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2007年1月24日 (水)

港町牛窓

播磨灘の西端、東に向かって突きでた半島の南岸に牛窓(うしまど)という町があります。
現在の行政区分では岡山県瀬戸内市に組み込まれ、全国的にはまったく知名度はありませんが、
往時は、備前の代表的な港である児島の下津井と並んで、西国通商の要として大変な賑わいを見せた町でした。

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【牛窓の町並み1】

牛窓という地名は難読地名の部類に入ると思いますが、その来歴は古い伝承説話に由来しています。
瀬戸内海沿岸には、神功皇后(仲哀天皇の皇后)にまつわる伝承が多く、
日本書紀の仲哀9年(320)、皇后の新羅出兵の際に、
この地にさしかかった時の伝承が、牛窓の地名の起源となっています。

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【牛窓の町並み2】

伝承を要約すると、以下の通り。
皇后の船が新羅に向かう途上、ちょうど牛窓沖にさしかかった時、
雷鳴とともに黒雲に乗った塵輪鬼(じんりんき)が突如現れ、皇后の船を襲いました。
塵輪鬼とは頭が八つある大牛でしたが、武勇に秀でた皇后は弓でたちまち射落としました。
その際に、塵輪鬼の首と胴が二つに分かれて海に落ち、首が黄島、胴が前島となりました。
その後、皇后軍が新羅での戦を終え、大和へ帰る途上で、再び牛窓沖にさしかかった時、
今度は塵輪鬼の霊魂が、牛鬼となって、海中から現れました。
この時には、海中から住吉明神が老翁の姿となって現れ、牛鬼の角をつかんで投げ倒しました。
以来この場所を、牛転(うしまろび)と呼ぶようになり、それが転じて牛窓になったといいます。

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【牛窓の町並み3】

地名の由来伝承にも新羅出兵が絡んでいますが、
その他にも牛窓には、朝鮮半島との深い縁があります。
朝鮮通信使の来港もそのうちの1つです。
朝鮮通信使の来日は、室町幕府以来のの国家的行事で、
時の将軍が交代する時などの慶事があった際に、手厚く招かれました。
永和元年(1375)に、足利義満によって始められた朝鮮通信使は、
豊臣秀吉の文禄・慶長の役によりしばらくの間中断しますが、
その後の慶長12年(1607)、江戸幕府と李氏朝鮮の間を対馬藩が取り持ち、再開されました。
鎖国時代に、朝鮮半島と日本の文化交流に大きな役割を果たしたのが朝鮮通信使でしたが、
牛窓には行き帰り併せて15回も寄港しています。
文化使節団としての役割が強く、通信使の滞在先の街には日本各地から人が集まり、
通商や技術、学術などの交流が盛んに行われたそうです。
牛窓には朝鮮使節団が残した足跡が、いまなお多く残されています。

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【唐子踊りの人形:海遊文化館】

朝鮮通信使の足跡のと言われているものに、「唐子踊り」があります。
毎年10月、牛窓の紺浦地区にある疫神社(おやくじんさま)の秋の祭礼に奉納される踊りで、
朝鮮風の衣装をまとった2人の男児が、肩車に乗って参詣し、その後に太鼓と笛の伴奏で踊ります。
独特なメークアップ、典雅な所作、奇妙な口上、囃し方など、他の日本の神事には無い不思議な雰囲気があり、
その掛け声は、朝鮮半島の踊りの掛け声そのものだと言われています。
実際には、10月にしか行われない神事を見る機会はなかなかありませんが、
牛窓港のメインストリートにある海遊文化館で、資料VTRならいつでも見学することが出来ます。
その他にも、朝鮮通信使節団が寄港した歴史を伝える使節団の衣装(レプリカ)や、
当時の町の様子を描いた絵画など、貴重な資料が多数展示されています。
鮮やかな極彩色の展示品の中に、当時の善隣友好の熱い絆を感じました。
この海遊文化館も印象的な建物でしたが、明治20年(1887)に建てられた牛窓警察署本館を再利用したものとの事。
推定樹齢150年の大蘇鉄と玄関のステンドグラス、洋館風の外観に明治浪漫が漂っていました。

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【海遊文化館入り口】

海遊文化館の裏手、メインの海岸通りから一つ奥に入った狭い路地を歩くと、
古い民家の間に見落としてしまいそうな石段があり、
そこを登ると法華宗の古刹、本蓮寺があります。
江戸時代、朝鮮使節団の寄港の折には、ここの客殿が接待処にあてられました。

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【本蓮寺番神堂】

貞和3年(1347)の建立で、寄棟造本瓦葺の本堂や、四脚が珍しい中門(四脚門)、
海辺に立てられた全国で唯一の塔といわれる番神堂(三重塔)などは、
揃って国の重要文化財にに指定されています。
古朝鮮様式の建物で、屋根の勾配、柱の造りなどに異国の香りを感じます。
牛窓の町とともに長い歴史を刻んできた風格が、その渋みを帯びた建物の色調から滲み出ており、
小堀遠州作の見事な庭園や多くの文化遺産と併せて、名刹と呼ぶにふさわしい佇まいでした。

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【本蓮寺伽藍】

境内から南方に目をやれば、瀬戸内海のすばらしい眺望が見渡せます。
玄界灘の荒波を越えて遥々やってきた異国の使徒が、
この穏やかな内海を眺め何を思ったのかなどと、歴史のロマンに思いをはせながら写真をパチリ。
とても楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

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【牛窓の海1】

牛窓の町は、古い日本の面影が今なお色濃く残る歴史の町。
しかし、その他にも、また別の一面があります。
それは、近代的なリゾート地としてのアクティブな一面であります。
瀬戸内の「美しの窓」とも讃えられ、その昔、この地を訪れたギリシア人が、
故郷のエーゲ海と似ていて感動したことから、牛窓は「日本のエーゲ海」と呼ばれるようになりました。
クルージングやフィッシング、シャーカヤックなどが楽しめるマリンスポーツの楽園となっています。

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【牛窓の海2】

出ていく漁船、帰る漁船、近隣の島々への定期船。
それらに混じって、豪華なやクルーザーやヨットなどがひっきりなしに行き交う天然の良港。
港町牛窓は、今も昔も海に支えられ、その歴史と文化を育んでいます。

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