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2006年12月18日 (月)

野に在りて輝く

大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の詩画人竹久夢二(本名茂次郎)は、
明治17年(1884)に岡山県の東南部、現在の瀬戸内市邑久町に生まれました。
彼が16歳まで過ごした生家は当時のままに保存され、現在は夢二郷土美術館※となり、
展示室には素描、版画などの作品が展示されています。

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【夢二の生家】

生存中からそのロマンあふれる独特の芸術性で、一世を風靡したばかりではなく、
没後50年以上が経つ今も、彼の作品は高い評価を受けています。
その作品には市井のくらしに根付いた、喜びや悲しみが表現され、
よく知られた美人画の他にも、晩年には日本の山河や子供たちを主題としました。
また、木版画の制作、楽譜や表紙装幀にも携わり、
浴衣・半襟・手拭いなど日々の生活に用いるもののデザインにも情熱を注ぎ、
日本のグラフィックデザイナーの先駆者として多くの素晴らしい作品を残しました。

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【夢二のアトリエ「少年山荘」】

3歳の頃からすでに画才の片鱗を覗かせていたといわれる夢二は、
明治32年(1889)、16歳で故郷邑久を離れ、叔父を頼って名門神戸中学に入学します。
しかし、入学後8ヶ月目、造り酒屋であった家業の失敗により、一家は官営八幡製鐵所につてを求めて北九州へ。
夢二もまた神戸中学を中退、製鐵所で図面引きなどをして家計を助けました。

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【「少年山荘」の窓から】

しかし、その傍らでは独学を続け、明治34年(1901)、19歳の年に上京を決意。
家出同然で九州を離れ、早稲田実業に入学、苦学することになります。
明治38年(1905)に本科を終え、専科に進みますが、当時の新思潮であった社会主義運動に感化され、
「平民新聞」の荒畑寒村の勧めで、日露戦争反戦の風刺画を雑誌「直言」に掲載します。
そして同年、"夢二"のペンネームで雑誌「中学世界」に投書した伊勢物語のコマ絵「筒井筒」が第一賞に入選。
入選を期に学校を中退、本格的にコマ画家としてスタートを切りました。
明治42年(1909)、 最初の著作「夢二画集 春の巻」を刊行しますが、それが一躍ベストセラーに。
以降、夢二の抒情画は人気を博すことになります。
大正4年(1915)「絵入小唄三味線草」を発表、独特の叙情性の高い女性像を確立。
大正7年(1918)「宵待草」に多田亮が曲をつけセノオ楽譜から発表。

 『宵待草』 

 まてどくらせどこぬひとを
 宵待草のやるせなさ。
 
 こよひは月もでぬさうな。

流行歌として大流行したこの詩は、「婦人グラフ」の挿絵と並び夢二の大衆的人気を決定付ける事となります。
昭和6年(1931)アメリカで個展。
昭和9年(1934)信州富士見高原療養所で、満50歳に半月少ない生涯を閉しました。

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【夢二の遺品の蓄音機】

夢二の次男竹久不二彦氏が語るエピソードの1つに、
「パパさん(夢二)の一番嫌いな言葉」というものがあります。
それは意外にも「芸術家」という言葉です。
時代を超越して多くの人から愛され、今や世界のオークション市場でも大人気の夢二ですが、
その実、いまだ権威的な絵画の世界からは逸脱したままの稀有な存在です。
それは、夢二自身が望んでいたことであると思われます。
彼は官尊民卑の当時において、官展であった文展を無視した生き方を貫きました。
それが芸術家の証明であり、巨匠への道であったにもかかわらず、
金銭的に苦しい時代でさえも、権威にすがることなく一貫して世俗的な絵描きの道を進みました。
彼の絵は商品として需要と人気があり、東京美術学校や白馬会とも係わりが深く、
望めば十分に権威ある画壇の仲間入りが出来たはすですが、
敢えて「芸術家」とは呼ばれない位置に留まり続けました。
彼には、画伯とか先生といった称号は必要がなかったのです。

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【「少年山荘」入り口】

東京世田谷にあった夢二自らの設計によるアトリエが、昭和45年(1970)に夢二生誕95年を記念して、
生家近くの公園内に復元されています。
中国宗代の詩人、唐庚酔眠の詩の一節「山静かにして太古に似たり 日の長きこと少年の如し」から、
このアトリエは「少年山荘」と名づけられました。
館内には、絵の具やパイプなどの、夢二が愛用した遺品の他、数多くの写真が展示されています。

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【夢二の遺品の天使木像】

終生師をもたず、生涯如何なる賞も手にしなかった夢二。
権威にたよらず、大衆のなかに生きた夢二でしたが、
その裏では、美術学校で基礎を学ばなかった自分の絵にコンプレックスを抱き、
海外の有名作家の画集を取り寄せ、個人的に研究を重ねていたといいます。
天才でありながら、心の葛藤を隠さない。
そんな人間味が、彼の作品をより豊かなものにし、
今も庶民に親しまれ、愛され続ける由縁となっているのではないでしょうか。

※夢二郷土美術館(本館)は岡山市内中心地、後楽園の付近にあります。
※生家の内部は残念ながら館内撮影禁止。
   「少年山荘」の入館料も込みで、\500也。

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