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2006年8月20日 (日)

栄華の面影

060819cocolog

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児島半島の最南端に、下津井という港があります。

瀬戸大橋が本土から海へ伸びていく付け根にあり、本土と四国の距離が1番近い場所なので「西国の喉首」と呼ばれ、

古くから瀬戸内海航路の要衝として発展してきたところです。

本日の写真は、その下津井に今も残る廻船問屋の建物を修復し、

港の歴史、文化、観光情報を紹介する施設として再生した、「むかし下津井廻船問屋」という資料館を撮影したものです。

江戸時代の下津井はたいそう大きな商港で、西日本各地の商船はもとより、有名な北前船が寄港しました。

北前船とは、北海道、奥羽、北陸の漁獲物・特産物・米などを大阪や瀬戸内海に運び、

帰りには近畿、瀬戸内の特産物を持ち帰った北国の船のことで、

500~1500石の船で数十隻の船団を組み、日本海・瀬戸内海を積荷を売買しながら航海しました。

「動く海の総合商社」とも呼ばれ、一航海一千両の利益といわれる程、その稼ぎは大きかったそうです。

備中・備前の海岸部は江戸時代から干拓が進められ、一大農作地帯となっていたため、大量の肥料を必要としました。

その肥料を供給したのが、ニシン粕やニシンを運んだ北前船でした。

北前船の寄航により、町には廻船問屋をはじめ、ニシン蔵・宿屋・料理屋・遊郭などが軒をつらねるようになり、

大勢の船乗りたちが上陸し、また物見遊山の旅人や文人墨客たちが離合集散して、

経済的にも文化的にも岡山城下を凌ぐ賑わいでした。

しかし、下津井港の最盛期は江戸時代から明治中期までで、

それ以降、鉄道の発達や人造肥料の出現により北前船の運航が役割を終えました。

これに伴い、下津井の商港としての機能はその役割を終え、

以後は地方の一漁港となり、経済や歴史の表舞台からは姿を消すことになりました。

これらの時代の繁栄の名残が、約100年を経た今も下津井のあちらこちらに見られます。

なまこ壁、白漆喰壁、格子、虫籠め窓、せがい、卯建、持送など、当時の様式が現在の町並みの中に溶け込んでいます。

下津井の町を歩いてみると、往時の繁栄の残像を容易に発見することができます。

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