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2006年7月29日 (土)

海中の美田

060730cocolog

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今日に写真は、先日訪れた児島半島にある標高403mの山、

金甲山の頂から、干拓事業で有名な倉敷市児島方面を撮影したものです。

児島のある岡山平野の南部一帯は、かつては「吉備の中海」と呼ばれた美しい海でした。

そこに、上流から運ばれた土や砂が堆積して浅瀬となり、干潟が発達しました。

その干潟を干上がらせて農地として開拓する事業を干拓といい、

児島地方では、すでに江戸時代には、干拓によって新田が開発されていました。

明治時代になると大阪の豪商「藤田伝三郎」によって大規模な干拓が行われ、

終戦後には国営事業に引き継がれながら、

合計2万ヘクタールもの海が、干拓によって美田に生まれ変わりました。

干拓が進むにつれて、農業用水の不足が深刻となりはじめ、

その打開策として、児島湾を締め切って淡水化する事業が昭和25年からはじまり、

11年後の昭和36年になり、やっと締切堤防が完成しました。

岡山市築港栄町から岡山市郡にかけて、堤防の長さは1,558メートルで、

上部は道路として利用され、岡山県南部の交通に大きな役割を果たしています。

古の昔から、吉備地方は豊かな米作地地帯でありました。

そして、ほんの数十年前までは田地拡大の時代が続いていたのです。

先人達は知恵を絞って食糧増産に励み、豊かな農地を後世に残してきましたが、

現在の農業政策では、専業ではもはや食ってゆけないと聞きます。

日本の食糧自給率はカロリーベースで、約40%。

安全保障の面から見ても、文化的側面から見ても、なんだかよろしくないような気がします。

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