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2006年11月20日 (月)

美作の名城

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本日は美作の国の堅城、津山城のお話。

津山城のある津山市は、岡山県北東部に位置する津山盆地の中心部にあり、

北は中国山地、南は中部吉備高原に接する、都市と自然が融合する美しい街です。

その津山市にあって、人気の観光スポットになっているのが鶴山(かくさん)公園で、

その鶴山公園は、津山城の城跡を公園として整備したものであります。

大和朝廷が備前の国から山間部の6郡を分離して、美作の国を設置したのが和銅6年(713)の事。

以来、津山盆地を中心に美作の国の統治が行われました。

室町幕府が開かれると、総社から西に5kmほど離れた院庄(いんのしょう)に

美作守護所が設けられ、この周囲も開けてゆくことになります。

嘉吉の乱(1441)の戦功により美作守護となった山名教清は、

一族の山名忠政を美作守護代に任命し、忠政は総社に程近い鶴山(つるやま)に城を築き、守りを固めました。

これが津山城の始まりで、築城時期は嘉吉元年(1441)とみられていますが、その当時の遺構は明らかではありません。

戦国争乱の時期には、山名氏は没落し、鶴山城は周辺豪族による争奪戦にさらされ、徐々に荒廃してゆきました。

その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、備前・美作を併せて領有したのが小早川秀秋で、

秀秋は備前の岡山城に入って領国経営を行ったので、鶴山城は正式に廃されてしまいました。

しかし、秀秋はわずか2年後に病死、嗣子が無かった小早川家は断絶され、

備前には池田氏に、美作には森氏が新たな領主として任じられました。

美作一国18万6,500石に入封した初代津山藩主・森忠政は、慶長8年(1603)の入封当初は院庄に入りますが、

領国支配の拠点としての適地を探し求めた結果、

美作中央部にあって古くから開けていた津山盆地のほぼ中心に位置する鶴山の地を選びました。  

ここは、かつて山名忠政が城を構えていた所でありますが、

当時は山上に鶴山八幡宮、南の山腹に日蓮宗妙法院があり、西の山腹には八子(やご)町の集落がありました。

これらを周辺に移転したうえで、翌慶長9年(1604)春、鶴山を「津山」と改め築城に着手し、

12年後の元和2年(1616)に完成を見ました。

津山城の特徴は、自然地形を巧みにいかしながら、土木工事によってさらに要害堅固な城としたことです。

鶴山の最高地点に平地を広くとって本丸とし、

それを取り囲むような形で山腹に二の丸・三の丸を階段状に廻らせ、山の大半を石垣で覆っています。

南を大手(表)、北を搦手(裏)とし、南・西・北の山麓(内山下)は総曲輪として、その外周を土塁・濠で固め、

東側は、直下を流れる宮川とその天然の断崖をそのまま防御線に取り込み、

さらには、南の吉井川とその支流である西の藺田川を防備上の最前線とし、

その内側に城下町の主要部を形成しています。

築城以来、津山城は森家4代・松平家9代の居城としてその領国支配を支え、

文化6年(1809)の本丸焼失以外には大きな損壊を受けることもありませんでしたが、

明治の廃藩置県・廃城令によって名実ともにその役目を終え、

明治7年(1874)から翌年にかけて、すべての建造物が取り壊されてしまいました。

その後、総曲輪の土塁を崩して濠を埋め立てたことにより、内山下は市街地に取り込まれ、

三の丸以内の城跡も荒れるがままになっていましが、旧藩士の間で保存の気運が高まり、

明治33年(1900)津山町有の鶴山(かくざん)公園として整備・公開されるようになりました。

昭和38年(1963)には城郭の主要部分である本丸・二の丸・三の丸を中心とした範囲が国史跡に指定されています。

かつての津山城には、5層の天守をはじめ、60を数える櫓があったといわれていますが、

現在みられる建造物は、本日の写真にある備中櫓のみ。

この備中櫓も、足掛け4年の工期と約8億円の費用をかけて平成17年(2005)に復元されたものです。

この日は見事な紅葉と石垣の組み合わせを期待して出かけましたが、

園内の紅葉する樹木がそれほど在るわけではなく、写真に関しては少々期待はずれ。

やはり、この公園の見ごろは、桜咲く頃であるようです。

春には公園化以降植樹された数千本のサクラが咲き誇り、

西日本有数のサクラの名所として「日本さくらの名所100選」にも選ばれているそうなので、

来年の春の再訪を楽しみにしたいと思っています。

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コメント

こんにちは、初カキコでおじゃまします(^ ^)/
本当に歴史好きなのですね~、読み応えがありました。
写の方もビビッドで余計なものが入らないフレーミングがお見事です。

勝手ながら私のブログにリンクしました。
また立ち寄らさせてもらいます。

投稿: tsuduura | 2006年11月21日 (火) 12時46分

tsuduuraさん
コメント有り難うございます。
調べてから撮る。
撮ってから調べる。
その行為自体が好きなんですね。
よろしければ、またお付き合いください。

投稿: yufuki | 2006年11月22日 (水) 00時10分

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