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2006年9月11日 (月)

鬼の正体は?

060911cocolog

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岡山県総社市には、鬼ノ城(きのじょう)と呼ばれている古代朝鮮式の山城があります。

この山城は、標高400mの吉備高原の最南端に築かれていて、

ここからは、総社平野や足守川流域の平野、吉備の津(港)など、古代吉備地方の中心地を眼下に一望できます。

鬼ノ城は、『日本書紀』や『続日本紀』などの官選史書には一切記録のない謎の古代山城です。

したがって、築城時期についても諸説あり、鬼ノ城に置いてあったレジュメ(発行所不明)には、

663年の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備えて大和朝廷が築城した、

全国に16あると言われている城の1つではないかと書かれています。

しかしながら、私としては、大和朝廷による7世紀築城というのは矛盾が多いと考えています。

古代の官製の歴史書には登場しませんが、後世の文献である鬼ノ城縁起などによると、

当時、この地方の人々から「鬼」と恐れられていた温羅(うら)の居城と言われていています。

温羅が活躍(?)した時代は、5世紀ごろで時代が全く合いません。

現在、私が最も支持しているのが高見茂氏(『吉備王国残照―古代の十字路からの発信』)の説で、

おそらく鬼ノ城は、温羅や彼を退治した吉備津彦命の時代(5世紀ごろか)に築かれ、

7世紀の白村江の敗戦後に再構築されたものではないか、

しかも、大和朝廷の命令ではなく、吉備にあった王国が独自に再構築したものではないかというものです。

吉備は稲作のための温暖な気候に恵まれていて、岡山市にある津島遺跡は、

北九州の板付遺跡とともに、日本でもっとも早く稲作がはじまったことを示す遺跡とされています。

弥生時代中期には、吉備の各地に稲作が急激に拡大し、

吉井川、旭川、高梁川、芦田川の下流デルタ地帯に稲作が中心の村々が形成されました。

稲作農耕を支えるもう一つの要素が鉄資源ですが、吉備地方の風化した花崗岩地帯は、多くの砂鉄を含んでおり、

当時の「たたら製鉄」の生産量では、吉備は出雲をしのぐ一大産地だったと推測されています。

効率の悪い石器に代わって、鉄製の鎌や鍬、鋤といった農業土木用具を、

いち早く普及させたこの地方の農耕は、飛躍的に効率を増加させました。

古墳時代の吉備は、こうして得た豊かな経済力で多くの人口を支え、やがて畿内の大和に対抗しうる吉備王国となりました。

「たたら製鉄」に関しては、今では悪役の温羅一族などの朝鮮半島からの渡来者が、

実際は技術革新に大きな役割を果たし、吉備地方を治めていたのではないかと想像します。

朝廷からの視点では見えない温羅像に魅力を感じ、今後も探ってゆきたいと思っています。

畿内から吉備に来て3カ月、すっかり吉備ファンになってしまいました。

※「温羅伝説」については、当ブログ日記2006.7.7の「鬼伝説」の項で以前に触れていますので、ご参照いただければと思います。

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コメント

 このところ多忙でご無沙汰しております。久しぶりにゆっくり過去に遡って拝見させて頂きました。1枚1枚、美しい写真と、その絵解き。丁寧に調査された裏付けの軽妙なタッチの文章に魅せられ、楽しいひとときを過ごさせていただきました。ありがとうございました。

投稿: 銭本三千年 | 2006年9月12日 (火) 09時45分

zensanさん、コメント有難うございます。
zensanさんの新聞記者時代に培われたであろう、的確かつ理解しやすい文章には、いつも感嘆いたしております。
私の母校でも、教鞭を執られていたそうなので、今後は先生としてお手本にさせていただきたいと思っています。

投稿: yuhuki | 2006年9月16日 (土) 01時19分

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