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2007年2月 4日 (日)

日本最古の湯

先日(2/1~2)は久しぶりに連休が取れたので、大阪から家族を呼び、愛媛県松山市に行ってきました。
松山といえば、お目当てはやはり温泉。
かねてから見てみたいと思っていた、道後温泉本館を旅のメインに出かけました。
「どうせ、写真が撮りたいだけとちがうん?」という嫁さんの冷ややかな視線があったので、
「今回は、嫁さん孝行が最優先!」と断言した手前、遠慮しながらの撮影でした。

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【道後温泉本館1】

日本三古湯といえば、兵庫県の有馬温泉、和歌山県の白浜温泉、そして愛媛県の道後温泉を指しますが、
中でも道後温泉は日本書紀にも登場し、文献的には我が国最古の温泉であるといわれています。
日本書紀や道後温泉街に現在も残る伊佐爾波八幡宮の社伝は、
景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇・中大兄皇子・大海人王子など多くの皇族が行幸したと伝えています。

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【道後温泉本館2】

3000年以上の歴史が在るこの地の温泉は、古代は塾田津(にきたつ)の湯と呼ばれていました。
それが、「道後」と呼ばれるようになったのは、大化の改新(645)による国府の設置に由来します。
大化の改新によって、各国に国府が置かれるようになりますが、
この国府を中心として、都からの道程に従って、道前・道中・道後の名称が生まれました。
「道中」は国府のある地域を称し、京に向かって国府の前部が「道前」、後部にあたる地域を「道後」と呼んでいました。
従って、中世までの「道後」は、現在の今治市より南を総称しましたが、
近世に入ってからは、温泉の湧く現在の「道後」に限定するようになりました。

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【道後温泉本館3】

温泉の開湯の伝説としては、有名な「白鷺伝説」があります。
ある時、脛に傷を負い苦しんでいた一羽の白鷺が、岩場から噴出する温泉を見つけ足を浸していたところ、
傷は完全に癒え、元気に飛び去ってゆきました。
それを見ていた村人たちは大変不思議に思い、ためしに入浴してみると、暖かく爽快で疲労もたちまち回復。
また、病人もいつの間にか全快したことから、その後盛んに利用されるようになりました。
これが道後温泉の始まりと伝えられており、白鷲が舞い降りた時の足跡が残ったとされる石(鷺石)が、
伊予電鉄「道後温泉」駅前の放生園(ほうじょうえん)という小公園の一角に据えられています。

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【道後温泉本館4】

また、「伊予国風土記」には、出雲の国の大国主命と小彦名命が伊予の国を旅した時の逸話が残っています。
逸話を要約すると以下の通り。
神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、
長旅の疲れからか、少彦名命が急病に罹り苦しみだしました。
それを見た大国主命は、小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、
たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしました。
少彦名命がその上で舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られています。
しかし、不思議なことに、この「白鷺伝説」や「小彦名命の足跡」と類似した伝説が、
兵庫県の有馬温泉や玉造温泉など、全国の各地の温泉地にも伝えられています。

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【道後温泉本館5】

これまで掲載した写真は、現在でも道後温泉のシンボルとなっている道後温泉本館を写したものです。
この、道後温泉本館は1人の政治家の先見の明によって生れました。
道後湯之町(当時)の初代町長・伊佐庭如矢氏。
彼が温泉施設近代化を進め、現在の道後温泉本館を造りあげました。
激しい反対運動に合い、自らの命も狙われたりもしましたが、信念を貫き約20ヵ月の歳月をかけ、
明治27年(1894)ついに道後温泉本館を造りあげました。

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【伊佐爾波八幡宮】

伊佐庭氏の願ったとおり、道後温泉本館は開業から110年以上経った現在でも、
道後温泉のシンボルとしての輝きを失わず、多くの地元・観光客に愛されています。
道後温泉本館が完成した翌年、旧制松山中学の英語教師として赴任した夏目漱石が、
その斬新なデザインの近代和風建築に感嘆し、後の彼の作品「坊ちゃん」の中でも絶賛しています。

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【高島屋ローズちゃん:坊ちゃん仕様】

「坊ちゃん」には道後温泉本館は「住田の温泉」として登場。
 
『おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。
ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。
せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛る。』
 
坊ちゃんが通ったころは、きっと未だ木の香りが残る新築だったと思われます。

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【街角案内人の皆さん】

平成6年(1994)、道後温泉本館が国の重要文化財に指定され、
同年に本館建設百周年記念事業の一環として、「坊っちゃん列車」が空き地で復元運行されました。
「坊ちゃん列車」とは、夏目漱石が「坊ちゃん」を執筆していた頃、市内を走っていた伊予鉄道の路面電車の愛称。
当時は未だ電化はされておらず、小さな蒸気機関車が客車を牽引して走っていました。
「坊ちゃん」の作中では、次のように記されています。

『停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。
ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。
たった三銭である。』

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【伊予鉄:松山市駅前】

現在の伊予鉄道は、松山市を中心とした市内線(路面電車)と郊外線で構成される鉄道会社。
平成13年(2001)からは、「坊ちゃん列車」のレプリカが市内線に本格投入され、人気を集めています。
通常の路面電車の車両は初乗り\150ですが、「坊ちゃん列車」は同区間でも\300なのは御愛嬌です。

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【伊予鉄:路面電車】

この坊ちゃん列車の復元運行の他にも、「道後温泉誇れるまちづくり協議会」が中心となって、
ボランティアによる無料の観光案内、足湯施設の設置、商店街の新アーケード建設、道後公園(湯築城跡)の整備など、
観光振興に対する様々な取り組みがなされていました。

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【道後湯の町商店街】

昭和のピーク時から比べると、たぶん観光客数は激減していると思われます。
しかし、この日本最古の温泉街を守ってゆこうとする地元の方々の熱意は、
たった一泊二日の松山滞在でしたが、随所に感じらました。

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コメント

私も主人と道後温泉へいきましたが
熱かった(^^;;
二階に休憩所があって浴衣もらって浴場へ・・・
あがって来るとお茶とお菓子がだされて・・・
別料金で3Fの個室があるんだけどね

投稿: のら | 2007年2月 4日 (日) 16時08分

のらさん、ご無沙汰しています。

嫁さんも熱がっていました(笑)
男性の方が、熱い風呂を好のかな。
道後温泉本館のシステムは、
のんびりしていて、楽しめました。

投稿: yuhuki | 2007年2月 4日 (日) 17時23分

奥さん孝行できて良かったですね♪
控えめに撮ったにしては、楽しい雰囲気よく出ています(^^)v
道後温泉の看板を撮った写真はどれも素敵です!
特に一枚目は映画の始まりのようで、なんだかワクワクする写真です

投稿: まねきねこ | 2007年2月15日 (木) 11時14分

まねきねこさん
有り難うございます。
控えめにしているつもりなのは、自分だけかもしれません。
写真を撮り出すと、とうも周りが見えないタイプのようです。

投稿: yufuki | 2007年2月16日 (金) 00時12分

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