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2006年7月 7日 (金)

鬼伝説

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先日、吉備津神社を訪れましたが、あいにく大改修中。

お目当ての国宝の社殿は、外部から見ることは出来ませんでした。

本殿は入母屋屋根を2つつなげた形(比翼入母屋造)をしていて、

これにつながる縦拝殿とあわせて、建物全体の作りが吉備津造と呼ばれています。

神社建築の中では異彩を放つ建物で、吉備津造の建物はここだけにしかありません。

平成二十年の完成予定ということなので、しばらくは防塵シートと鋼鉄の足場の隙間から眺めるほかありません。

もうひとつの吉備津彦神社の特徴としては、長い長い回廊が挙げられます。

こちらは現在もほとんど全部通行可能でした。

この回廊は全国的に有名で、一時はサザエさんのオープニングにも登場しました。

本日の写真は、その回廊を国の重要文化財の南随神門付近から撮影したものです。

しかし、この神社が全国に名を知られている一番の理由はやはり桃太郎伝説ではないかと思います。

桃太郎伝説は、この神社の主祭神、大吉備津彦命の温羅(うら)退治伝説をもとに作られたといわれています。

古来より吉備地方は、稲作に適した温暖な気候に恵まれていました。

弥生時代初期、この地にやってきた人々は、旭川下流のデルタ地帯に中州が点在し、

それを囲むように湿地が広がっているのを見て、稲作を始めたのだと思われます。

吉備地方は日本で最も早く稲作が始まった、文化的先進地域であったようです。

そのため語り継がれる説話も数多く、歴史的建造物や古墳などの旧跡が今も残されています。

これからは休日を利用して、吉備地方の歴史ロマンを満喫したいと思っています。

大吉備津彦の温羅退治説話

「むかしむかし異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのものでありました。温羅は新山に城を築き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しようとしましたが、すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりました。大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
 ついに命は温羅と戦うことになりましたが、不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなります。そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、一度に二つの矢を射ることにしました。すると、一つの矢はいつものように海に落ちてしまいますが、もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、命はたちまち鷹となって追いかけます。温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅を見つけ噛み上げついに捕まえることに成功します。捕まった温羅は命に降参して、人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、これ以降命は吉備津彦命と呼ばれることとなりました。」 (吉備津神社HPより)

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