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2007年3月 2日 (金)

庶民の学舎

本日は、岡山県備前市閑谷(しずたに)にある、国の特別史跡・旧閑谷学校に行って来ました。
閑谷学校は、寛文10年(1670)に備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いた学校です。
厳しい身分制度が存在した江戸時代中期において、士農工商を問わず、
自藩の者だけではなく他藩の者にも門戸を開いていた、当時としては先進的な教育機関でした。

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【梅と鶴鳴門】

寛文6年(1666)のある日、領内を巡視をしていた光政公が、和気郡木谷村の北端・延原の地を訪れました。
この時脳裏に浮かんだのが、学問の理想郷、庶民のための一大道場の建築でした。
「この地は読書、学問するによし」として、重臣津田永忠に学校の建設を命じ、
地名も延原から閑谷に改められました。
武士の子弟が学ぶ藩校はすでに、2ヶ所岡山城下にありましたが、
閑谷学校は、当初から庶民の学校、地方のリーダーを育てる学校として創建されました。
この学校建設にあたっての光政公の情熱は熱く、学校所有の田として279石余りを確保し、
たとえ池田家が転封となっても自立経営できるような処置がとられていました。

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【鶴鳴門から】

国宝の講堂をはじめ、現存の建築物が完成したのは元禄14年(1701)頃。
光政公の死後、遺志を継いだ2代目藩主綱政公の時世になってからの事で、
現存する庶民を対象とした学校建築としては、世界でも最も古いもとされています。

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【閑谷神社の梅】

明治以降は閑谷精舎、閑谷黌、私立閑谷中学を経て、
県立閑谷中学校、県立閑谷高校、県立和気高校閑谷校舎へと変遷しました。
現在は、隣接地に県青少年教育センターがあり、
また教学の精神は県立和気閑谷高校へと受け継がれています。
建学以来300有余年の間、優秀な人材を送り続けており、
大実業家であり社会事業家の大原孫三郎氏(大原美術館の創設者)も、ここで学んだ中の一人。
他にも、小説家正宗白鳥氏や赤とんぼの作詩者三木露風氏、
備前焼の人間国宝藤原啓氏などもここで学びました。

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【閑谷神社】

備前焼の紅い屋根瓦で覆われた壮麗な建物群や、その周囲を取り囲む石塀までもが、
国宝や重要文化財に指定されています。

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【鶴鳴門】

写真の門は、閑谷学校の正門で、元禄14年(1701)の建築。
扉を開閉するときの音が鶴の鳴き声に似ていたため鶴鳴門とも呼ばれています。
両袖に付属屋があり、いわゆる唐様の建築です。

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【石塀】

校門から続く石塀は、学校の敷地を1周しており、長さは765mにも及びます。
形の異なった石を巧みに剥ぎあわせた「切り込み剥ぎ式」の石築きで、
校門と同じく元禄14年(1701)に完成しました。
カマボコ型の石塀は日本では珍しく、ここにも中国建築の影響が感じられます。
中には洗浄した割栗石をつめ、雑草木を生やさぬように築造されており、
300年以上を経た今日でも、端然と美しい姿を保っています。

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【講堂】

国宝の講堂は閑谷学校の学問の中心をなす最大の建物で、ケヤキ・ヒノキ・クスなどの良材を選び、
風雨に傷みやすい部分は黒漆で仕上げられています。

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【講堂の回廊】

基礎から入母屋造り・錣葺きの大屋根まで、周到に設計され完璧なまでに施工されており、
歴代の学生達によって拭き込まれた床板は、現在でも鏡のように光っています。
凛とした空気がたち込め、今にも論語朗誦の声が聞こえてくるようでした。

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【講堂内部】

庶民の子弟は1年で読み書きを学び終え、故郷に帰った後は、
農業の傍ら、近在の村人達に、ここで習った読み書きを教えたそうです。

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【飲室より講堂】

その他にも孔子像が奉られている聖廟(この日は改修工事中)や、創始者光政公を祀る閑谷神社、
黄葉亭(茶室)など、重要文化財が盛りだくさんで見ごたえ十分です。

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【黄葉亭】

この人里離れた山間の地に、300年もの昔、学問の聖地があったことは驚きに値します。
そして、現在も県青少年教育センターの研修生が、国宝講堂に正座して、
論語の一章を誦んじあい講釈を受けるという、「講堂学習」が行われています。
光政公の、「この谷に朗誦の声が絶えないように」の思いは、今も連綿と受け継がれています。

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コメント

封建時代の真っ只中に、庶民を対象とした学校があったとは驚きです。それも、自藩だけではなく他藩の者も受け入れていたとは…。写真、興味深く拝見させていただきました。

投稿: kazuo | 2007年3月 5日 (月) 13時41分

Kazuoコメント有り難うございます。
池田光政の教育熱、当時とすれば画期的だったでしょうね。

投稿: yufuki | 2007年3月 5日 (月) 15時40分

現在でも学びに相応しい場所で、このような場所で朗誦とかすると、
心が落ち着きゆったり学習できそうですね。
講堂のぴかぴかの床に一票です!

投稿: まねきねこ☆ | 2007年3月 7日 (水) 08時22分

まねきねこさん
コメント有難うございます。
空気が凛と張り詰めて、身が引き締まるような空間でした。

投稿: yufuki | 2007年3月 7日 (水) 21時49分

nekoです!
リンクさせてくださいね♪

投稿: osanponeko | 2007年3月11日 (日) 09時43分

ねこさん
有り難うございます。
当方はリンクしちゃってました。
話の前後が逆になってしまい、ゴメンナサイ!

投稿: yufuki | 2007年3月12日 (月) 01時30分

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