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2006年11月27日 (月)

憲政の神様

061127cocolog

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岡山市吉備町には、明治~昭和初期に日本の政党政治の確立に大きく貢献した大政治家、犬養毅の生家があります。

建物自体は、荒れるに任せていた生家を一旦解体し、復元したものですが、

犬養毅の功績に配慮した為か、国の重要文化財に指定されています。

犬養毅は安政2年(1885)に、当時の備中国賀陽郡庭瀬村の庄屋、犬飼家の次男として生まれました。

犬飼家は、藩から苗字帯刀はもちろん槍も許され、無禄ながら中小姓格の待遇を受けた家柄でした。

幼名は犬飼当毅(マサキ)ですが、「飼」を「養」に「当毅」を「毅」にと自身で改め、犬養毅と名乗るようになりました。

また、稀代の政治家であるとともに書にも優れ、号を木堂といいまいた。

自身も好んで木堂と名乗り、また回りも木堂と呼ぶ人が多かったようなので、ここでも木堂と記すことにします。

木堂は17~19歳まで地元の小田県庁で役人勤めをしていましたが、明治8年(1875)に上京を決意。

湯島の共慣義塾に入学後、念願の慶応義塾に転学しました。

慶応義塾在学中に勃発した西南戦争の際には、郵便報知新聞の従軍記者として戦地に赴き、

現地レポート「戦地直報」を発表、名声を博しています。

しかし、記者活動に時間を割きすぎた為、ずっと一番だった成績が二番に下がり、首席で卒業できないと判明すると、

根っからの負けず嫌いの木堂は、慶応義塾を卒業目前にして中退してしまいました。

その後は、ジャーナリストとして、自らが創刊した東海経済新報をはじめ、秋田日報や朝野新聞で筆をふるいました。

政界に転身したのは、明治23年(1890)の第1回衆議院議員総選挙の時。

岡山県から出馬し当選、その後、没年まで連続17回(補選が1回あり全部で18回)当選しています。

反藩閥政治を掲げ、大正2年(1913)の第1次憲政擁護運動の際には、第3次桂太郎内閣打倒に一役買い、

尾崎行雄とともに「憲政の神様」と呼ばれるようになりました。

しかし、後に閥族系の寺内正毅内閣で臨時外交調査委員会に参加したことから「変節漢」と批判されることもあります。

木堂は普通選挙の実現をはじめ、経済的軍備論、南方進出論、産業立国論など、

当時としては先見性のある独自の政策をもった政治家でした。

また、日本に亡命中の孫文を助け、中国の辛亥革命を支援したアジア主義者でもあっありました。

寺内内閣入閣をもって木堂を「変節漢」とするのは早計であり、

それら政策の実現のために、有益だと見る政権に加わったと見るべきではないでしょうか。

その証として、明治の政界で隠然たる影響力を誇っていた山県有朋が、

「朝野の政治家の中で、自分の許を訪れないのは頭山満と犬養毅だけ」と語ったという話が残っています。

ひとつ言える事は、木堂を評して「憲政の神様」と称える側も、「変節漢」と罵る側も、

政治を金儲けの道具とせず清廉潔白を貫いた政治家であったという点では一致しているるようです。

しかしながら、木堂の名を歴史に残したのは、その清廉潔白な生き方よりも、その壮絶な死に様でありました。

昭和7年(1932)3月、関東軍の暴走によって満州国が建国されますが、

その時総理となっていた木堂は、これを承認しようとはせず、

なんとか軍部をコントロールして事態を収拾し、中国との関係改善を図ろうとしていました。

しかし同年5月15日、官邸を襲った海軍将校たちの手によって2発の弾丸を受け、息をひきとります。享年77歳でした。

海軍の青年将校が犬養邸に侵入した際には、

木堂自身が「靴ぐらい脱いだらどうだね?」と、家族のいる部屋から他の部屋へ将校達を連れ出し、

「撃つのは何時でもできることだ、まぁ話をすれば解る」と何度も説得しました。

しかし、説得の甲斐なく、青年将校は「問答無用、撃て、撃て」と言いながら、木堂の側頭部を撃ち抜きました。

即死ではなかった木堂は「今の若い者をもう一度呼んで来い、話してよく聞かせるから」
と言う程、当初は元気でしたが、

結局その数時間後、帰らぬ人となってしまいました。

この5・15事件の後、穏健派の海軍大将斎藤実が次ぎの首班となり、木堂の死と共に政党政治は終焉を迎えます。

更に昭和11年(1936)には2・26事件が起こり、

以後、クーデターの脅威を背景にした軍部の前に対抗できる勢力は皆無となってしまいました。

この生家に隣接して、犬養木堂記念館(平成5年開館)が建てられており、

直筆の書や手紙、愛用の筆や硯、5・15事件の時の血染めの座布団など木堂ゆかりの資料が常設展示されています。

また、選挙の為に録音したレコードで、木堂の肉声を聞くこともできます。

この大政治家の演説を聞きくと、その理路整然とした語り口と、

聞く側が圧倒されてしまうような迫力は、現在の政治家は到底及ばないと思いました。

同じ吉備の出身で、郵政民営化法案に反対し自民党を離党、

今度はデカイ態度で復党させろとのたまう某「大物」造反議員など、

この場所で木堂の肉声を今一度聞いてみればいいのではと思います。

改めて自分の器量の小ささに気づくのではないでしょうか。

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