桜並木までたどりついて、息切れてしまいました。
ちょうど桜は花をつけ、やがて咲き揃おうとしているところでしたが、
雲哲の死を嘆いたためか、花びらを開ききらず萎んでしまいました。

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【雲哲日鏡上人墓所】

それ以来、当地の桜は主の死を悼み、花弁の一部を内にまきこみ、
結実しなくなったと言われています。

残念ながら参道の桜並木は、約280年前妙泉寺廃寺となって以来、
一時は大変荒廃し、現在はその面影をみることは出来ません。
しかし、昭和40年(1965)頃、地元の篤志家が、当時現存していた数株の桜を母樹として保護し、
母樹苗木から、接木による育成を成功させました。
その後は、保存会や地区老人クラブの会員さんが懸命に育てられ、
「宗堂桜」は絶滅から救われました。

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【桜散る道】

不思議なことに、この桜は、他の土地に移植しても育たないし、
もし育っても、花の色が変化して宗堂桜の特徴を現わさないそうです。
やはり、主の土地でしか咲かない花なのかもしれません。

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コメント

「宗堂桜」の見事な姿に驚き、それに纏わる悲しい伝説を興味深く拝読させていただきました。
他の土地では育たないなんて不思議なこともあるんですね。投票!!

投稿: kazuo | 2007年4月18日 (水) 19時14分

kazuoさん
投票感謝!
宗堂桜、噂以上に美しい桜でした。

このような悲しい伝説を知ると、
見る目も変わります。

投稿: yufuki | 2007年4月18日 (水) 20時18分

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