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2006年11月29日 (水)

そこにあった未来

061129cocolog

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本日は、久しぶりに大阪で休日。

しかしながら、平日で家族は留守というすれ違い。

仕方がないので、カメラ片手に吹田市にある万博記念公園に出かけました。

万博記念公園はご存知の通り、日本万国博覧会(EXPO'70)の会場跡地に作られた公園で、

日本万国博覧会記念機構という独立行政法人が運営しています。

日本万国博覧会(以下、大阪万博)は昭和45年(1970)3月15日に、

5年の準備期間と2千億円の費用(関連工事を含めると1兆円)を掛けて開幕。

183日間の総入場者数は64,218,770人で、1日平均350,922人もの人が訪れました。

「人類の進歩と調和」という同一テーマのもとに、内外100をこえるパビリオン(展示館)がアイデアを競い、

日本全国民の半数以上を動員する史上最大のイベントとなりました。

当時私は、小学校一年生。

前年にアポロ11号が月面着陸に成功、そのとき持ち帰った月の石を観たさに、

親に連れられ何度か出かけたましたが、アメリカ館はあまりの行列で、遂に観れずに終わってしまいました。

今思うと、両親が大阪人特有の「いらち」で、並ぶのが嫌だっただけかもしれません。

しかし、何度か会場を訪れた中で、アメリカ館やソ連館などの超人気パビリオン以外は殆ど周った様に記憶しています。

数あるパビリオンの中で、一番印象的だったのは、なんといっても太陽の塔。

岡本太郎氏の前衛的なデザインとその巨大さは、圧倒的な存在感がありました。

「調和」という言葉と対極にある、「芸術とは爆発だ!」の岡本太郎氏の組み合わせは、

当時としてはたいへんな冒険だったと思います。

大阪万博は高度成長の象徴のようなイベントですが、私の地元も万博景気で潤った地域でした。

地元の東大阪市は、いわゆる中小企業の街。

技術者や職人さんが多く住んでいて、通っていた小学校には、

「太陽の塔は、おとうちゃんが造ったんや!」という友人が何人もいました。

太陽の塔は当時の姿のまま、今も万博公園に残っている数少ないパビリオン。

このまま、永久保存→世界遺産登録となれば良いなと思います。

万博会場へは、地下鉄御堂筋線から相互乗り入れの北大阪急行線が主な交通手段。

現在は千里中央駅が終点駅ですが、当時は万博会場まで電車が乗り入れていました。

一通り見学した後、夕暮れの万博会場から見た銀色に輝くジュラルミンの車両は、

小豆色の近鉄電車を見慣れた小学一年生の目には、ほんとうに眩しく映りました。

希望に満ちあふれた科学技術、はじめて接する外国文化の数々、斬新なデザインのパビリオン。

1970年の大阪には確かに、未来がありました。

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コメント

おぉ~、高台からの眺望綺麗ですねー !!
万博記念公園の太陽の塔は有名ですから結構見ますけど、こういうアングルは初めてです。
そうかぁ~、あの頃が丁度小学校に入学した年だったんだ。
白黒のテレビで見た記憶がかすかに残っています。
半年の開催期間中に一日平均35万人とは驚異的な数字ですねー !!
見ていない私ってある意味貴重かも(^ ^;

投稿: tsuduura | 2006年11月30日 (木) 19時15分

tsuduuraさん、有難うございます。

公園内に作られた樹上観察用のボードウォーク(写真の中央下部にある茶色の橋のようなもの)の途中にある塔からの撮影です。
万博は、当時の大阪のガキンチョに鮮烈なインパクトを与えました。
インド館にいた白い虎や、サウジアラビア館にあった砂漠の砂など、今でも鮮明に覚えています。

投稿: yufuki | 2006年12月 1日 (金) 00時49分

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