« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月29日 (土)

海中の美田

060730cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

今日に写真は、先日訪れた児島半島にある標高403mの山、

金甲山の頂から、干拓事業で有名な倉敷市児島方面を撮影したものです。

児島のある岡山平野の南部一帯は、かつては「吉備の中海」と呼ばれた美しい海でした。

そこに、上流から運ばれた土や砂が堆積して浅瀬となり、干潟が発達しました。

その干潟を干上がらせて農地として開拓する事業を干拓といい、

児島地方では、すでに江戸時代には、干拓によって新田が開発されていました。

明治時代になると大阪の豪商「藤田伝三郎」によって大規模な干拓が行われ、

終戦後には国営事業に引き継がれながら、

合計2万ヘクタールもの海が、干拓によって美田に生まれ変わりました。

干拓が進むにつれて、農業用水の不足が深刻となりはじめ、

その打開策として、児島湾を締め切って淡水化する事業が昭和25年からはじまり、

11年後の昭和36年になり、やっと締切堤防が完成しました。

岡山市築港栄町から岡山市郡にかけて、堤防の長さは1,558メートルで、

上部は道路として利用され、岡山県南部の交通に大きな役割を果たしています。

古の昔から、吉備地方は豊かな米作地地帯でありました。

そして、ほんの数十年前までは田地拡大の時代が続いていたのです。

先人達は知恵を絞って食糧増産に励み、豊かな農地を後世に残してきましたが、

現在の農業政策では、専業ではもはや食ってゆけないと聞きます。

日本の食糧自給率はカロリーベースで、約40%。

安全保障の面から見ても、文化的側面から見ても、なんだかよろしくないような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月27日 (木)

現代の渡し船

060727cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

玉野市にある宇野港へ行ってきました。

背面に児島半島の山並が控え、前面には穏やかな瀬戸内海が広がる宇野港は、

高潮や台風災害のほとんどない天然の良港で、岡山の海上交通に重要な位置を占めています。

その中でも旅客運送が最も盛んで、港での取扱貨物の90%以上がフェリーによるものだそうです。

写真は四国フェリー㈱が運行する第八十一玉高丸を、宇野港の桟橋から撮ったものです。

第八十一玉高丸は、宇野港~高松港(距離18km)を毎日、所要時間約60分で結んでいます。

ひとたび、強風などでJR瀬戸大橋線が運休となった場合には、この航路で振替輸送が行われており、

さしずめ、現代の渡し船、地元では頼りにされている存在です。

もう一社、宇高航路を結ぶ加藤汽船傘下の宇高国道フェリー㈱とは対抗関係にあり、

見たことはありませんが、対岸の高松港では派手なネオンサインを競っているそうです。

また、地元の方に聞いたところでは、船内で販売されているうどんの味でも、

なかなか両者譲らず競い合っているらしく、乗客サービスでも良きライバル関係にあります。

残念ながら四国フェリー㈱の船にも、宇高国道フェリー㈱にもまだ乗ったことはありません。

しかし、岡山にいる間に、穏やかな瀬戸内海をのんびりと進むフェリーに揺られて、

四国方面に一度は足を伸ばしたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月24日 (月)

吉備路のシンボル

060724cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

本日は仕事がお休みでしたが、生憎の小雨模様。

梅雨も後半になっての雨続きで、いい加減ウンザリです。

しかし、単身赴任の身で家に閉じこもっていて、体にカビでも生えたらしゃれにまりません。

とりあえず、カメラを持って車に乗り込み、国道180号線を西へ向かいました。

目指すは、岡山県総社市にある備中国分寺です。

岡山県総社市の吉備路(旧西国街道)には造山古墳・作山古墳・こうもり塚など、

貴重な遺跡や旧跡が多く残っていて、古代史・日本史ファンが沢山訪れます。

その中でも、ひときわ目を引くのが備中国分寺跡の日照山国分寺五重塔で、

岡山県内唯一の五重塔という事もあり、吉備路のシンボル的存在となっています。

備中国分寺は、天平13年(741年)頃、聖武天皇が仏教の力を借りて、

天災や飢饉から国を守ることを目的に建てた官寺の一つと伝えられています。

しかし中世には廃寺となり、その後、江戸時代中期になって、

日照山国分寺として再興され、現在に至っています。

現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものです。

五重塔は、弘化元年(1844年)ごろに完成し、34.32mの高さがあります。

この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで、相輪も短く、

江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔だと言われています。

備中国分寺跡に着いた時には、日ごろの行いが功を奏したのか、

つかの間だけ雨が上がり、曇り空ながらも、お目当ての五重塔を撮影することが出来ました。

岡山に来て約1ヶ月、ほんとに良い所だなぁと思います。

この先、任期が何年になるかわかりませんが、退屈はしなくてすみそうです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年7月21日 (金)

青春感謝の像

060721cocolog_2   

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

本日の写真は、岡山駅西口のバスターミナル横の広場にある銅像です。

ちょっと古風な顔立ちですが、このイケメンのお兄さんは、旧制第六高等学校(岡山大学の前身)の学生さんのようです。

銅像の下には「青春感謝」と書かれたプレ-トがあり、後ろ側面には下記の説明板がついていました。

『第六高等学校は明治三十三年岡山市に創設され西暦二千年に創立百年を迎えた。

昭和二十五年廃校までの五十年間を操山で過ごした六高生の中から国家有為の人材を多く輩出した。

三年間の六稜生活は弊衣破帽、文武両道に励み、

時に街頭に出て校歌放吟することもったが「六高マン」の愛称で温かく見守られた。

ここに感謝の誠を捧げると共に二十一世紀に向かって日本の将来を背負って立つ君たち若人にこの像を贈る。

平成十二年三月 第六高等学校 同窓会 会長 木村睦男 撰文 京都教育大学 教授 谷口淳一 彫』

平成十二年(2000年)、旧制第六高等学校の創立百周年記念祭が行なわれた際に、

第六高等学校同窓会長であった元参議院議長木村睦男氏が、

青春の3年間を第六高等学校で過ごしたことを偲んで、寄贈したものらしいです。

旧制高等学校の学生さん達については、

『バンカラで自由闊達、純粋に国の行く末を案じ、担わんとするエリート達』

というような、古き良き日本の青春群像のイメージがあります。

しかしその一方で、現実を冷静に見れば、良い側面ばかりではないように思います。

旧制高等学校の生徒数は、同世代人口(男子)のほぼ1パーセントにすぎませんでした。

しかも彼らは、ほぼ例外なく東京帝大を初めとする帝国大学に進学が約束されていました。

当時の帝大は、旧制高等学校出身者以外の入学にはかなり消極的だったので、

その閉鎖性・特権性はさらに相乗されました。

その1パーセントという閉鎖性・特権性こそが、戦前~戦中において、

国家のリーダーとして進路を決する際に方向を誤らせたんじゃないのかと、

私の考えは行き着いてしまいす。

8月15日を前に、駅前の銅像を見てそんなことを考えさせられてしまいました。

PS:青春感謝の像の若者のような、一個人を論じているのではなく、

   あくまで旧制高等学校という制度の問題としてのお話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月19日 (水)

変わりゆく大阪

060719cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

本日は大阪で会社の会議があり、久しぶりに自宅からの更新です。

写真は、会社帰りに買い物に寄ったヨドバシカメラ梅田店付近から、

JR梅田貨物駅跡、通称「梅田北ヤード」を写したものです。

甲子園球場の6倍(約24ヘクタール)もある広大な敷地は、

大阪市内の中心部に残された「最後の1等地」とされてきました。

しかし、「最後の1等地」でありながら、土壌汚染の問題や、

貨物駅の移転先(JR吹田操車場)の住民反対運動の影響で、

再開発がいわれながら長く放置されてきました。

今年の2月にようやく貨物駅移転問題に決着がつき、

2011年のまちびらきに向けての本格的な工事が始まりました。

周辺の地区でも、JR大阪駅新北ビルの開発(三越百貨店誘致)や、

阪急百貨店の大規模な増床など、にわかに動きが活発になっています。

すべての事業が完成する時には、現在とはまるで違う「梅田」になることでしょう。

関大阪市長は、「新しくできる町は人間中心の憩いと癒しのある都市空間に」と言っていますが、

大阪駅近接地は、国土交通省の公示価格でも1㎡あたり5~600万円もします。

経済効率より人間性を優先する街づくりが本当に出来るんでしょうかねェ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

早朝「観蓮節」

060717cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

7月16日(日)早朝、岡山市の後楽園で、夏の風物詩「観蓮節」が行われました。

「観蓮節」とは読んで字のごとく、蓮の花を観る行事であります。

ここの蓮池は普段も公開されており、いつでも観ることが出来ますが、

「観蓮節」だけは早朝(AM4:00)に開園されるので、夜明けとともに開くハスの花を観賞できる唯一の日となっています。

この行事の始まりは結構新しく、1956年。

岡山市出身の植物学者・大賀一郎博士から、古代蓮の一種「大賀蓮」を寄贈されたのを記念して始められたのだそうです。

夜明けとともに開花していく神秘を見られるのは、年に一度のこの日だけとあって、

早朝にもかかわらず大勢の人たちで賑わいます。

私も、AM3:30に到着しましたが、門前にはもうすでに大行列が出来ていました。

入場したら、すぐに撮影ポイントの場所取り合戦。

その後AM4:30位からほのぼのと夜が明け始め、蓮の花が開き始めました。

夜明けの風が蓮の葉を揺らすと開花が始まるのだと、

地元でキャリアの長そうなカメラマンに教えていただきました。

ちなみに、約40分かけてゆっくりと開いてゆくので、よく言われる「ポン!」という音は聞こえませんでした。

後楽園で咲くハスは、今日の写真の「一天四海」(別名:大名蓮)をはじめ数種類。

お目当ての「大賀蓮」は開花の数が少なく、良い写真は撮れませんでした。

おまけにカメラの設定ミスもあり、ボツ写真の大量生産。

AM5:00までに撮った写真はほぼ全滅で、早起きが台無しとなりました。

AM9:30より通常どおり出勤し、仕事を終えたときにはもうフラフラ状態。

帰宅後、バタンキュー(古い表現?)でベッドにもぐりこみながら、

眠気で朦朧とする頭で、来年のリベンジを心に誓いました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月13日 (木)

市民の足2

060713cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

岡山市内でみるタクシーは、写真にあるような黄色いボディーカラーの車が非常に多く、

岡山駅前のタクシー乗り場は黄色一色といっても良いほどです。

同じボディカラーで営業しているのは、岡山タクシー㈱、岡山交通㈱、両備運輸㈱タクシー事業部の3社で、

7/11に日記で書いた路面電車「岡電」や、市内循環バス、高速フェリーなどを経営する、

県下最大級の企業集団、両備グループに3社とも属しています。

岡山に来て数度しかタクシーは利用していませんが、運転手さんの印象としては、

大阪と比べると、非常に丁寧で愛想が良いように思いました。

しかしながら、タクシーの利用は観光シーズン外の今頃は非常に厳しいようです。

客待ちの列がなかなか前進せず、手持ち無沙汰の運転手さんが車外でヒマをつぶしている姿が目立ちます。

2002年の道路運送法改定により、区域ごとのタクシー台数制限が撤廃され、

新規参入や増車も容易になりました。

全国では2001年の256000台から、2004年までの間に13000台増えています。

県別の増加率は、宮城が一位で15・1%、二位は石川、三位は岡山だという事です。

(国土交通省資料)

その結果、一台あたりの営業収入はかなりダウンしているようで、

増加率1位宮城県ではタクシー運転手さんの組合が、国の政策が誤りだとして訴訟を起こしています。

利用する側から言えば、規制緩和で競争原理が導入され、

価格の引き下げや、サービス向上などの恩恵は有難いのですが、

その皺寄せがほとんどの場合、現場に被せられているのはなんとも複雑でな気持ちになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月11日 (火)

市民の足

060711cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

岡山市内には路面電車が走っています。

JR岡山駅前から東山へ向かう東山線と、同駅前から清輝橋へと向かう清輝橋線の2路線が走る、

日本一営業路線の短い路面電車です。

この路面電車は、地元の人々からは「岡電」という愛称で呼ばれていて、

結構便利な市民の足として利用され、親しまれています。

運営している岡山電気軌道株式会社も黒字で、

地方の小規模な電鉄会社としてはかなりの健全経営らしいです。

真偽のほどは知りませんが、関東方面の廃線予定の某私鉄会社が、

岡山電気軌道株式会社に経営を委託したいと打診しているとの噂もあったようです。

なかなか商売上手な会社のようで、

写真では判りにくいかもしれませんが、全車両にスポンサーがついており、

ド派手なものからレトロチックなものまで、ボディには必ず広告が入っています。

市内の企業から最も目に留まる媒体としての評価があるので、

そこそこの広告収入があるのではないでしょうか。(あくまで推測ですが。)

また、一日乗車券を発売したり、100円区間を設けるなど、

様々な営業面での努力もなされているようです。

全国の電鉄会社で始めて女性運転士が採用されたのもこの岡山電気軌道で、

交通機関としては古い業態である路面電車を経営しながらも、先進性を感じる企業です。

そんなことを言いがらも、外から見ているだけでまだ実際に利用したことがありません。

時間を見つけて、一度全線を走破してみたいと思います。

なんせ、日本一短い営業路線ですので、そんなに時間はかかりません。

その折には、車窓からのレポートを書きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月10日 (月)

緑の道

060710cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

今日の写真の西川・枝川緑道公園は、農業用水路を保全する目的で、

岡山市中心部を南北に貫流する西川用水とその支流の枝川用水の両岸を、

緑道として整備した公園です。

南から枝川緑道公園、西川緑道公園、西川緑道公園(上流)の3つの区域に分けて整備されています。

総延長2.4kmの緑豊かな公園内には、噴水や水上テラス、休憩所やトイレなどの施設も設置されており、

散歩道としては非常に素晴らしい環境の緑道だと思います。

行政の見解によれば、都市水域の親水空間のモデルとして評価されいるとのことで、

平成9年には「おかやまの清流」に選定されています。

しかしながら、公園利用者となると非常に少なく、平日などは人っ子一人いません。

大阪の私の実家付近にこの緑道があれば、早朝散歩の老人や昼寝のサラリーマン、

夜にはベンチでささやくお二人さんで賑わうに違いありません。

「何故なんだろう?」と考えてみたのですが、妥当な答えが見つかりません。

治安の面で問題があるようにも見えませんし、面倒な利用規制があるわけでもないようです。

緑道の左右両側が交通量のそこそこある道路だからでしょうか?

最後に思い当たるのは、他にも良いところ沢山あるからではないかという事です。

岡山市内といっても、少し行けば自然がいっぱい残っているのに、

何もわざわざ、用水脇の狭い人工的な公園をありがたがる必要もないのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 7日 (金)

鬼伝説

060707cocolog_2

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

先日、吉備津神社を訪れましたが、あいにく大改修中。

お目当ての国宝の社殿は、外部から見ることは出来ませんでした。

本殿は入母屋屋根を2つつなげた形(比翼入母屋造)をしていて、

これにつながる縦拝殿とあわせて、建物全体の作りが吉備津造と呼ばれています。

神社建築の中では異彩を放つ建物で、吉備津造の建物はここだけにしかありません。

平成二十年の完成予定ということなので、しばらくは防塵シートと鋼鉄の足場の隙間から眺めるほかありません。

もうひとつの吉備津彦神社の特徴としては、長い長い回廊が挙げられます。

こちらは現在もほとんど全部通行可能でした。

この回廊は全国的に有名で、一時はサザエさんのオープニングにも登場しました。

本日の写真は、その回廊を国の重要文化財の南随神門付近から撮影したものです。

しかし、この神社が全国に名を知られている一番の理由はやはり桃太郎伝説ではないかと思います。

桃太郎伝説は、この神社の主祭神、大吉備津彦命の温羅(うら)退治伝説をもとに作られたといわれています。

古来より吉備地方は、稲作に適した温暖な気候に恵まれていました。

弥生時代初期、この地にやってきた人々は、旭川下流のデルタ地帯に中州が点在し、

それを囲むように湿地が広がっているのを見て、稲作を始めたのだと思われます。

吉備地方は日本で最も早く稲作が始まった、文化的先進地域であったようです。

そのため語り継がれる説話も数多く、歴史的建造物や古墳などの旧跡が今も残されています。

これからは休日を利用して、吉備地方の歴史ロマンを満喫したいと思っています。

大吉備津彦の温羅退治説話

「むかしむかし異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのものでありました。温羅は新山に城を築き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しようとしましたが、すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりました。大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。
 ついに命は温羅と戦うことになりましたが、不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなります。そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、一度に二つの矢を射ることにしました。すると、一つの矢はいつものように海に落ちてしまいますが、もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。温羅は驚愕し雉に姿を変え山中に逃げますが、命はたちまち鷹となって追いかけます。温羅は命に捕まりそうになると、今度は鯉に姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅を見つけ噛み上げついに捕まえることに成功します。捕まった温羅は命に降参して、人民から呼ばれていた吉備冠者を命に献上したので、これ以降命は吉備津彦命と呼ばれることとなりました。」 (吉備津神社HPより)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

日陰者

060706cocolog_1

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

今日の写真は、先日訪れた吉備津彦神社の境内の隅にある、

石段の脇に生えていたキノコ(種類はわかりません)です。

表面が「ヌルッ」としていて、その光沢が枯れ葉の中でやけに目立っていました。

キノコって他の動植物と比べて、なんだか妙な感じがしませんか?

「どこが妙か?」と、問い返されたら、「ここです!」と明確には答えられませんが、

近寄ったり、触ったりしてはいけない様な、

どこか不安な落ち着かない感じがするのは、私だけでしょうか?

他の動植物と比べて理解の度合いが浅いために、奇妙に思えるのかもしれません。

シメジやシイタケ、キクラゲなど、食材としてのキノコは身近なのですが、

それ以外のキノコは、私にとっては長らく興味の対象外、日陰者でありました。

一般的にキノコと言えば、地上に顔を出した部分のことですが、

それは植物で言う花や実でしかなく、本体は地下にはびこる菌糸です。

生き物といえば、動物と植物のみ大別して考えてしまいますが、

そうした2分法では説明のできない第3の生物「菌類」の存在は、実は相当に大きな物です。

すべての生物の屍を土に変え、死から生への橋渡しをするキノコは、

生態系にとって重要な役割を担っています。

日陰者どころか、菌類は生命のサイクルを廻す主役であるのです。

だが、しかし・・・・

そのようなことは、知識としては理解するのですが、

何故かしら、やっぱり妙な感じは残るのです。

見るものを不安にさせるような何かが、キノコにはあると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月)

おおらかな空間

060703cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

本日はお休みで、吉備津彦神社と吉備津神社に行ってきました。

岡山市西部の中山という独立丘陵に吉備津彦神社が鎮座し、

その1kmほど西には別に吉備津神社が鎮座しています。

「彦」1文字の違いしかないので紛らわしいですが、

祭神は同じで、桃太郎のモデルとして有名な大吉備津彦命を祭っています。

写真は備前の国の一宮、吉備津彦神社の方の拝殿を撮ったものです。

国宝の本殿・拝殿がある吉備津神社は現在大改修の最中(完成は平成20年の予定)で、

全神社の中で唯一の様式にして日本建築の傑作、「吉備津造」(比翼入母屋造)の雄壮な社殿は、

頑丈な足場と防塵シートに覆われ、外から見ることは出来ませんでした。

前にも書きましたが、私は神社が好きで、街中に残る小さな産土神社から、

大社、一宮といった大きな神社まで、気が向けば足を運んでいます。

神社は自然崇拝や自然信仰から発祥しました。

よって、古来から神社の思想や考え方には、拠り所となる明確な教義や経典がありません。

たとえば、仏教には明文化された経典がありますが神社・神道にはありません。

お寺の入り口には扉があり、無用のものが無断で立ち入ることを許しませんが、

鳥居には扉がなく、いつでも誰でも自由に出入りが出来るようになっています。

また、神社間には仏教で言う総本山~末寺というような縦割り組織もなく、

個々が独立体として運営されています。

明治時代に神仏は分離されますが、神社仏閣というような言葉が現在も一般的に使われるように、

千年を超える神仏習合という時代を経て、仏教の影響を受けながらもその基本は現在も変わっていません。

明確な教義や経典がないので、習俗や伝統に頼って物事が進められ、

指示を仰ぐ上部組織もないので、神社各々の多種多彩な様式が生まれてゆきます。

そして、それが時代とともに発展的に変化しながら今日に至っています。

そんな、「おおらかさ」と「多様性」が神社の魅力だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

アオスジアゲハ

060701cocolog

にほんブログ村 写真ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

今日の写真は、アゲハチョウの中でも市街地でも見ることの出来るおなじみの顔、アオスジアゲハです。

岡山市内東部を流れる、旭川の河川敷で撮影しました。

私は、大阪平野の中央部、東大阪の工場地帯で生まれ育ったので、

幼少の頃に、自宅付近で昆虫に出会うということがホントに稀でした。

(蝿や蚊、ゴキちゃん等、昆虫採集の対象とならないやつらは除いてのお話。)

しかし、このアオスジアゲハは人や軽トラの行き交う中小工場街の喧騒の上を呑気にひらひらと飛んでいました。

アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉っぱを好んで食べるそうで、

生命力が強く、高い香気を持つクスノキは高貴な樹とされ、神社仏閣には欠かせない存在であるほか、

西日本では街路樹としてに多く植えられています。

自然環境に恵まれていない我が故郷でも、小さな神社や街路樹は少なからずあり、

その食性ゆえにアオスジアゲハは繁殖できたのだと思います。

この蝶のもうひとつの特徴は、写真のように水によってくることで、

小学生のころはグランド脇のコンクリートの通路に水を撒いて、

アオスジアゲハをおびき寄せて捕まえたりしていました。

写真のオスジアゲハを見つけて、ファインダーを覗きながら息を殺して接近している時、

小学生の頃、友人たちと虫取り網を抱えて、ジッとこの蝶の飛来を待っていた、

夏の日のことをふと思い出しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »