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2006年10月21日 (土)

近代の遺跡

061021cocolog

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岡山市の東方の沖合、約2.2kmのところに犬島という島があります。

岡山市に属する島としては唯一の有人島で、現在約80名の島民が暮らしています。

記録に残っている限りでは、入植の始まりは元禄年間(1688~1704)とされていますが、

島内から旧石器時代の遺跡も発見されており、人の営みの歴史はそれ以来続いてきたと推測できます。

その長い歴史の中で、犬島が最も栄えた時期は、明治30年代の大阪湾構築に伴う採石業の繁栄期と、

それに続く明治40年代の銅の精錬業による繁栄期だと言われています。

犬島は、全島が「犬島みかげ」と呼ばれる良質の花崗岩からなっています。

そのため、石材は古くからこの島の特産品でした。

鎌倉の富岡八幡宮の大鳥居や岡山城、大阪城などの石垣にも犬島産の花崗岩が使われているそうです。

明治に入って行われた大阪築港の造営の際に、石材の供給を一手に引き受けたため、

石材の島として一躍クローズアップされるようになりました。

もう1つ、犬島の栄枯盛衰の歴史を象徴する産業としては、銅の精錬があります。

明治42年3月、倉敷市の帯江銅山から産出される銅鉱石を精錬する工場を、

岡山の実業家坂本金弥氏が開設・創業しました。

その後、藤田合名会社から住友金属へと、経営は移り変わっても活況は続き、

全国各地より従業員が集まり、島の人口は一挙に増加、最盛期で5000~6000人にも達しました。

精錬所周辺には社宅が設けられ、飲食店、料理屋、旅館なども建ち並ぶようになり、

三味線や太鼓の音が夜遅くまで聞こえたといわれています。

しかし大正時代に入ると、インフレで銅の価格が大暴落し、

大正8年3月には、現役期間たった10年間であえなく閉鎖されてしまいました。

閉鎖後は、企業の撤退や住民の減少が一気に進み、

現在の犬島の産業は、採石業と化学工業があるのみとなっています。

また、住民の高齢化の波はこの島にも押し寄せ、

平成3年には犬島にあった小中学校はすべて閉校となりました。

今日の写真は、閉鎖後90年近くが経過した犬島精錬所の姿です。

レンガ造りの工場跡やそそり立つ大煙突など、独特の風景が残されており、

映画「瀬戸内野球少年団」や「カンゾー先生」、テレビドラマ「西部警察」など、

多くの作品のロケ地としてこの跡地が利用されました。

それ以外にも、毎年多数のアマチュア写真家や絵描きさんたちが訪れます。

この日も私の他に、三脚を担いだ4名の撮影グループが来ていました。

拙い写真では感じていただけないかも知れませんが、

荒涼とした、ある種現実離れした独特の雰囲気があり、

瀬戸内に浮かぶ近代の遺跡として、大変見ごたえがありました。

※岡山市街から車で約40分の所にある、宝伝という港から定期船が出ており、
 そこから約10分(大人200円!)で犬島に渡ることが出来ます。

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コメント

ここの精錬所は倉敷にあった帯江銅山の鉱石を
製錬するためのものですね。
柵原鉱山は硫化鉄鉱がほとんどで銅はあまり
取れなかったと思います。
重箱の隅でごめんなさい。

投稿: 元倉敷在住 | 2009年5月19日 (火) 23時44分

元倉敷在住さん
ご指摘、有難うございました。
記事本文は、早速訂正させて頂きました。
浅学ゆえのミス、申し訳ございませんでした。

投稿: yufuki | 2009年5月21日 (木) 20時51分

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