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2006年7月21日 (金)

青春感謝の像

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本日の写真は、岡山駅西口のバスターミナル横の広場にある銅像です。

ちょっと古風な顔立ちですが、このイケメンのお兄さんは、旧制第六高等学校(岡山大学の前身)の学生さんのようです。

銅像の下には「青春感謝」と書かれたプレ-トがあり、後ろ側面には下記の説明板がついていました。

『第六高等学校は明治三十三年岡山市に創設され西暦二千年に創立百年を迎えた。

昭和二十五年廃校までの五十年間を操山で過ごした六高生の中から国家有為の人材を多く輩出した。

三年間の六稜生活は弊衣破帽、文武両道に励み、

時に街頭に出て校歌放吟することもったが「六高マン」の愛称で温かく見守られた。

ここに感謝の誠を捧げると共に二十一世紀に向かって日本の将来を背負って立つ君たち若人にこの像を贈る。

平成十二年三月 第六高等学校 同窓会 会長 木村睦男 撰文 京都教育大学 教授 谷口淳一 彫』

平成十二年(2000年)、旧制第六高等学校の創立百周年記念祭が行なわれた際に、

第六高等学校同窓会長であった元参議院議長木村睦男氏が、

青春の3年間を第六高等学校で過ごしたことを偲んで、寄贈したものらしいです。

旧制高等学校の学生さん達については、

『バンカラで自由闊達、純粋に国の行く末を案じ、担わんとするエリート達』

というような、古き良き日本の青春群像のイメージがあります。

しかしその一方で、現実を冷静に見れば、良い側面ばかりではないように思います。

旧制高等学校の生徒数は、同世代人口(男子)のほぼ1パーセントにすぎませんでした。

しかも彼らは、ほぼ例外なく東京帝大を初めとする帝国大学に進学が約束されていました。

当時の帝大は、旧制高等学校出身者以外の入学にはかなり消極的だったので、

その閉鎖性・特権性はさらに相乗されました。

その1パーセントという閉鎖性・特権性こそが、戦前~戦中において、

国家のリーダーとして進路を決する際に方向を誤らせたんじゃないのかと、

私の考えは行き着いてしまいす。

8月15日を前に、駅前の銅像を見てそんなことを考えさせられてしまいました。

PS:青春感謝の像の若者のような、一個人を論じているのではなく、

   あくまで旧制高等学校という制度の問題としてのお話です。

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