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2006年5月31日 (水)

Qの称号

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本日は、また福岡へ日帰り出張。

伊丹空港で搭乗の際、携帯電話で撮影した画像です。

ANAの伊丹~福岡便は一日6便が運行していますが、

そのうち午前出発の7:50発のANA421便と8:55発のANA1675便をよく利用します。

ANA421便の機材は通常ボーイング777-200で、座席数が415席もある大型ジェット機ですが、

そのすぐ後の便は、写真のボンバルディアDHC8-Q400という座席数74席の双発のプロペラ機が使用されています。

私は、飛行機に対する恐怖感はあまり無いほうだと思っているのですが、プロペラ機はどうも苦手です。

本日も翼の真横の窓際席だったので、伝わってくる振動を足元に感じて、

唸るエンジン音を聞きながら、窓の外のプロペラの回転の様子を見ていると、

「大丈夫やろナ?」

「毎日飛んではるねんから、大丈夫にきまっとるがナ」

「でも、今日に限ってなんでや!?ちゅうこともあるで」

などと自問自答が始まってしまいます。

また、この機種には音楽が流れるイヤーホンの設備も付いていないので、

気を散らす事が出来ず、振動と音から逃避する事がよけいに難しいのです。

客室アテンダントのおねいさんも2名しか同乗していないので、

今日の様に座席から遠い場合は、眺めるにも限度があります。

もう少し静かなら眠ってしまう事も可能なんですが、自問自答が始まればもう眠れません。

何とかならないものかと思いますが、機種名のDHC8-Q400の「Q」は、

なんと、騒音・振動抑制装置を装備しているシリーズに付けられる称号で、

「Quiet」(静かな)の略なんだそうです。

これで、「Q」やと言われても・・・

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2006年5月30日 (火)

謎の昭和遺産

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本日も、大阪は天王寺、新世界で撮った写真です。

新世界界隈には、たくさんのパチンコ店があります。

街全体の昭和レトロな雰囲気とは異なり、ほとんどのパチンコ店は近代的な内外装に衣替えを済ませ、

最新のパチンコ台を導入しています。

しかし一軒、昭和レトロここに極まるというような異彩を放つお店がありました。

私は普段パチンコをしないので、現在どのような機種が人気なのかは知りませんが、

写真のような機種ではないという事は判ります。

何といっても、電動ハンドルを回すのではなく指ではじく形式の台です。

いったい、どれぐらい前の機種なんでしょうか?

ここは、ゲームセンターやパチンコテーマ館などではなく、

現在も営業中のパチンコ店であることを考えれば、

いまだにこの機種が現役で残っているのは奇跡的だと思います。

オーナーさんがレトロ趣味なのかとも思いましたが、たぶんそうではありません。

なぜなら、ジュース自販機は最新機種に入れ替えられているからです。

店内はご覧のような閑古鳥が鳴く状態、射幸心の強いギャンブラーは現実的です。

画面には入っていませんが、店番のおばあさんが一人っきりで、客はゼロ。

それなのに何故、この台のまま営業しているのか?

また、何故それが可能のか?

なぞがなぞを呼ぶ、パチンコ店でした。

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2006年5月28日 (日)

舶来の福の神

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今日の写真は、新世界のとある飲食店の前にすえられた巨大な「ビリケン」さんです。

阪本順治監督、杉本哲太主演で1996年に公開された映画「ビリケン」で、

関西在住以外の観光客にも知られるようになったからか、

新世界の街中に、まるで招き猫がわりに、大小さまざまな「ビリケン」さんが鎮座しています。

「ビリケン」さんはもともとは1908年にアメリカの女流美術家、フローレンス・プリッツが

夢で見た神様をモデルに制作したキャラクターだと伝えられています。

トンガリ頭に極細つり目という、ユーモラスな姿がたちまち人気を博し、

「幸福のマスコット」としてアメリカを初じめ世界中に大流行しました。

この流行を受けて、1912年オープンした新世界の遊園地「ルナパーク」では、

さっそくビリケン像を造り、入場客に公開しました。

これが大当たりし、新世界名物として一躍有名になりましたが、

ルナパークの閉鎖と同時に「ビリケン」さんは行方不明になってしまいました。

現在、通天閣の3階の広場にある本家「ビリケン」さんは、

1979年に通天閣が改装した折に、当時の資料を元に再現したものだそうです。

映画「ビリケン」が公開されるまでの20年間は、

関西人でもごく一部しか「ビリケン」を知らなかったと思います。

それが、先日久しぶりに新世界を訪れたら、

街中そこらここらの氾濫ぶりにビックリしました。

コレは使えると見れば、舶来の神様であろうと看板にしてしまう、

大阪商人のパワーはまさに神業だと思いました。

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2006年5月27日 (土)

男はつらいよ

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写真は、言わずと知れた人気映画シリーズ「男はつらいよ」の主人公、渥美清が演じる車寅次郎です。

大阪は天王寺、新世界にある廃館になった名画座の看板絵がそのまま放置されていました。

「男はつらいよ」シリーズは全部で48作品作られましたが、ほぼ全作品がヒットし、

30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブックにも載っています。

主演の渥美清の死去により、1995年に公開された第48作「寅次郎 紅の花」を最終話としてシリーズの幕を閉じました。

私は劇場とビデオ鑑賞を併せて全作品を観ているので、寅さんフリークではないけれど、寅さん好きには違いありません。

映画のストーリーはほとんどワンパターンで、だいたい次のような展開になります。

まず、寅次郎が旅先や故郷の葛飾柴又でマドンナに出会い、恋をするところから始まります。

(毎回、その時々の旬の女優がゲスト出演するのも見所の一つです。)

ストーリーが進むにつれ、しだいにマドンナも寅次郎に対して好意を抱くようになるのですが、

それは恋愛感情ではなく、いわゆる「善い人ね、寅さんって」どまり。

最後にはマドンナの本当の恋人が現れて短い恋は終わってしまいます。

そして落ち込んだ寅次郎は、正月前もしくは盆前に、

(即ち正月、盆がテキ屋はかき入れ時、映画館もかき入れ時)

再びテキ屋稼業の旅に出て行くというラストシーンで締めくくられます。

この展開はおおむね全作同じなのに、何でまた観るのかという話になります。

答えは、やはり「旅へのいざない」ではないでしょうか。

現実にはとてもありえない生き方ですが、

スクリーンの中では「気が向けば、フラッと旅に出る」が許されています。

毎回のラスト近くになると、日本の原風景ともいえるような、

各地の祭りや漁港、田園などの景色が、啖呵売をする寅さんのバックに映し出されるます。

私はこのシーンで、必ず目頭が熱くなってしまいます。

こうして考えてみると、恋愛はことごとくつらい結果に終わってしまうけれども、

自由に旅に生きる寅さんに、私は憧れているのだと思います。

失敗しても、旅に出てリセット、こんないい暮らしはありません。

(寅さん)「それを言ったらオシマイよ」

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2006年5月26日 (金)

地上にするどく竹が生え

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今日の写真は、河内長野市内にある府立花の文化園で撮った竹の子です。

竹やぶから少し離れた遊歩道にひょっこり顔を出していました。

竹はイネ科の植物で、木質多年生の茎をもつものの総称です。

熱帯から温帯に多く分布し、主として無性的に地下茎で繁殖しつづけ、

何年か後に、花を咲かせ実をつけ、そしてすぐに枯れてしまうそうです。

(なんと!マダケは120年周期!)

真っ直ぐに生きて、最後にひと花さかせる。

そのような生態も、毅然とした竹のイメージを補完している様に思います。

詩人の萩原朔太郎は、竹から凛としたものを感じとり、詩集「月に吼える」に「竹」という詩を書いています。

「竹」 

光る地面に竹が生え、
靑竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より纖毛が生え、
かすかにけぶる纖毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
靑空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。         萩原朔太郎『月に吠える』より

この詩のような、繊細かつ力強い、毅然としたイメージの反面、

竹には、竹細工や建築資材など、有用で親しみ易い植物という一面もあります。

ザルやカゴ類、箸に食器、ウチワや扇子、さらには洗濯の物干し竿など、

数え切れないほどの生活用具として竹は使われてきました。

このギャップこそが、私たちが竹を愛する所以なのかもしれません。

夏はもうすぐそこまで来ています。

夏は竹のシーズン。

今年も、たくさんの竹たちのお世話になるでしょう。

竹が育む伝統文化は、今も日本人の心に生き続けています。

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2006年5月25日 (木)

君は薔薇より美しい

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今日のタイトルは「君は薔薇より美しい」です。

現在35歳より若い方には「なんじゃそりゃ!」でしょうが、

それ以上の方にはいわずと知れた日本ポップス界の大御所、布施明のヒット曲のタイトルです。

作詞は門谷憲二、作曲・編曲はあのゴダイゴのミッキー吉野で、1979年にカネボウ化粧品のCMソングとして世に出されたました。

このCMに出演していたのがハリウッド女優オリビア・ハッセーで、彼女と布施明は後に結婚しました。(そして離婚も)

当時の私は中学校3年生で、ラジオの深夜放送(ABCヤンリクなど)でよくかかっていたこの曲がお気に入りでした。

布施明といえば、「シクラメンのかほり」や「積み木の部屋」など、フォークソング調の曲が代表曲ですが、

この曲は正反対で、アメリカン・ショービズ調というかハリウッド調というか、豪華絢爛な感じのアレンジです。

イントロからインパクトがあるのですが、サビの最後の部分で布施明が声量たっぷりに、

「あぁぁ~君は~変わったぁぁ~」と歌い上げる様は、物凄いです。

こんな事を言うと怒られるかも知れませんが、名曲というよりは珍曲、まさにCMタイアップがなせる業でした。

聞きたい人は、グリコが出しているなつかしの名曲シングルCDつきのチョコのおまけにもなっていますので是非、どうぞ。

(まだ売ってるかな?定かではありません。)

「君は薔薇より美しい]

息をきらし胸をおさえて 久しぶりねと君が笑う
ばかだね そんなに急ぐなんて うっすら汗までかいて

なぜか今日は君が欲しいよ 違う女と逢ったみたいだ
体にまとったかげりを脱ぎすて かすかに色づく口唇

目にみえない翼ひろげて 確かに君は変った

歩くほどに踊るほどに ふざけながら じらしながら
薔薇より美しい ああ 君は変った

愛の日々と呼べるほどには 心は何も知っていない
いつでも抱きしめ急ぐばかり 見つめることさえ忘れ

笑いながら風を追いかけ 君に誘われ行ってみよう
だました男がだまされる時 はじめて女を知るのか

目に見えない翼ひろげて 静かに君は変った

走るほどに笑うほどに 夢みながら 愛しながら
薔薇より美しい ああ 君は変った

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2006年5月24日 (水)

心の蔦

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この世に生をうけてはや、42年あまり。

楽天的な性格の私は、「如何したらいいのだらう」と深刻に悩んだり、

落ち込んだりする事がほとんどありません。

もちろん、まるっきり馬鹿ではない(と思う)ので、悩むときはありますが、

「悩んでどうなる事でもなし、時間の無駄!!」と、大抵のことはすぐに吹っ切れます。

そういう点ではあっさりしている方だと自己分析しています。

しかし、悩みがない代わりに厄介な事があります。

それは、不平不満は限りなく多いという事です。

悩みは自己の内面に向かいますが、不平不満は外に向かいます。

この不平不満という奴は、知らぬ間に蔦のように心の壁を這い上がり、全身に絡みつきます。

そうなってからではもう、自分自身では身動きがとれません。

結果、「なんで、とってくれへんのや!」と周囲に矛先が向かうようになってしまいます。

ほおっておくとすぐに蔦でがんじがらめ。

見事な人生を生きている人は、

「感謝の心を忘れない」「どんな条件下でも全力を尽くす」「優れた古今の人物に学ぶ」

などという方法で蔦がはびこるのを防ぎ、主体的肯定的に心を鍛え続けています。

私もそろそろ、人生の半ばにさしかかります。

いつまでも文句タラタラは卒業し、深みのあるおっさんになりたいと思う今日この頃です。

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2006年5月23日 (火)

スケボーキッズ

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今日の写真は、桑名市内にある九華公園(桑名城址)での一枚です。

仕事でこの公園の近くをとおりかかった時に、

「ゴーッ!ガタン!」という音が何度も繰り返し聞こえてきました。

「何の音かいな」と思い見に行ってみると、公園の端でスケートボードに興じる少年たちがいました。

この公園には、スケボー用に木製のジャンプ台やハーフパイプ(小さいけど)が設置されていて、

「ゴーッ!ガタン!」の音源は、ここをスケボーがすべる音だったのです。

スケボーの起源は木の板裏面に滑車をつけて、舗装道路で遊んだのが始まりなので、

はっきりとした時代・発祥地は不明です。

現代につながるスケートボードと言う名称で商品化されたのは、1970年ごろのカリフォルニアでした。

エックスキャリバーと言う会社が当時流行していたローラースケートの車軸を改良し、

体重移動で操縦できる専用の車軸を開発。

サーフボードとローラースケートを合体させたスケートボードが誕生しました。

しかし誕生以来、多くのスケボーキッズは公道の坂道を利用して遊んでいるので、

大人からは冷たい目で見られていたのも事実です。

屋外で遊ぶ子供たちの姿が少なくなった昨今、

スケボーキッズが、肩身が狭い思いをしないでいいように、

この公園のように簡単な施設を作ってあげれば、

健康的に太陽の下で遊ぶ子供たちが増えるんじゃないかなあなどと思いました。

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2006年5月22日 (月)

オレンジ特急

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今日の写真は、先日の出張の折に、

近鉄桑名駅のホームから名古屋方面に向かう近鉄特急の後姿を撮ったものです。

私はこの世に生まれてから、22歳で学生生活を終えるまで、

大阪は河内の近鉄沿線で暮らしました。

したがって、今でも電車と聞いてパッと思い浮かぶのは「あずき色」の車両です。

今は全体があずき色の車両はほとんど走っていないと思うのですが、

42歳の今でも「あずき色」の記憶はずっと残っています。

そして、特急と聞いて思い浮かぶのもやはり、近鉄特急伝統のカラー「オレンジ色」なのです。

私は、俗に言う鉄道ファンではないので車両についての詳しい知識はありませんが、

デザインは何度もモデルチェンジされているものの、

普通列車の車両と違って特急のカラーは、昔のままの「オレンジ色」が変わらず継承されています。

現在はJRの沿線で暮らしているので、頻繁に「オレンジ色」を見ることがなくなりましたが、

久しぶりに変わらぬオレンジ色を見ると、

小学校時代に貸切りで行った伊勢神宮への修学旅行や、

中学生のときに友人と出かけた鈴鹿サーキットなどの思い出がよみがえります。

電車は暮らしに密接に結びついています。

車両の近代化は、時代とともに必要不可欠だと思いますが、

せめて車両やシートの色は、コロコロ変えないで欲しいなァなんて、

勝手な事を思ったりします。

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2006年5月21日 (日)

モミジについて

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今日は、カエデ=モミジの話です。

日本で見られるカエデは約25種類もあるらしく、

私が寺社や公園などでよく見る「普通のカエデ」はイロハモミジという種類で、

7つに分かれた葉の先を“いろはにほへと”と数えたことから、イロハモミジの名が付けられたそうです。

なお、カエデの名は“カエルの手”からきていて、葉の形がカエルの手に似ていることから名付けられたと言われています。

したがって、かわいい赤ちゃんの手を見て、

「まァ~モミジのようなおてて!」などといってしまうと、

モミジ=カエデ≒カエルとなるので、

「まァ~カエルのようなおてて!」とほぼ同義になってしまいますので注意が必要です。

いったい何が言いたいのか判らなくなってきましたが、

今日言いたいのは、「新緑のモミジは美しい!」という事なんです。

写真を撮り初めるまでは、紅葉したモミジが美しいという認識はあったものの、

春~初夏の頃のモミジがこんなにも美しいとは思っても見ませんでした。

曇り空がはれて、太陽が顔を出したときに見上げたモミジは、

「僕らはみんな生きている」っていう感じで、生命の輝きみたいなものを感じます。

とはいっても、写真歴はまだ一年にも満たない私なので、紅葉のモミジも撮ったことがありません。

今から秋が楽しみです。

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2006年5月20日 (土)

架け橋

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昨日までの雨が午前中まで残りましたが、午後からは久しぶりの良い天気。

本日は、写真家キット・タケナガ師匠が発行しているメルマガ「お散歩デジカメ」の読者サークルのミニ撮影会があり、

神戸ポートアイランドにこの春OPENした花鳥園にいってきました。

写真は、その花鳥園の駐車場からポーアイと神戸国際空港をむすぶ橋を撮ったものです。

今回のミニ撮影会(昼の部)には老若男女あわせて14名が集まりました。

撮影会といっても、めいめい思いのままに写真を撮るだけなのですが、なんともいえぬ連帯感がそこにはあるのです。

私は今回が2回目の参加で、本日が初対面という人がたくさんいましたが、

「写真が好きだ」という1点だけを共有している仲間が打ち解けるのには、そんなに時間はかかりません。

デジタルツールの普及した現代では、

メールやチャットを利用した他人とのコミュニケーション能力は、進化しつつあると言われています。

またそれとは逆に、直接会うなどの方法によるコミュニケーション能力は、衰退しつつあると危惧されることもあります。

しかし、「お散歩デジカメ」のメンバーの人達を見ていると、

そんな事はコミュニケーションが苦手な社会心理学者のたわごととしか感じられません。

そこには、「写真好き」を橋脚としたしっかりとした架け橋が築かれていました。

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2006年5月19日 (金)

大濠公園で

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今日は、所用があって福岡へいってきました。

せっかくの福岡なので、早めに所用を済ませ有名な大濠公園を散歩してきました。

残念ながら天気はシトシト雨降りでしたが、一時間あまり歩いて回りました。

大濠公園はプロフィールによると、

慶長年間、黒田長政が福岡城を築城するとき、

博多湾の入り江であったこの地を外堀として利用したのが始まりで、

後の昭和2年、ここで開かれた東亜勧業博覧会を機に造園工事を行い、

昭和4年県営大濠公園として開園したものであるらしいです。

しかし、私にとっての大濠公園は、

若かりし頃に聞いた長淵剛の初期の曲、「男は女が必要さ」という歌のイメージなのです。

単純で他愛のない詞ですが、十代の私には等身大でじゅうぶん共感できるものでした。

当時の長渕は、パイナップルヘアーの気の良い兄ちゃんでしたが、

今では、教祖の感すらある「アーティスト」になってしまいました。

私はただのおっさんになりましたが、

今日の大濠公園では十代の頃にしばし帰ることが出来ました。

「男は女が必要さ」:抜粋 長渕剛

やさしい口調で語りかける
君は南の町からやってきた
きさくで飾り気のない女の子
好きだよとっても君が

その頃僕は一人でいることを
ないよりも宝にしていたけれど
君と言葉を交わすたびに
孤独に初めて悲しさを感じた

夜の帳がおりるころ
二人で歩いたね夕暮れの大濠公園
あれから夜が明けるまで
人生論を語りあかしたね

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2006年5月18日 (木)

アオサギ

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今日は仕事が休みで、八尾市にある久宝寺緑地でお散歩カメラ。

写真は、この緑地内にある池で撮ったアオサギくんです。

池といってもコンクリートのプールのようなもので、岸が直角で、すぐに水深があり、

一見したときはアオサギが捕食するのには難しい環境に見えました。

自転車で散歩のおじさんに聞いたところによると、このアオサギくんは毎日此処にいるらしく、

そういえば、人の気配で逃げ出す風でもありません。

その結果、この私の道具と腕でもアオサギくんのアップが撮れたという訳です。

しかし、アオサギくんは何が目当てなんでしょうか?

さっきの自転車おじさん曰く、

釣りにに来ている人が帰る時、釣った魚をアオサギくんの餌さとして置いていくんだそうです。

なるほど、池の周りにはたくさんの釣り人たちが池の周りで糸を垂らしています。

半分人に餌付けされたアオサギくんと知ると、なんだか悲しそうに見えてきてしまいます。

数十年前は、田園地帯であった河内平野もいまや日本有数の中小工場地帯。

なかなか、野鳥が暮らして行くには厳しい環境だと思います。

アオサギくんも生きんがため、不本意ながら人の施しに頼っているんだろうな。

アオサギくん、恥じる事はない、たくましく活きよ!

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2006年5月17日 (水)

選ばれし男たち

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本日のお題は、私の好きな格闘技「ボクシング」についてです。

ボクシングの起源は古く、アダムとイブの子どもの兄弟げんかからはじまったという節もあるほどですが、

私がボクシングに惹きつけられたのは、1973年の1月2日に両国日大講堂で開催されたWBA世界フライ級タイトルマッチ、

チャンピオン大場政男VSチャチャイ・チオノイ(タイ)をテレビで観てからのことです。

私はまだ小学校3年生で、ボクシングなどには全く興味がありませんでしたが、

当時は今では考えられないほどボクシングは人気のスポーツ。(正月のゴールデンタイムに生中継!)

父母親戚がテレビの前で大声をあげて大場に声援を送っていました。

第1Rに大場がチャチャイの右フックを受けてダウンを喫しますが、意識が朦朧とする中かろうじてゴングに救われます。

第10Rあたりから、逆に大場が攻勢に転じて、

第12Rにはラッシュニ次ぐラッシュで3度のダウンを奪い逆転KO勝ちを納めました。

しかし、この5回目のタイトル防衛戦が大場のラストファイトになってしまいます。

壮絶な逆転KO防衛となったチャチャイ戦の僅か3週間後、首都高で大型トラックと激突、

世界チャンピオンのまま愛車コルベットと共に天に召されました。

貧困から抜け出し、両親に家をプレゼントしたい一心で生活のすべてをボクシングに投じた大場。

本当に家を建てて両親に送り、これから自分の為の人生を生きようと、

当時日本に2台しかなかったスポーツカーを買った矢先の事故でした。

激しい逆転KOの鮮烈な印象と、大場の悲劇的な人生が私の心を捉え、

それ以来ボクシングというよりはボクサーを愛してやみません。

この過酷なスポーツを職業としている時点で、私の中ではボクサー=選ばれし男たちなのです。

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2006年5月16日 (火)

蝸牛

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写真は、我が家で暮らすカタツムリの「つむチャン」です。

3年前の夏に、スーパーで買ったモロヘイアにくっついて我が家にやってきました。

我が家に来たころは、殻の大きさが3~4mm位でまだ白くて透き通るような赤ちゃんでした。

小学生の娘が「飼いたい!!」と言い出したので、世話をする約束で飼い始めたのですが、

今では、食べ物は私が与え、部屋(ジャムの空き瓶)の掃除も私が担当しています。

食べ物は、ほうれん草やレタスなどの葉采のほか、

ニンジンのスライスなど根菜も機嫌よく食べ、スクスク成長しています。

今もまだ小さいですが、殻の大きさで2cm位までになりました。

パッと見はグロテスクで嫌いな人も多いかもしれませんが、一緒に3年も暮らすと愛情も湧いてきます。

ゆっくりゆっくり動くつむチャンを見ていると、なんだか気持ちが和んでくるのです。

『對酒』 白居易

蝸牛角上爭何事 

石火光中寄此身

随富随貧且歡楽

不開口笑是癡人

(訳)
世の中の人はかたつむりの角の上の小さく狭い所で、
いったい何を争うのか。

火打ち石の火がぱっと火花を散らす、その一瞬の間に人は
この世に生きているようなものだ。

だから、金持ちは金持ちらしく、貧乏人は貧乏人なりに、
分に応じて、ま~しばらく楽しもう。

大きな口を開いて笑わないやつはバカ者だ!!

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2006年5月15日 (月)

水の癒し

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水のある情景は、鑑賞する人の心に安らぎと潤いを与えてくれます。

人は、水の何によって安らぎと潤いを感じるのでしょうか?

思い浮ぶのはその「音」です。

例えば海や川に行った時、波の音や川のせせらぎを聞いて、「うるさいなぁ」と耳を塞ぐ人はほとんどいないと思います。

反対に、心が落ち着いたりホッとしたりする人の方が多いのではないでしょうか。

街角の噴水や、滝の音などでも同じことが言えると思います。

では、それはなぜなのでしょうか?

定かな理由は解りませんが、太古の記憶が関係しているという説があります。

私たち人間の遠い祖先は、海からやって来ました。

そして、今でも胎児の時は母親の胎内で、羊水という小さな海の中で過ごします。

このことから、人は水音に対して何か懐かしい気持ちを抱くのではないかと言われています。

そう言われれば、そのような気がしてくるから不思議です。

この説の真偽は定かではないですが、確かなことがあります。

それは、地球上で生きているもの全てが水を摂取することで命を保っているということです。

その水のことを、普段はあまり考えたりしません。

しかし、これを書きながら、水を考えることは人を考えることだと気づきました。

なぜなら、人間のほとんどが水分でできているのですから。

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2006年5月14日 (日)

大阪の空

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今日の写真は、パッと見た目には一部分だけを切り取った画像のように見えるかもしれませんが、

ビル街の風景写真を丸くトリミングしたものではありません。

JRの大阪城北詰駅近くにある、中が空洞のオブジェから、上方を見上げて撮影したものです。

切り取られた空は広がりがなく、雲が多いのも手伝ってあまり良い感じがしませんね。

「ほんとの空」といえば、夫高村光太郎が妻智恵子との純愛を綴った詩集、

『智恵子抄』の中に収められている『あどけない話』という詩が思い出されます。

あどけない話 高村 光太郎

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。 

阿多多羅山の空は、当時はほんとに美しかったんだろうなとは思います。

しかし、私にとってのほんとの空は、やはり生まれ育った大阪の空です。

それは、あまり美しい空ではありません。

特に小学校の頃は汚れていて、光化学スモッグ警報が発令されたら、

赤い旗が校庭に立てられ、それを目印に児童は教室に退避、外では遊べなくなりました。

今ではだいぶん浄化されたようですが(これでも!)、クリアな青空はそう望めません。

しかし、そんな空でもやはり故郷。

この空の下で生まれで育ち、今もこの空の下で家族と暮らしています。

家族、親兄弟、友人たちとの思い出は、この空とともにあるのです。

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2006年5月13日 (土)

雨の真珠

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最近、雨の日が続いています。

今日の写真は雨のと雨の合間に、葉っぱの上に転がるように落ちていた雨粒を写したものです。

デジカメ写真を撮り始めるまでは、雨粒に眼が行くことなど一度もなかったのですが、

カメラをぶら下げ歩いていると、

「これって、ひょっとして綺麗なんじゃないの?」

などと、こんな私でも思えてくるのは不思議な事です。

「こんな私」といっても「どんな私」か、ご存知の方は少ないと思いますが、

かつての私のことは私が一番よく知ってるので、本当に驚きです。

この雨粒たちがこの葉っぱの上に在ったのは、ほんの一瞬の事で、

シャッターを切った直後には風が吹いて、どこかに転がっていってしまいました。

一生は一瞬の折り重なりで、当たり前の事ですが同じ一瞬は二度と訪れません。

しかし、写真はある一瞬を取り出して永遠のものにする事が出来るのです。

残るのは画像ですが、そこからその当時の匂いや空気、気分といったものも感じ取る事ができます。

まさに「神のツール」です。

この「神のツール」に出会った事に感謝しながら、鼻歌交じりで撮影を続けました。

「雨が小粒の 真珠なら~♪」

そろそろ、人としては古い方の部類に入ろうとしています。

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2006年5月12日 (金)

野良猫について

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昨日紹介した深北緑地には、たくさんの野良猫が暮らしています。

写真のネコ君もそのうちの一匹です。

子供のころから猫が怖い私は、上から移すのが精一杯。

この直後、シャッター音に敏感に反応したネコ君に睨まれて本当にビビってしまいました。

猫の動物学上の分類は、「動物界・脊椎動物哺乳類食肉目・ネコ科・ネコ属・イエネコ類」だそうですが、

面白いのは、飼い猫であろうと野良猫であろうと「イエネコ類」に変わりはないということです。

何らかの理由で、(ほとんどは人間が捨てたんでしょうけども)

人家から野外へ飛び出し、自由に暮らすようになった猫たちですが、

その多くはなお人間の作り出した生活環境に依存した暮らしを送っています。

生活圏を山野に移して、先祖でもあるヤマネコ類のように完全に野生化したものは、

数として非常に少ないといわれています。

そういう意味ではやはり「イエネコ類」なんだと思います。

最近、野良猫問題が都市問題として広がりつつありますが、彼らはどこで暮らそうが「イエネコ」なんです。

長い年月をかけて、「イエネコ」にしたのも、家から追い出したのも「ヒト科・ヒト属・ヒト類」です。

であれば、これもはやはりヒトの問題に違いありません。

猫が可愛いとか怖いとかは人それぞれですが、

ネコ君に責任を押し付けるような解決の仕方だけは避けるべきだと思います。

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2006年5月11日 (木)

二つの役割

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今日は仕事が休みでゴロゴロと寝ていましたが、

どうにも家人にとっては邪魔なようで昼過ぎにはついに追い出されました。

仕方がないので、カメラ片手に車で10分ほどの深北緑地に出かけてみました。

写真は、緑地内の大池の中州に飛来したコサギを撮ったものです。

この緑地は、寝屋川市の南端から大東市北端にかけて広がっている、

大阪府内では規模が大きいとされる公園の一つです。

野球場やテニスコート、バーベキュー施設などもあり、ふだんはレクリエーションやスポーツが楽しめます。

実はその他にも、この緑地にはもう一つ大切な役割があるのです。

それは、大雨のときに寝屋川からあふれ出る水を一時貯留しておく、遊水池としての役割です。

大東市~寝屋川市にかけてのこの一帯は、いわゆる海抜ゼロメートル地帯で、

街全体が海面より低い位置にあります。

したがって、ひとたび大雨になり河川が氾濫すると、あふれた水はこの地域にどっと流れ込みます。

そのため古来より洪水の被害が大きい地域でしたが、

あふれた水を一旦この場所に溜めおく事によって、市街地には水が流入しなくなりました。

この遊水地兼務の公園が整備されてからは、大きな洪水被害は起きていないと記憶しています。

そして今では、コサギをはじめ沢山の野鳥が飛来し、数々の樹木や草花が生い茂る、

街中に暮らす私たちにとっては、数少ない自然を感じられる場所となっています。

元々は、大自然の脅威である洪水から暮らしを守る目的で整備されたこの地が、

今度は、自然の安らぎを暮らしの中にあたえる場所になっているなんて、

なんだか逆説的で、面白い事だと思いました。

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2006年5月10日 (水)

タグボート

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今日は、縁の下の力持ちのお話です。

写真は、横浜みなとみらい付近の岸壁からハーバータグという作業船を撮ったものです。

全長は30メートルぐらいの船ですが、馬力が大きく小回りが非常に良くきくので、

大型の船舶を安全に岸壁に着岸させたり、離岸させたりするのを主な仕事としています。

その他にも、座礁船の救出、前方警戒や消防設備があるので火災船の鎮火等、

大体の事はできるんだそうです。

多くの仕事に対応する船ですから操船技術はとても難しいらしく、

船の中で一番難しいといわれています。

港に行くとどうしても豪華な客船や、美しい帆船に人の目が集まりますが、

このハーバータグのシャープとはいえない舳先が、

白い波を立てながら不器用そうに、しかし力強く水面を掻き分け進む姿を見たとき、

「縁の下の力持ちもまた良いもんだ。」

と思いシャツターを切りました。

社会のどの場所にあっても、その立場立場でなくてはならぬ存在になる事。

その仕事を通じて社会に貢献する事。

人の世も船の世と同じく、これが大切な事であると思いました。

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2006年5月 9日 (火)

神の社から

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写真は、今年の建国記念の日(紀元節)に天理市内にある石上神宮で行われた神事を写したものです。

石上神宮は、延喜式神名帳では『石上坐布都御魂神社』と記され、

日本で最も創建が古い神社の一つだといわれています。

大和朝廷が成立し、崇神天皇が即位したのは3世紀後半、

即位とともに天皇は山辺に近い磯城瑞籬宮に都を遷されました。

このときまで宮中に奉斎され、天皇と御座を同じくされていた天剣を、

物部伊香雄命に命じて十種神宝と共に石上邑に奉祀しました。

これが、石上神宮の始まりであるとわれています。

かねてより神社めぐりが好きで、今までに大小あわせて数百の神社を訪れてきましが、

信仰や宗教的な興味というよりは、歴史的な興味や神社建築そのものに対する関心から神社を観て回っています。

しかしながら、この石上神宮ほど「神域」という言葉を肌に感じる場所はありませんでした。

参道をたどり、鳥居をくぐればそこはもう別世界。

うっそうとした杉木立に囲まれた境内で、

苔むした石垣や老樹を観ながらしばし佇み、耳を澄ませば、

吹き抜けてゆく風の音の中に、遠い古代の人々の祈りの声が聞こえてくるような気がします。

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2006年5月 8日 (月)

路面電車

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『チン電』

大阪南部地域の住人は、写真の電車を親しみを込めてそう呼びます。

阪堺電気鉄道株式会社という南海電気鉄道の完全子会社が運営する路面電車で、

大阪市内~堺市内を結んで、上町線と阪堺線の2路線が現在も走っています。

写真の電車は、通天閣に程近い『恵美須町』駅 と 『浜寺駅前』駅を結ぶ阪堺線を走る車両です。

阪堺線の沿線には、千利休が茶道の修業を行った南宗寺や、

NHK大河ドラマ「黄金の日々」で有名になった呂宋助左衛門ゆかりの大安寺など、

中世以来の自治都市堺の歴史を伝える旧跡が多く残っています。

また、交通量が多い大きな道路でも一筋入ると、

大阪夏の陣で消失した後に徳川幕府が復興した町並が今尚、面影をとどめています。

大阪出身で、現在も河内(東大阪市)に暮らす私ですが、

『チン電』沿線に来ると、古き良き大阪を感じることが出来ます。

『チン電』の一日乗車券600円なり。

レトロでぬくもりのある車両で、のんびり揺られて一日過ごす。

私の楽しみの一つです。                     

写真05.12.05撮影)                                                              

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2006年5月 7日 (日)

再び踏切から

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また、踏み切りの写真です。

4/22にも踏切から見た一直線の線路の写真を載せましたが、

今回は、踏み切り待ちの写真です。

こうしてみると、私は踏み切りが好きなのかもしれません。

踏み切りはしばしば、ドラマや映画の中で重要なシーンの舞台になったりします。

例えば、こんなシーンで暗喩的に使われます。

主人公が今の状態にとどまるか、一歩進んで新たな世界に踏み出すか、という悩みを抱えながら俯き加減に歩いている。

『カン・カン・カン』という甲高い音で主人公の心の葛藤が表現され、

『ゴト・ゴト・ゴト』という電車の通過音が止切れた瞬間が迷いを吹っ切った時となり、

爽やかな表情で、主人公は顔を上げて遮断機の向こう側に歩みだす。

吹っ切れずに、踏み切りの手前でUターンというパターンもあるかもしれませんが、

とちらにせよ、ドラマチックな舞台装置であると思います。

踏み切りのこちら側と向こう側、渡るも人生、とどまるも人生。

そんなことを考えていると、踏み切り待ちの退屈な時間もあっという間に過ぎ去りました。

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2006年5月 5日 (金)

ハトについて

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私は小さいころから、ハトが好きになれません。

理由は、イメージでしか無いかもしれませんが、

普段は必要以上にオドオドしているクセに、ひとたび自分より弱いと知るや、

急にかさにかかって強気になり、羽毛を逆立て攻撃してくるというような、

そんな裏表のある、狡賢い感じがするのです。

政治信条で、特に外交や防衛問題について穏健な意見を持つ人々をハト派、

強硬な意見を持つ人々をタカ派と言ったりしますが、

この場合も、ハト派という表現が気になってしまいます。

私はここで、政治問題を論じるつもりはありません。

「ハト」と言う比喩表現に引っかかるだけなのです。

本当にハトは穏健でしょうか?

目は笑ってませんよ。

穏健派はネーミングで損をしてるんじゃないかと、いらぬ心配をしてしまいます。

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2006年5月 4日 (木)

石の仏

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奈良の新薬師寺にいってきました。

G・W中で、大変な人出でしたが、このお寺は駐車場が無料(一時間)で、周囲のお寺よりはかなり良心的でした。

ちなみに拝観料は600円。

新薬師寺といえば、本堂(国宝)、木造薬師如来坐像(国宝)、塑造十二神将軍立像11体(国宝)などのほか、

国指定の重要文化財が目白押しの南都奈良を代表するお寺です。

今日の写真は、その新薬師寺にある石仏です。

有名な木造薬師如来坐像や塑造十二神将軍立像11体は写真撮影禁止で、

「なんや、本堂内は撮影禁止かいな!」とがっかりして境内を歩いていると、この石仏に出会いました。

撮っていいのはこの石仏のみ。

「しゃない、撮っとくか。」という感じでこの写真を撮りました。

そして、帰宅後写真を整理している中で、お顔をよくよく見ると、実にやさしく慈悲に満ちているように見えてきました。

なんと、罰あたりな気持ちでシャッターを切ったんだろう。

境内の端っこにあるこの石仏は作成も後代(最近?)ぽいので学術的な価値は無いのかもしれません。

(違ってたらすいません。)

でも、そんな事だけでは仏像は語れないんだろうなァと反省しました。

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2006年5月 3日 (水)

八重山吹

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山吹の園芸種で「八重山吹」と呼ばれる品種は、

一重の山吹と違いオシベ、メシベとも退化してしまっているので実がならないそうです。

こんなに美しい花を咲かせても、実がならないと聞けばなんだか悲しげに見えてしまいます。

この「実がならない」事と「蓑すらない」ほどの貧しさを掛詞とした有名な故事があります。

にわか雨に遭った武将の太田道灌が、農家に雨宿りして蓑を拝貸したいと言ったところ、

その家の娘が差し出したのは、実のならない八重山吹の花でした。

その意味をその場で理解できなかった道灌は、不機嫌になってしまいました。

貸し出す「蓑すらない」、そんな現実を娘は失礼の無いようにと、

「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」(後拾遺和歌集 兼明親王)という

古歌になぞらえ、それとなく伝えようとしたのです。

後に込められた意味を知った道灌は、自分の無学を恥じて歌道に励むようになり、

歌人としても有名になったそうです。

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2006年5月 2日 (火)

異国に生きる

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この亀さんは、縁日でミドリガメとして売られている外来種のアメリカアカミミガメです。

私の地元の池や用水路で一番よく見かける亀です。

というよりは、この亀以外の種類は見かけないといってもいいです。

私の子供のころは(30数年前)、亀といえばクサガメ、イシガメでした。

しかし、アメリカアカミミは旺盛な繁殖力と汚れた水に強い特性を活かし、

在来種を駆逐してどんどん増殖しています。

こういう風に書くと、私がコイツ達を憎らしいと思っているように聞こえるかも知れませんが、そうではありません。

むしろ逆で、知らない国にやってきた祖先から代々、

苦難に苦難を重ねた末に、その国で成功を納めた移民一族の物語に喝采を送るような、

そんな気持ちになってしまいます。

生態系という観点で言えば、決して良いことではないことは理解しながらも、

悪いのは誰? 亀か人か?

答えは明らかです。

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